昼も夜も、私の糧は涙ばかり。
人は絶え間なく言う。
「お前の神はどこにいる」と。
詩42:4

 

わたしの恵みはあなたに十分である。
力は弱さの中でこそ
十分に発揮されるのだ。」
Ⅱコリント12:9

 

 ガラテヤ書3:1~5
 Ⅱテモテ4:9~22(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/5;金)


 人々は言うのですね。
「お前の神はどこにいるのか。神なんかいないじゃあないか」と。

 

 けれども、神は、私たちを、
順風満帆(まんぱん)、災いや不幸が何一つない中で
ご自分を現されるのではなく、
私たちが自分の弱さ、
自分の力ではどうしようもない、
自分の力のなさを感じているところで、
ご自身の力を現してくださるようです。

 

 そうでないと、私たちは、
つい、自分の力でそれができたように
思いあがってしまいますから。

自分からではないことが分かる方法で。

 

 それで、私たちは、
思いっきり、遠慮なく、自分の力のなさ、弱さを認めて行って
大丈夫なようです。
 

 そこでこそ、心から神を仰ぐことができ、
神の力を体験できるのだそうですから。


 【父である神】は、私たちが、
律法を行った、
神の御前で、
神に認められるほどの立派な生き方ができるようになったから、【聖である霊】と呼ばれる方を派遣し、
力ある御業(みわざ)を行なってくださるというのではなく、

 

私たちが、
イエスによる良い知らせを聞き、その言葉に信頼したから、
私たちは自分を

何にも変えることができていないにもかかわらず、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうですから。(ガラテヤ3:1~5)

 使徒パウロの場合も、
彼のローマ皇帝の前での二度目の裁判
(あるいは、皇帝ネロの前での最後の裁判)において、
パウロを支持する者はおらず、
弟子たちもパウロを見捨てて離れていく中にあって、
パウロの弁明によって、その裁判が、
みことばが余すところなく宣べ伝えられ、
すべての国の人々が
みことばを聞くことにされたのだそうですから。(Ⅱテモテ4:16~17)

 この世の見方からすれば、弱さ、行き詰まりに見える、
神なんかいないと思える状況の中で。

 私たちの弱さの中でも。
今日も。

 

 

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