母方の祖父は75年前の今日
爆心地近くの職場に自転車で向かったまま行方知らず…
数日後
田舎に疎開していた母(一人娘)は市内に戻り曾祖母と
通勤路と職場を探し回ったという。
実家裏のお墓には
遺骨なしのまま祖父の名前と原爆が落とされた日
そして
原爆死と刻まれています。
事情があり、同じ家に住んでいながら
「父」ではなく同居している「叔父さん」という存在とされ
ずっと名前で呼んでいた。
周りの大人から父親であることを隠されていたそうです。
それが12歳の夏
成長とともに現実を知ることとなった矢先の死…
病弱で戦地に赴くことのなかった祖父は職を変えながら
自由気ままに暮らし
手先が器用でゴムタイヤを加工した靴を作ってくれたとか
喧嘩で負けると「勝つまで家に帰ってくるな」と追い出したり
機嫌が悪いと殴られることが度々あったなど
母から聞いた少ない情報とともに
白黒写真で見た自転車横に立つ姿が記憶に残っています。
私が小学校低学年時代
被爆者の集まる平和集会に度々連れ出されました。
後に、ある団体に共感し活動していた母
詳しく気持ちを聞いたことはありませんでしたが今思うと
実父の死に
納得できなかったに違いありません。
<平和学習>
広島の小学校では授業として学びます。(息子たちも同じ)
私は一時期
HIROSHIMA ヒロシマ 爆心地のイメージが強いことに
アレルギー反応を起こしていました。
毎年8月6日が近づくと特別番組が組まれ
平和団体が街中を行進する
当日は朝から上空をヘリコプターが飛び回る。
まるでお祭り騒ぎじゃない?と心が騒いでしまうのです。
「そっとしておいて」
「静かにして」
被爆者の曾祖母が亡くなり、死没者名簿に名前が加えられました。
母が亡くなった時は
被爆者遺族として平和式典に参加しました。
私は声高に<平和>を誰かに説くことはありません。
平和を願うことは当然のことなので…
今朝、あさイチという番組で
Twitter <945ひろしまタイムライン>の存在を知り
さっそくフォローしました。
さっそくフォローしました。
日本が戦争をしていた1945年(昭和20年)に
もしSNSがあったら
もしSNSがあったら
どんなことをつぶやいていたのかな?
1945年の広島で書かれた3人の市民の日記を手掛かりに
1945年の広島で書かれた3人の市民の日記を手掛かりに
2020年の広島で暮らすメンバーが
当時の生活をじっくり想像
3人の日々のあれこれを自分たちの言葉でつぶやきます。
(NHK広島の企画)
素晴らしい企画ですね、多くの人が読んでいるそうです。
平和=人と人の繋がり=絆
誰もが身近な人との関りの中で心を通わせ理解し合えれば
争いのない世界=平和になると考えます。
自分本位、自分勝手、自分!じぶん!ジブン!を
卒業しましょうよ(^^