「霊魂論」エチカ詳解199(生と死28)
青春時代から社会人になるときには、世のおとなと看做される先人から薫陶を受けること儘(ママ)あります。特に軍役が法律上義務付けられている場合には必ずです。軍務とは具体的には人間の生死を司ることを生業(なりわい)とするものであり、敵対するものがあれば当然に双方ともに自ら意図しない危険に晒されることとなります。アメリカとソビエトの冷戦時代、仮に核の均衡がなければ戦略上、核爆弾を用いたかもしれないベトナム紛争を宣戦布告なき内戦介入の通常戦争にしたのは皮肉にも其の核のバランスが齎したものなのです。自由を守るのは当面の旗印であり、実際は産軍共同体の予算獲得のロビー活動の結果と憶測されていますが、ベトナム半島に自ら派遣されることを申し出た志願兵は兎も角も、徴兵され戦死・傷病した人間の霊魂が其れでは浮かばれないでしょう。此の新兵がベトナムの軍務に旅立つとき、ベトナムの戦闘経験豊富な教官、戦闘の生死の別れ目の実体験者、あらかた軍曹階級ですが、彼はこれから派遣される兵卒に告げます。国権の期待するのは国家に殉職するのは名誉だと期待するが、人間互いに見合っての戦いはルール無しだ。ベトナムでは何れかが死ぬことは理の当然であり、自らに言い聞かせることを刻印します。
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