平和を考える日… 被爆2世として   | My happy time~ in Yokohama

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お洒落に美味しく楽しく私らしく…ファッションも住まいも私流が心地良い~♪
64歳、再々婚16年目に入りました
最愛の彼(夫)との愛ある暮らしぶりを
ときに過去を振り返りつつ思いつくままに綴っています。

母方の祖父は75年前の今日
爆心地近くの職場に自転車で向かったまま行方知らず…
 
数日後
田舎に疎開していた母(一人娘)は市内に戻り曾祖母と
通勤路と職場を探し回ったという。
 
実家裏のお墓には
遺骨なしのまま祖父の名前と原爆が落とされた日
そして
原爆死と刻まれています。
 
事情があり、同じ家に住んでいながら
「父」ではなく同居している「叔父さん」という存在とされ
ずっと名前で呼んでいた。
周りの大人から父親であることを隠されていたそうです。
それが12歳の夏
成長とともに現実を知ることとなった矢先の死…
 
病弱で戦地に赴くことのなかった祖父は職を変えながら
自由気ままに暮らし
手先が器用でゴムタイヤを加工した靴を作ってくれたとか
喧嘩で負けると「勝つまで家に帰ってくるな」と追い出したり
機嫌が悪いと殴られることが度々あったなど
母から聞いた少ない情報とともに
白黒写真で見た自転車横に立つ姿が記憶に残っています。
 
私が小学校低学年時代
被爆者の集まる平和集会に度々連れ出されました。
後に、ある団体に共感し活動していた母
詳しく気持ちを聞いたことはありませんでしたが今思うと
実父の死に
納得できなかったに違いありません。
 
<平和学習>
広島の小学校では授業として学びます。(息子たちも同じ)
私は一時期
HIROSHIMA ヒロシマ 爆心地のイメージが強いことに
アレルギー反応を起こしていました。
 
毎年8月6日が近づくと特別番組が組まれ
平和団体が街中を行進する
当日は朝から上空をヘリコプターが飛び回る。
まるでお祭り騒ぎじゃない?と心が騒いでしまうのです。
 
「そっとしておいて」
「静かにして」
 
被爆者の曾祖母が亡くなり、死没者名簿に名前が加えられました。
母が亡くなった時は
被爆者遺族として平和式典に参加しました。
 
私は声高に<平和>を誰かに説くことはありません。
平和を願うことは当然のことなので…
 
 
今朝、あさイチという番組で
Twitter <945ひろしまタイムライン>の存在を知り
さっそくフォローしました。
日本が戦争をしていた1945年(昭和20年)に
もしSNSがあったら
どんなことをつぶやいていたのかな?
1945年の広島で書かれた3人の市民の日記を手掛かりに
2020年の広島で暮らすメンバーが
当時の生活をじっくり想像
3人の日々のあれこれを自分たちの言葉でつぶやきます。
(NHK広島の企画)

素晴らしい企画ですね、多くの人が読んでいるそうです。


 

平和=人と人の繋がり=絆

 

誰もが身近な人との関りの中で心を通わせ理解し合えれば
争いのない世界=平和になると考えます。

 

自分本位、自分勝手、自分!じぶん!ジブン!を

卒業しましょうよ(^^