■一言で言えばこんな人■
母親について。
この人について。
何をどのようにまとめて評価すべきか。
考えてしまいます。
この人との関係性。
1から100まで、全ての一挙手一投足。
それが「辛く」「嫌な」「悲しい」出来事ではなかった。
楽しかったことも、多々有りました。
何をもって「親らしい」なんて言うのか?
定義付けなんて出来ません。
それこれ「子」の「主観」になってしまいます。
ただこの人に言えること。
「親という立場を存分に自分のためだけに利用した人」
そういう人だと思っています。
■随分身勝手な言い分だわ■
私は、出産経験も子育て経験もありません。
いつまでたっても「子の目線」しか持っていません。
実体験での親として意見を述べることが出来ません。
逆に、いつまでも子の目線は失っていません。
知人の家庭の話です。
以前離婚をした相手と、同居をしている女性がいます。
時を置いて。
復縁する訳でもなく。
その、元配偶者との離婚原因の一つ。
経済的に主体性や協力性を持っていなかった。
一緒に家庭を築いていこうとする気がない人。
ということだそうです。
同居を再開。
でも一向に、その姿勢は変わらない元配偶者。
定職にも就かない。
携帯ゲームの多額な課金の支払い履行をさせる。
配偶者でも何でもない同居相手。
でも、そんな相手のそんな行動を、容認する私の知人。
なぜ、そんな相手でも同居を開始したか?
それは、子供の発した言葉。
思春期を迎えた息子。
母親である私の知人の言う事を聞かなくなりました。
いわゆる、反抗期。
そこで責められたそうです。
「何で、離婚したんだ」
それがきっかけ。
同居を開始しました。
当然、男女のことです。
それ以外の要因も有ったと思います。
でも、その息子さんの言葉。
それが決断に至る一番大きな、きっかけだったようです。
子にとっては、血縁家族ですからね、その元配偶者。
先にも述べました。
子供目線のままの私が、言わせて頂きます。
「離婚の事実は、変わらないのに、ただの、すり替え」
同居を開始しても、離婚の事実は変わらなく存在。
なぜ、親は都合よく親になっちゃうのでしょう?
この知人の場合。
勝手に親目線になって、子供目線を失っています。
なのに、子供のためなどと平気で言ってのける。
その実、選択に至った責任の所存。
それを子供に転換させるような行動。