日光東照宮の神厩舎(しんきゅうしゃ)は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)です。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されています。中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名です。一般には人間の一生が風刺されていると云われますが、実は徳川15代将軍の預言書だった説があります。
江戸幕府が封建体制強化のため、キリスト教禁止を名目に、オランダ・中国・朝鮮以外の国との貿易と日本人の海外渡航とを禁止したこと。また、それによる国際的な孤立状態。1633年から1639年まで五次にわたって出された鎖国令に始まり、1853年のペリー来航まで二百余年間続いた。
※「士農工商」。
江戸時代の社会を構成した主要な身分である武士・百姓・職人・商人を指すことば。四民(しみん)ともいう。国制を中国古代封建制度に則して理解しようとした儒者などによって用いられたのをきっかけとして、支配イデオロギーの重要なキーワードとなった。支配階級としての武士の地位を合理化しその経済的基盤であった農民は次位に置かれ,生産にかかわらない商人は最下位に位置づけられていた。
将軍徳川吉宗が幕藩体制の安定と強化のため、その在任期間(1716年~1745年)を通じて行なった諸改革。幕政機構の再編、法制の立て直し、都市商業資本の統制、上米(あげまい)の制、定免制による年貢徴収の強化、新田開発、甘藷(かんしょ)など新作物栽培の奨励、米価の安定、通貨の統一、目安箱の設置など。
6枚目。左から11代家斉。木に登り、離れた所で生活する。隠居後も大御所として幕府の実権を握っていました。12代家慶。老中水野忠邦に天保の改革を断行させたが、急激にやりすぎて失敗。のち、外国勢力の圧迫による難局で、にっちもさっちもいかなくなり、開き直って物思いにふけっています。
※「御台所(みだいどころ)」。大臣・将軍家など貴人の妻に対して用いられた呼称。
政権を天皇に返上すること。慶応3年(1867)10月14日、江戸幕府の第15代将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が政権を朝廷に返上することを申し入れ、朝廷が翌15日、それを受け入れたこと。これによって鎌倉幕府以来約700年続いてきた武家政治は終了した。