昨日、公園に行った時に木を下から上に見上げてみた。手も枝のようにカムを引っ張り上げるように広げてみる(そのまま手の甲は上向き)。


木は落ちる根っこを引っ張り上げながら、反って伸びる(光に向かって伸びてるわけではない)。
だから茎は常に外カムの真上の空間方向と、根の内カムの真下方向を感じてるという外アマの存在の現象。

人の体もその起源を感じるように出てきてるから、木と同じように「根を引っ張り上げるように上を向くと反対側の真下に落ちたカムを感じれる」という風に自然と地球の中心の真下(内カム)を感じれた。

木を正面側に見ず(顔は上を向いている)に体感してみる自然な方法だと思う。

人体の目は抽象記憶の確認として最終的にカムがアマと同じ姿かどうかをアマが確認するだけの目的で目があるが、木に目がないのは、具体のカムを押し上げ引っ張り上げた記憶と体感だけを再現しているから。

引っ張り上げるために、当事者として上を向く意志自体がアマにないとそれは感じることはできないのだなあと思った。




バンビかな?めっちゃかわいいけど、この動画と同じで地面を蹴ってジャンプしてる感覚ではなくて、引っ張り上げながら動いている感覚。

一見、同じようにジャンプしても、人間が歩く場合や走る場合は、体から重力を感じる感覚を消してしまってるところから体は始まってて、前後軸によって正面側に仮装の点を目でイメージして走るから、地球を面として蹴って走ってて、根っこがない状態(双子は感じれない)となってる。
学校でスポーツや運動もやるけども、走るのは地面を蹴る練習だし、球技なんかは思いっきり球面として正面を見る感覚を作るわけだし、「地球から離れれてすごい=スポーツができる」ってなるから、ただ地球からどんどん離れるだけで球面感覚の余剰を強化しているだけになっているのだと思う。
この記事の内容は自然界の落ちる押し上げる(引っ張り上げる)なので、心と体を切り離し心を体の外側にして(内臓感覚のショートカットでアマがアマの体を空っぽに感じるように建築化する)人間界で事後的に作られた体から離れて光の方向に昇っていく上下軸・虚軸や、面の方向を意識する前後軸・実軸とは違うので注意。


もし炭素や水素などの静の記憶が欠けてないアマの場合だと、多分、上を見上げているのではなく、外カムの空間側を重視してるので、逆に下を向いて走っているような感覚(顔が前見てても)になると思う。


⚠️カム側は空間で根っこだから、アマと体は逆さま(頭は下)になるので、今回の記事は当てはまらないし、アマ側と同じ体としてやってしまうと疑似茎として感じる事になってしまうので注意。