というわけで、毎度、うっかり図書館から借りてきてしまうDVDスリーズ、、笑
今回は、こちらです、、
ありふれた映画の中に、、不意に禅エッセンスを感知するや、、
すぐさまテンションが上がる、ザ・職業病です、、(;'∀')
話の中では、、余命宣告をされた宮沢りえさん演じる母親が、、
自分の、「終活」 ということで、やり残したことを一つ一つクリアにしていく?的な感じ、、
話の要所要所で、彼女は、特に、娘役の杉咲花さんに対して、、
「今ここ」 から決して目を背けないこと、、「不都合」 を前に絶対に逃げてはならないことを徹底して説き続けます、、
学校のいじめにてしても、、自分が実の母ではないという告白の後、、本当の母に会いたくないとする娘を力づくで背中を押したりなんだりと、、
実際、この態度こそが、「個人の都合」 や 「恐れ」 で以て、「今」 を閉ざし、エネルギーを詰まらせその
「枠」 の中で安住しようとする自我の習性を打ち砕き、、
全体的なバランスの中で起きている、生本来の今ここのダンスの中へと舞い戻らせる禅のキーであると言えるものなのです、、
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本来は、どうあっても逃れられない 「今ここ」 を前に、、
私たちは、自我やら思考やらの作用のために、「今ここ」 を見失い、
あげく、「今ここ」 に居ながらに、「今ここ」 よりもっと素晴らしく、安心できる状況や状態と目指しつつ、
「今ここ」 から離れ、この場を逃れ、その瞬間の 「出会い」 を避けてしまうということがいともたやすく起きてしまいがちです、、
「快」 は喜んで受け入れるが、、「不快さ」 や 「不都合」 には瞬間 (自我の) 抵抗が起こり、それを遠ざけようとします、、もちろん、これ自体は、自然な防衛性ですが、、
恩恵であるはずのこの作用が、、「快」 の麻薬により私たちの意識を酔わせてしまうということも往々にしてある話です、、
ですから、禅は、、何があっても 「出会う」 ことをやめないのです、、
もちろんこれは、向かってくるトラックの前から避けないままでいるといった類の話ではなく、、
その瞬間のプレゼントを受け取るという意味です、、
「今ここ」 に出会うことを一つ一つ、淡々と、、そして、徹底的に実践していく中で、、
私たちの意識は、、機能不全の 「今ここにないもの」 にまやかされる傾向から徐々に目覚め、、
「今ここ (真実) 」 との同調という本来の姿に還り始めるのです、、
相対から絶対の扉を見事に開く、、これが禅のカギなのです、、
※というわけで、温泉に浸かりたくなった今日この頃です、、
今日も読んで下さり、ありがとうございます!