「霊魂論」エチカ詳解260(生と死91)
文字通り世界の文化文明加えて経済の中華の中国の道教では、「魂(こん、たましい)」と「魄(はく)」という二つの異なる存在「魂・魄」があると考えられています。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指し示しました。合わせて魂魄(こんぱく)ともいい「気」を要導とすることは今日現代の中国民間思考に反映されており今なお盛んなること「法輪功」の騒ぎをみれば納得がいきます。「魂と魄」は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地と定義されます。中国民間の「魂・魄」思考をを紐解いていくと自ずと「三魂七魄」という道教にて好まれる観念語句が浮かび上がります。「雲笈七籤(うんきゅうしちせん)」に云う三魂とは、第一が生命魂、第二が智慧魂、第三が欲望魂としています。これは天・中間・地に対応する觀念です。七魄については確言は出来得ないにしても、死ぬと、七日で一魄が散じるの次第で四十九日日では七魄すべてが散じるという。ということは「霊魂」が一体として現世と霊界の狭間に在り四十九日を経るまでに何らかの力による、おそらくは世界内意思存在としての「霊界」、言い換えれば世界意識の派生から「魂」の審判浄化が行われるとするのが順当でしょう、魄は単純に肉体とすべきではなく、形而上学的の観念的な「からだ」、西洋哲学における人体の宇宙機関説を思い浮かばせます。
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