2019(平成31)年1月18日(金)、筑波山系にある北筑波稜線林道を車で走破し、きのこ山・足尾山・加波山に登ってきました。

 話は前日から始まります。前日も休みで、14時頃に横になったら寝てしまい、起きて時計を見たら6時過ぎでした。カーテンを開けると前のビルの灯りが煌々と点いていて、こんな事は一度もなかった事だと不思議に思い、テレビを点けたら、夕方から放映されている映画「妖怪ハンターヒルコ」がやっていて、そんな筈はないと、よくよく確認したら、翌日ではなく、当日の6時(18時)でした。ぐっすり眠ってしまい感覚が麻痺してしまいました。私も若年性の認知症?が始まったかと若干、焦りました。

 そして、翌日(1月18日)、AM5時過ぎに起きましたが、うだうだしてしまい、6時からチャンネルNECOで吉永小百合が出ていた映画「若草物語」(因みに吉永小百合のファンではありません。最近、昔の映画を見るようになりました。理由はありませんが。)を見てしまい、その時点で奥秩父の冬の名勝「三十槌の氷柱(みそつちのつらら)」に行くのは諦め、凍結の袋田の滝にしようと思いましたが、筑波山系にある足尾山から富士山が見えるようなので、そこに白羽の矢を立てました。

 常磐道の石岡小美玉スマートICで下車して、筑波山系にある北筑波稜線林道を走り、まずは、筑波山の後ろにある、きのこ山(528m)に向かいました。

 

 

 

きのこ山の登山口前にある通行止めの看板前に車を停めました。

 

 

 

きのこ山の登山口入口。

 

 

 

登山道入り口から3分で到着?。きのこ山(528m)頂上。東屋があります。

 

 

 

頂上からの眺めは木々の間から、かろうじて筑波山が見えるのみ。往復で時間が、5~6分なので、他の登山者とは会わず。

 

 

 

足尾山に移動します。

 

 

北筑波稜線林道。林道なので対向車が来ると面倒です。最後まで1台とも会いませんでした。

 

 

 

足尾山登山口。車は登山口から加波山方面に150m離れたスぺ-スに停めました。途中の笹薮から、何も居ないのに、ガサガサと何かが歩く音がするし、風の音が五月蠅く、何かが近寄って来ても気づきません?

 

 

 

足尾神社は、足に関して霊験のある神社だそうです。ご覧のように靴などが奉納されています。

 

 

 

4分程で足尾神社の社殿に到着。数年前までは、ボロボロな神社でした。

 

 

 

取り敢えず右膝が悪いので祈願しました。

 

 

 

神社の社殿の天狗様。

 

 

 

社殿の左脇の登山道を登ります。

 

 

 

この石垣を登ると頂上です。

 

 

 

足尾山(628m)頂上の本殿。登山口から10分で到着です。後ろに広がるのは、真壁の雛人形で有名な桜川市です。

 

 

頂上からの眺望は素晴らしいものでした。北側と東側は木々が少し邪魔でした。

 

 

 

 

眺望は南側は、筑波山と、きのこ山、そして、富士山も。因みに旧大日本帝國海軍の「真珠湾攻撃を実施せよ」を命じる海軍の暗号は「ニイタカヤマノボレ(新高山登れ)」で有名ですが、「直ちに帰投せよ」を表す暗号は「トネガワクダレ」 で、因みに陸軍は、決行せよ・「ヒノデハヤマガタ」、中止せよ・「ツクバヤマハレ(筑波山晴れ)」でありました。(※海軍=「トネガワクダレ」 ・陸軍=「ツクバヤマハレ」。陸軍の暗号でした。)

 

※新高山(にいたかやま)とは、台湾の玉山(ぎょくざん)の日本統治時代の名称で標高は、3952m。ですので、明治28年(1895年)から昭和20年(1945年)まで、日本で一番高い山は、富士山(3776m)でなく、新高山(3952m)でした。

 

 

 

 

到着は、10時40分でしたが、圏央道から9時前は良く見えていました。

 

 

 

東南は霞ヶ浦。

 

 

北は加波山。今回から、「AR山ナビ -日本の山16000」のアプリを使い始めたら、山の名前が分かり便利でした。

 

 

 

北西は、×日光白根山ではなく女峰山でした。栃木県日光市にある標高2483m。

 

 

 

下山します。頂上では、同年代の登山者(男性)と会いました。筑波山方面に縦走するようです。

 

 

 

足尾山を下山後に帰宅しようと思いましたが、北筑波稜線林道から加波山に登れそうなので加波山にアタックします。車は「ウインド・パワーつくば」風力発電所の前の空き地に停めました。最初、登山口が分からなく、別の道に行こうとしたら、その道は、発破(ダイナマイト)を1日に3回ほど爆発させるので、通行禁止でした。

 

 

 

 

途中で自衛隊機墜落の慰霊碑がありました。茨城県内加波山(筑波山の北側)に、1962昭和37年9月20日(木)、19時44分、宇都宮基地の航空自衛隊の練習機「T-6テキサン」が尾根の松林に墜落し、2名の乗員が亡くなっています。

 

 

 

旗立石。加波山頂近くにあり、明治17年の加波山事件の際「自由の魁」の大旗をひるがえしたところ。

 

※加波山事件とは、1884(明治17)年9月に栃木・茨城両県下の急進的な自由党員が、茨城県加波山を拠点に挙兵した反政府運動です。

 

 

 

登山道には、巨石が多いです。

 

 

 

壊れた加波山神社本殿。

 

 

 

壊れた加波山神社本殿から見える筑波山。

 

 

 

加波山山頂に向かいます。写真は後で撮影したので時系列はずれています。

 

 

 

加波山( 709m)山頂にある加波山神社拝殿。30分で到着しました。眺望は何も見えません。下山します。他の登山者とは、登る途中、老齢の男性2人、下山中に40代の女性2人と会いました。

 

 

 

巨岩だらけです。

 

 

下山後は、笠間西IC⇒友部IC⇒県道355号⇒国道6号で移動。

 

 

 

遅めのランチは、土浦市内の「うなぎ 錦水」さんで頂きました。

 

 

 

疲れた体には、やはり、鰻ですね。この後は、常磐道の土浦ICから乗り、圏央道を経由して帰宅しました。今回の総括は、足尾山(628m)から標高にしては、絶景だったので良しとしました。

 

 

追記。

何かに導かれ、登る予定のなかった加波山に登ってから北筑波稜線林道で下山していたら、車(購入から5ヶ月の新車)のボデイの下から、カンカンと何かを叩く音や、カラカラと変な音がしっぱなしで、停めて確認しても異常は分かりませんでした。麓に着いた途端、異常音は、ピタッと停まりました。そして、自宅の駐車場でバキ、バキと何処にも当たってないのに、何かを踏んだような異常音がしました。もしかしたら、また、山を彷徨う得体の知れない何かを連れ帰って来てしまったのかも知れません、、、。

 

 

後日譚。

2つの異常音の事を職場の同僚に話すと、同僚は、「2つの音がしたなら、2人を麓まで乗せて、自宅での異音は、麓まで乗せてくれて、ありがとうの意味じゃないの」 と。偶然かも知れませんが、慰霊碑の犠牲者も2人。確かに、その後に体の不調はないので、そうなのかも知れませんが、、、、。

 

 

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