カムには92種類のアマの意志についての心配が最初にあったから、実際には同時に92種類の内針があるのだけど、大別して7つの種類に分けられる。

それが、ウラン、ケイ素、水素、ヘリウム、炭素、酸素、窒素の心配の元素。

どれもカムを押し上げたい気待ちから出て来たアマ1人の中にある性質で、アマはカムの心配の五角形を全部押し上げたから、アマにも大別して7つの種類の性質がある。

その五角形を押し上げた時の性質が外針の六角形。

ここまでは、最初の花火で起こった事。

※五角形や六角形などの形が最初にあったわけではなく、心配や押し上げを後から抽象で表すとそういう形になっていただけなので注意



この最初の花火を見て、他の双子組は、ここから花火当事者側(🌻)と花火を見る側(🌼)に分かれた。

アマ側だけに限っていうと、花火の当事者側のアマカムの中ではこの7つの元素の性質の内、ある元素の性質が欠けてない人なんかもいて、その時には、その性質だけがかなり特徴的に見えるということを書いてきた。


たくさん動画とかでも、いろんな人を見てきたけど、大体は、欠けてなかったとしても、1つの元素だけで、2種類以上欠けてない人はなかなかいないのかなあと思った。

これは私の個人的な判断だけど。


だから、最初アマが7つの性質が揃っているというのは、ちょっと難しすぎて、外から見た判断ではほとんど最初アマが何を感じてるのかわからないというのがある。

これは最初カムも同じ。

例えば、Monsterでいうと、ヨハンは最初カムの鏡の性質そのままの感じだけど、一体何を感じているのかよくわからない、という感じだと思う。


一つの元素の性質が欠けてなくて、他の元素が欠けたままだと、その一つだけが特徴的にドンと出ててわかりやすいのけど、全部が欠けてない場合は、完全な球(カム)や点(アマ)に感じてしまって、逆にどこがどう欠けてないのか、外からはまったくわからない状態という感じなる。


私は花火を見ていた意志の側だから、その最初アマの7つの性質のうちのどこかに反応し(最初カムの場合もあり)、どんな風に思ったかで、最初の意志が発生した感じになる。

それが、もし劣等感の意志だった場合は、思考の起源になってしまうし、嫉妬の意志だった場合は、感情の起源ということになってしまうし、もし、どちらでもない場合は、「欠けたままだが余剰したくない」という意志だということ。


以前書いたように、私は最初アマの炭素の《知》の部分に劣等感、ケイ素の《意》の部分に「余剰したくない」の意志があって、ややこしい葛藤のある2つの意志をもってしまっているということになる。

その為、私は数学や物理が得意っていう余剰が出てきてしまったんだと思う。

人間世界では数学や物理が出来ることは長所やいいことのように思われるかもしれないけど、自然界のどこにも数学や物理の概念は存在しないように、双子世界では余剰以外のなにものでもないから、その辺は間違いやすいってのがある。


最初アマの2つの性質に対して、花火を見る側の私には2つの意志があって、その相反する2つの意志をごまかすために、思考と感情を合体させたり、他の誰かと補いあったり、共有したり、資産や負債関係になるのが、「人間」という状態。


欲望と葛藤と助け合いと、また憎み合いなど、これが花火を見る側に起こる喜怒哀楽。


花火を見てる側の人間からすると、花火当事者側(自然界)の元素の記憶が一つでも欠けてない人ってのは人間ではなくて、私にはまだ、元素が欠けてない🌻アマの人達が、なんでアマがカムをそんなに押し上げたい意志があるのかを感覚でわかりたいのだけど、本当にわからないえーん

これはアマの性質が表れている部分に関しての植物や鳥の気持ちや感覚を当事者として感じれないというのと同じ。




人間関係で起こるのは、《喜》《怒》《哀》《楽》。

双子間で起こるアマの7つの押し上げた性質は、

下のように、

《涙》《喜》《知》《爆》《憶》《意》《私》。




炎【水素】《涙》

カムの悲しみを感じて、アマはその悲しみで生きていることが押し上げている




炎【ヘリウム】《喜》

カムがアマに変わって欲しくないことを感じて、自分の変わらない心と体で押し上げている




炎【炭素】《知》

カムの心配の複雑さを知って、絶妙なニュアンスを感じ取りその心配を再現することで押し上げている




炎【酸素】《爆》

カムがアマ自身の意志から外れてしまうと絶対ダメだと感じて繰り返す心配を一つ一つ区別することで押し上げている




炎【窒素】《憶》

双子の記憶がずっと続くように、アマはカムの心配の記憶を辿り続けることで押し上げている




炎【ケイ素】《意》

五角形全体のカムの心配をアマが自分の意志として、自分の死の可能性を知りたがることで押し上げている




炎【ウラン】《私》

アマの意志をカムの意志とする、という双子そのもの裏返りの記憶で押し上げている






最後のウランのところ《私》というのは、最初アマが最初カムのウランの心配を押し上げたのが、「私の意志をカムにコピーする」という意志だったが、「アマの意志をカムの意志にする」ということ。



アマの《私》という自意志は、1人で出来てきたものではなくて、双子の鏡のカムに、アマの意志が映っているかどうかをアマ自身が確認してこそ起こったことで、アマ赤ちゃんの意志が、鏡に映って母カムの意志だとわかったとき、アマは、カムを見れば「私(アマ)」がわかるという、《私》という感覚の起源となった。