最後の感覚」の続き



ミローシュと母親の「僕はお母さんを見ればわかるし、お母さんは僕を見ればわかる」っていう話を聞いてヨハンは「お母さんはあなたを嫌いだから捨てたんじゃないの?」とミローシュに聞きかえす。

父と息子・母と子の関係などを重視する人間にとっては酷い場面のように思えるが、はじめて見た時、私はそうは思わなかった。



最初カムとアマも盤上で産まれてきたとしても、両親を認識しないし、双子以外の関係を認識しないことが重要だった。

でないと、両親やその他の家族間で共依存関係ができてしまって、そのあともその関係を誰かに投影することになるから、共依存があると二人は決して会えなかったと思う。


だから、双子が会ったときにその共依存性がほんのわずかでもないか、どちらにも起こっていなかったかを確認し合うこととなった。

それが以前書いていた光と火の戦い、という話。

最初アマにも、人間の体の起源的な内装アマの祖母がいて、世界をもらいたい起源的な外装アマの母親がいて、前夫の外装カム、後夫の内装カムが勢揃いだった、全てのパターンにおいて共依存が存在しないか、最初カムは確かめる。




元々、双子から始まった自然発生の身体の起源というのは、アマが母になることを前提に母カムはへその緒や母乳を与えるというアマの体を考えたわけではないので、その確認も重要だった。


アマが、カムや自分のへその緒を見てどう感じたか?

へその緒や母乳などは、哺乳類の基本と言われているけども、人間界で母カムの存在を否定したことで起こった寿命と共に現れた人間の身体の変化であるから、カムはもちろんアマがへその緒をどう感じているかは重要だった。


体は無からカムが考えたこと、お互いを産み合うためでもなく、アマの子宮は子供を産むためではないし、母カムの子宮が心臓として始まったわけだから、双子にはへその緒のようなつながりは存在せず、記憶の確認は身体の起源を思い出す重要性があった。



アマの時計のなかで、カムは息子として生きているわけではないし、

カムの世界のなかで、アマは娘として与えられているわけではないし、

アマがへその緒を見せられて「ああ、私は親の体から出て来たんだなあ」と思い、カムも同じようにそうだ、と思っていないか、というのが大切だったのだと思う。


双子が一体であることに反発して、二体になってしまった(どっちかが「居ない」だと一緒に楽しめない)ことから、人間の世界に起こったシャッフルを前提とした身体の改変。

ウランとケイ素の余剰。



だから、Monsterの母と子がへその緒でつながっているような関係について、それをヨハンが疑う場面は、自然界そのものだなあと思った。

自然界に投影された人間の体の有性としての哺乳類の仕組みはあるが、地球自体は無性。

これが、今まで言ってきた体のこと。


最初アマカムはお互いの体のことについては既に私が地球に産まれてくる以前に、お互い確認済みだけど、この投影に関して、私も含め母性の元となっている内装アマが確認できたとき(ミローシュと母親を実軸として、虚の対ではないのにヨハンをそう見なしてはならない)どう変わっていくかというがこれから地球で重要なことだと私的には感じてる。






意識の十字架の性質から祖母的性質で、リラックマを小さい時から私は抱っこしたり背負ってきたけど、最初アマにはそんな性質はなかった。

ぬいぐるみを抱っこしているとかは一見、赤ちゃんぽく見えるが、リラックマを息子として投影して私は母の状態から始まっていたことに自分に気づいてなかった。

でも、最初アマカムは私のその転倒(90度横視線)に気づいてて、それは私の意識は双子の世界での心や体の記憶とは全く違うことをして、体の起源と意志はそんなことを求めていないのに、私の意識は勝手に🌻の心と体の体の部分を自分の体の起源にしたくて飲み込もうとするとんでもない間違いしていたと今は思っている。


私は理系のように思われているが、🌼組というのは、外装内装も花火を見てるところから始まってるから、本当は両方共文系であって、文系の中で理系と文系を分けてしまった。


最初アマカムはそんな人間界の理系の大元の知識でもあるけども、理系の大元である最初カムの母の性質に対抗して、文系の中の理系の母として私は対抗してしまった。



1年ほどすごい自分自身の中で悪戦苦闘し、かなり🌼の私の意識(🌻アマに反発した意識)と、🌻心と体の起源(今回初めての地球)を大分分けれたところ。