昨日の記事の続きのような感じだけど、

Lは「神ぶった幼稚な人間」と夜神月の事を言ってたり、ニアが最後にライトのことを「殺人兵器のノートの力に負けたクレージーな人殺し」だと言ったように、


・夜神月とは、単なる大量殺人犯だった。

・夜神月とは、人間にとっては犯罪者を自分の殺意と共感して殺してくれる救世主である神だった。


2種類の見方。

夜神月にとっては、自分の計画に従わない者は犯罪者だった。

でも、Lやニアにとっては違っていて、ライトは幼稚な犯罪者だった。

夜神月を異常だと見る人、ライトを正常だと賛同する人、そういうのが人間界の葛藤として始まっていて、人によって見方が変わるというデスノートの重要なテーマだと思う。

デスノートが流行ったのも、夜神月の感覚と読者が同じように共感したか、夜神月には共感したくないと感じる読者かで、いろんな葛藤(何が正義か)があって、その葛藤に惹きつけられる事がたくさんあったのだと思う。



これは人間界が始まった動機ともすごく似ていて、人間界というのは自然界(最初の双子)に対してなにかの憎しみや殺意があったからこそ始まった。

でも、その殺意を隠して人間自身が自分を優しい人間だと見せかける計画の為には、自然界の方を「犯罪者」のように仕立てあげなければ、ライトのように人間界自体が自分でも「優しくてまとも」だと感じれないから、どうしようもなかった。

ライトには実際の犯罪者だけではなく、自分の計画を邪魔する奴(Lやニア)は全員犯罪者だった。

「自分にとって憎い人物を知的に殺してやっつけてくれそう」という人間の中の殺意からの共感が夜神月の糧でもあったように、人間界の人物というより自然界の最初の双子を殺してやっつけて救済してくれるはず(最初の双子を人間を閉じ込める悪であると設定)の元父も人間界にとっては救済者の神(その時、父ではなく息子となる)だった。

だけども自然界から見た元父は自然界に殺意をもち憎んだただの最初の人間。


自然界は第1起源で人間界は第2起源だが、これをひっくり返さないといけなかった理由は、人間界の自然界に対しての殺意が隠せないからという事。

優しい人間が自然を優しく扱い、人間が世界を創造したことにしたい、と考えたのが集合意識の始まり。

例えば、普段は重力を呪縛だと思うし、世界の謎を解いて自由に操りたい、動物を殺して食べたい、トゲトゲだと扱いにくいから植物をツルツルにして自分の思い通りに改良したい、など自分の言いなりならなければ気が済まない、と人間は思う。

地球はそんなことを本当は許してないけど、人間同士では法律を作ってそれをオッケーとしている、というのは分かりやすいと思う。

そうでないと、最初の双子に対しての人間が過去思った殺意を発散するところがなく、そのまま現在の地球に投影されてて、ウィルスや菌、地震や雷やいろんな人間にとって予測不能な現象はやっつけるべき「犯罪者」のように感じているが、そう思うことで逆に、自分達は正義のように振る舞えるトリックを使っているということ。

でも、地球自身(最初アマ)も宇宙自身(最初カム)も、人間の光と闇の殺意を人間の意識が生まれる前からよく知っていて、それが最初カムの鏡にそのまま映っている。



・地球を創造したり作り変える権利なんか元から持っていないのに、最初の双子に対しての殺意が光として実現した元父。

・人を裁く権利なんか元から持ってないのに、自分にしか出来ない(他人は自分の計画に従うべき)という殺意がデスノートで実現した夜神月。



デスノートは個人に働きかける核兵器のようなものだと思うけど、自然界に対しての元父から始まった殺意の集合体が光というのも似ていると思う(でも、人間が人間自身の殺意によって壊れていくということも表している)。



自然界の個体性(第1起源)を殺戮して壊し、個体差を作るため(第2起源)に表れたのが光(電磁波:三角形2つ合わさったマカバ)でもあるが、その光は闇と同意語で、


・憎き自然界をやっつけてくれて倒してくれる救世主=光(太陽)と考えるか

・単なる自然界に対しての異常な殺意=光(核兵器)と考えるか


光にも2つの見方があり、それを地球は再現してる。

例えば、光がないと人間は目立たてず生きているような気がしないが、光は皮膚がんの原因ともなっている。



人間界側でライトの使うデスノートの魔法に魅入れられた人たち。


正義の力で世界に復讐したかったギラギラ感の魅上

《ライトと同じく外装カム的》

賢くなりたかったイケイケ感の高田

《外装アマ的》

ライトを手伝いたかったスカスカ感のミサ

《内装アマ的》

力に媚びて利を手に入れたかったセコセコ感の出目川

《内装カム的》


代表的な登場人物だけ書いたけど、「ノートの切れ端」を手に入れたい願望があったり、ノートの魔力に便乗して、自分も何かを実現したかったというのが、人間の男や女ということになると思う。

実際の社会だと、健全だと思える人間社会を実現するには、人間の計画の行手を阻む自然界は邪魔な犯罪者で、人間界の十字架と盤上はそういう風に始まったわけだけど、普段、何かに対しての殺意や怨念があって、お互い殺意剥き出しでは社会が成り立たないので、繰り返し新たな法が必要となる。

自然界(最初の双子)には法はないけど、人間界には人間自らの殺意を抑える法が必要なのもそういう理由がある。


Monsterは自然界の鏡の性質がよくわかる漫画だと思うけど、

デスノートは人間界の起源と似ているところや、時空や電磁場や複素空間という言葉が物理でよく使われるけど、デスノートは私的にはすごく物理学的な漫画だとも思う。


例えば、


・デスノートは核兵器みたいなものだけど、ノートの表面は鏡に映っていること

(放射能と光は電磁波としてひとくくりにされているけど、光は鏡に対する入射光なのに対して、放射線は鏡による反射光)

・デスノートの人を殺す能力自体が射影のような感じ

4次元方向から心臓をぺちゃんこにするかのフラットランドのような話)

・死神界から人間界をどこからでも覗いているというような次元の話でどこから裁かれているかわからないのがパノプティコン的

・人の命がデスノートの存在によって不確定になり、死神の目で観測したときに確定するが、デスノートの所有者だけが死神の目で寿命が見えなくなるから、観測者自身は1番不確定なのが量子力学的。



まだあるかもしれないけどこんな感じ。



漫画の内容的にも、すごく聖書を意識してるんじゃないかと思うのだけど、知恵の実の例えかどうかはわからないが、もしそうだとすると、夜神月はデスノートという知恵の実を手に入れたことで新世界の神になれると思ったわけで、

死神にリンゴを渡したり、エルとのやりとりでも「リンゴがどう見えているか?」の引っ掛けがあったりして、デスノートでは「りんご」の話がよく登場する。

知恵の実の「切れ端」を他人に渡すことで、自分の神の力を与えていくことが出来ると錯覚し、その結果、自分を肯定してくれる(否定しない)優しい人だけの世界を創造できると思ったが、でも、夜神月と反対の考えを持つ者は邪魔となり、夜神月のしている事の見え方が人によって分かれる。


その「りんご」の見え方と関係あるのが、Lやニアからはライトは大量殺人犯で、人間からは救済者、そういう見方の差を物理でも別の言葉で使っていて、自然界にとっては、どんな見方をしようが(りんごはりんごだから見え方で何かが変わったりしない)、どれも自然界に反発して発生した同じ空間で、今も自然界の記憶とは関係ないところで営まれている空間なのだけど、人間界では別空間として扱う必要が出てしまった。



漫画で出てくる空間に例えるとこんな感じになると思う。

        時空

       電磁場

    複素空間

時空=電磁場=複素空間

外部から見た鳥かご

内部から見た鳥かご

内部から見た鳥かごの外側の空間

自然界から見た人間界

キラとしてのライト ➡︎ ライトキラ

夜神月としてのライト ➡︎ ライトキラ

ライトキラ ➡︎ キラ=神

ライト=キラ ➡︎ 人間界


キラ=神

ライトキラ

ライト=キラ

キラを偉大な神だと思う空間

ライトをまともな人物だと思う空間

ライト=キラとして異常な人物だと思う空間

桜テレビ

捜査本部

SPKL


知識の木・知恵の実は、善悪の判断がつくようになった事で、恥が生まれたと言われているけれど、善悪の判断がつくようになったんではなくて、キラとライトは同意語なのに別人として扱ってしまうように、同じものなのに自然界への憎しみや殺意に合わせて見え方の差を作って、上記の空間のようにわざわざ違うように差を見せる必要が出来てしまったのが、知恵の実の本質ではないかなあと思う。



でも、夜神月は「僕しか出来ない」と最後にいうけど、もし知恵の実を食べてない自然界側のアマカムがその言葉を聞くと、空間は同じだと感じてるから、「僕しか出来ない=僕だけが誰よりも退化してる」って聞こえるのだとおもう。