「霊魂論」エチカ詳解256(生と死87)
古祀エジプト王朝の代から、王家・貴人が死ねば霊魂は一旦は黄泉に陥るが、其処での試練により再度肉体に戻り蘇るという思想は心臓や頭脳を防腐処理を成し、身体を木乃伊化したことから如実に読み取れます。古代インドでは、霊魂は何度もこの世に生まれ変わるという考え方は極々一般的であり、ヒンズー教影響下の輪廻転生の思想は常識化していました。但し、カースト制度が持ち込まれるバラモン。ヒンズー教影響下では下層民は彼の世でも虐遇から逃れられないものとされたため、却って、被虐民族や下層民は永遠の滅却を求める始末でした。「あの世」である霊界へ行ったり、「この世」である生者の世界、現世(うつつよ)に影響を及ぼしたりすると考える文化・思想も存在しています。人間だけでなく、命あるもの全般、動物や植物に宿ると考え、さらには鉱物にも霊魂が宿るとされることも屡々です。霊魂を心と同一視することもあり、「心は霊体、魂は神魂[」とする言も見られます。逆に霊魂と心を同一視しない考え方もあり、他方、すでにサンジャヤ・ベーラッティプッタが来世に関する問いへの確答を避け、不可知論の立場をとるのは、西洋思想家ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーを彷彿とさせる思想もあり「霊魂論」は千客万来の観ありです。
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