長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

戦国大名武田氏と地域社会

2020年03月01日 | 日本史
奥三河の戦国時代を考える上で、武田氏の影響は当然大きなものとなります。
この本自体は、静岡県が舞台なので直接的には奥三河は関係ありません。ただし、奥三河の歴史を考える上で、武田氏がその時、どのように動いていたのかがわかれば、奥三河の歴史を考える際の参考になるのではないか。
そんな訳で購入してみました。


『戦国大名武田氏と地域社会』(小笠原春香・小川雄・小佐野浅子・長谷川幸一、岩田書院、2014.5、1500円(税別))

はしがきにもありますが、2013年の武田史研究会シンポジウム「戦国大名武田氏と地域社会」における報告を活字化したものとなっています。
高天神城の小笠原氏の動きから、巨大勢力の境目国衆が大名の介入を受けて、家中が分裂する様が明らかになっており、奥三河の菅沼氏や奥平氏も同じといえます。しかし、反徳川の動きを江戸時代に隠さないといけなくなり、徳川に背いた人たちの取り扱いに困って、色々と脚色して家系図に残っていることを推測するなど、上に忖度する、ということが、今も昔も行われていたことが窺えて、人間って変わらないねって思ってしまいます。

また、海の無かった武田氏は、駿河を手に入れて水軍(海賊)を編成します。伊勢方面からヘッドハンティングしていたりと、海関係の国衆は自由な動きをしてるな、と、感じます。興味深い点としては、海上軍事は海上交通と結びついており、太平洋海運は伊勢神宮・富士山という二大信仰圏と密接な関係があり、聖地を抑えると海上交通も抑えられるという点です。単に強いから、ではなく、富士山信仰の拠点を武田氏が抑えたので、海賊の援助が受けられたのであり、同じく海に面した三河を抑えながらも信仰の聖地を領国内に持っていない徳川勢は、脆弱な水軍しか編成しえなかった、と、結論付けています。
愛知県史資料編の文書を読んでいて、なぜ徳川方の水軍が少ないのか不思議に思っていた点を解き明かしてくれて、実に感心しました。今川家が発給する文書に、やたら「白山先達」に関するものが出てきて、なんじゃこれ?と、思っていましたが、宗教の重みが現在と違う、という点だけでなく、巡礼者の存在が経済的にも大きな影響を与えており、交通支配とも密接に関係していたことが窺えます。
こうした点に配慮しながら歴史を見直すとちがった視点が楽しめそうです。

さらに、修験者が他国への使いに利用され、その際の旅費を依頼主の武田氏が出すのか、それとも修験者が出すのか、という点を考えている内容には驚き。
修験者に棟別役の普請役を免除して特典を与え、聖地巡礼をする客を案内するついでに手紙を頼むときは旅費を出さず、特別に出向く必要がある際には武田氏が支払う、と、いう、ある意味、必要経費は払ってる、という状況なのが、そんなに大名といえども無茶はいえないのね、と、納得。

内容は結構専門性が高く、とっつきにくいかもしれませんが、あんまり今まで見たことのない視点を切り口にしている本なので、オススメです。
これを読んで内容を理解しても、人生が左右されることは、まず、ないと思いますけど。


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