カテゴリ:時間考察
時間の陥穽106
古史思想を代表するギリシァ大哲学者の三聖哲に対して、中世正教会の中興の祖アウグスティヌスはキリスト教の教条解釈を推し進め、「時間論」ではギリシァ哲学以来の「時間」観念」を運動から切り離し、時間を時間として世界の運動に絡み合わされたものを、時間をそれ自体として思考します。古代ギリシアにおける永遠、世界の根源としての端緒および終極が俎上に上ること必定ですが、プラトンをもってしても世界の始まりと終わりに対する強い究明意識は左程の究明する態度は見て取れません。 これに対してアウグスティヌスは時間を運動から切り離し点が特に際立ち、時間をそれ自体として考えた世界側の時間を永遠との対比をさせ、神との接点という枠組みにおいて考察します。アウグスティヌスの「永遠」とは、当然に世界時間上には乗らないキリスト教における「神の永遠(God's eternity)」です。 オカルト・ホラー小説 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年03月25日 06時03分52秒
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