私たちは、
私たちの先祖が皆そうであったように、
あなたの御前では寄留民にすぎず、
移住者にすぎません。
この地上における私たちの人生は
影のようなもので、希望はありません。
歴代誌上29:15
 

 イエスの言葉:
わたしの父の家には住む所がたくさんある。ヨハネ14:2

 

 Ⅰコリント14:26~33
 ヨブ記40:6~41:3、42:1~6(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句11/7;木) 


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方の御前では、
私たちは、神の国の国籍を持たない異国人、
寄留している者にすぎず、
私たちの地上での人生は影のようなもの。
なんの希望もない者。

 

 けれども、イエスは言われます。
「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。
あなたがたのために、わたしは場所を備えに行く。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、
また来て、
(わたしの家族として)あなたがたをわたしのもとに迎えます。
わたしのいる所に、あなたがたもおらせるためです」、と。

 

 この希望をもって集まる私たちは、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いのとおりに、
それぞれの人が賛美したり、教えたり、
黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしをしたりするのですね。
全体の徳を高めるために。
秩序と平和をもって(Ⅰコリント14:26~33)。

 

 カバやわにを、そのお心のとおりの強さに造られた方は(ヨブ40:15~41:34)、
どんな計画も成し遂げられる方。
 

 私たちは、知識もなくて、摂理をおおい隠す者、
自分で悟りえないこと、知りえない不思議をあれこれ言う者です。

 

 しかし、私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受けてくださり、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエスが派遣してくださる
【聖である霊】が来てくださるとき、
私たちは、うわさで聞き、本で読んでいるだけだったこの方の御業、現れを
この目で見ることになるのですね。
 

 そして、イエスが、私たちを迎えに来てくださるその時には、
顔と顔を合わせて見る、お会いすることになるのだそうですから(ヨブ42:2~5)。
天の国の国籍を持つ者、神の家族として。
 

 私たちも、この希望の中で、
【聖である霊】と呼ばれる方によって現れる
【父である神】の御思いの中へと。
今日も。

 

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