人の心には多くの計画がある。
しかし、
ただ主のみ旨だけが堅く立つ。
箴言19:21

思慮深くふるまい、
身を慎んで、よく祈りなさい。
何よりもまず、
心を込めて愛し合いなさい。
Ⅰペトロ4:7~8

 エゼキエル書2:3~8a
 列王記上21:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/15;水)

渇きを覚えている者は皆、
水のところに来るがよい。
イザヤ書55:1

イエスの言葉:
わたしが与える水を飲む者は
決して渇かない。
ヨハネ4:14

 使徒15:4~12
 列王記上21:17~29(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/16;木)

 私たち、しようと思うことが、心にたくさんありますが、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)がしようと思われることだけが
確実に実現する、のだそうですね。

 だから、そのことをよくわきまえ、
神であり、主である方とよく相談し、
この方がどう思っておられるのかをお聞きしながら
計画を立てるのが確実な方法のようです。

 世の多くの人たちは、この方と相談しようとせず、
自分の「善悪の判断」だけで計画を立て、事を行うのですね。

 けれども、
「あなたは、わたしがあなたに語ることを聞け」(エゼキエル2:3~8a)とこの方が言われるのですね。

 「ああ、渇いている者はみな、水を求めて出てくるがよい。
金のない者も。
さあ、穀物を買って食べよ。
さあ、金を払わないで、穀物を買え。
代価を払わないで、ぶどう酒と乳を。
なぜ、あなたがたは、
食糧にもならないもののために金を払い、
腹を満たさないもののために労するのか。
わたしによく聞き従い、良いものを食べよ。
そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づく。
耳を傾け、わたしのところに出て来い。
聞け。そうすれば、あなたがたは生きる」(イザヤ55:1~3)と。


 イエスは言われます。
「わたしが与える水を飲む者は、
いつまでも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人の内で泉となり、
永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネ4:14)
 

 【父である神】は、私たちにも、
この水、永遠のいのちへの水を
飲んでほしいと思っておられるようです。
イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方を
迎え入れてほしいと。

 この方によって、
私たちの心にも、ご自身の御思いを置いて、
私たちのうちにご自身の御思いがあるようにし、
私たちがこの方に聞き、
ご自身と思いを一つにして生きるように、と。

 古い契約の時のように、
自分の力で良い人間になって神に認められようとする、
自分の誇りを求める道を主張し、神に聞こうとしないところから、
神に聞き、主イエスの恵みで生きる道に切り替わって。(使徒15:4~12)

 

 北イスラエルの王、アハブは、
神に聞こうとしないで、妻イゼベルの言うことを聞き、
ナボテぶどう畑を取り上げようとして、
ついには、身を滅ぼすことになったのだそうですから。(Ⅰ列王21:1~29)

 私たちも、
イエスによって来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いに聞き、
【父である神】のご計画の中へと。
今日も。

 

 

(聖書についての疑問、
近くの教会を知りたい等の方、

また、婚活で広く出会いを求めたい

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉

 

 

イメージ 1

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]

 

</a<ahref="https://www.blogmura.com/point/00697809.html" >

アクセスランキング にほんブログ村"/>