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Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2020年04月05日
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カテゴリ:時間考察
時間の陥穽116
 時間の存在と其の流れの観点から「永遠」を見れば、永遠は「有る」、仏教哲学に云う「常住」と結びつくがゆえに不変性を示し、「あった」・「ある」・「あるであろう」という変化を含意する時制を持つものとは無縁です。アウグスティヌスは「万物を超えてとどまりたもう永遠の知恵」ギリシァ古典的形而上学が説く「ロゴス」、ソクラテス説く処の「無知の知」の根源として恒常性が認められることになります。永遠が始まりと終わりを持つことは恒常性を認めるならば、そこに変化が生じること皆無です。アウグスティヌスは時制を踏まえた上で、「神」とは始まりと終わりを内に含有するよりは始原すなわち根源でなければならないとします。さすれば、全ての永遠の根源には創造・被創造の立ち位置もなく、全ったきものであり時制はなく「神」には始まりや終末は、時間の流れと無縁である以上、神あるいは永遠と被造物は、創造という契機によって分かたれる分。即ち、「神たる永遠なるものは、将しく創造活動において「、あらゆる創造されたものを超え出ているとされている。」というよりは創造を成し得ない、矛盾するようではあるが完璧には其れ以上の創造はあり得ません。其の様に思考を巡らせれば「変化」は神の本質から出た遊びなのかも知れません。



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最終更新日  2020年04月05日 07時11分24秒
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