時間の陥穽201
始めも終わりもない「無始無終」。仏教では無限の過去から永遠の未来に亘り輪廻の車輪が無限であるとします。大宇宙それ自体をも大生命体と捉えれば常住することなく輪廻することになる訳です。然し乍ら、此処にいわれる「無限の過去から永遠の未来」とは何を指しているのかは人間の常識では図れず、なかなかに明晰な解答が見付からず難解です。仏教哲学では常住する「有」を一切認めないことから「無始無終」を文字通り解釈すれば、世界はゼノンのパラドックス「飛ぶ矢」、「飛んでいる矢は止まっている」如く存在するのではなく、輪廻に応じて変化・変動はするが、世界の物事には始元も終末も無いことから「円環」する「輪廻」と捉えるしかありません。其の変動をナーガールジュナは縁起として捉え「空」と表現してみせます。将に、頭と尾も無い「ウロボロスの輪」です。それではナーガールジュナは現実が無いと主張するのでしょうか。此れが西洋思想家のナーガールジュナを虚無主義と批判する論点です。物事は変化しているのみならず時制を持たないことは有り得るのか、時間の「無限」性というものにナーガールジュナは「否」との回答で応じます。
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