国語の男性教師だった山上(仮名)先生は、生徒たちからあまり好かれていなかった。


すでに中学1年生の頃から、その傾向はあった。


山上先生は、どちらと言えば少し女々しい感じで、弱い者には偉そうな態度になり、強い者に対してはオドオドしているように見えた。


授業中、ポインター(指示棒)を常に用いて、机を叩いて生徒たちに恐怖感を与えたり、服装検査では異様なほど権威を振り回して激しく女子を注意していたことが、あだになったのだ。


私が小学校時代に、多大な影響を受けた尊敬してやまない強く雄々しい宮下先生とは、真逆のタイプの教師だった。


私は中学から剣道部だったが、顧問の福田先生は、まるで戦国時代から現れた宮本武蔵のような人物だったし、中学になってからの担任である山口先生は野球に命をかけてきたような熱血体育教師だったので、男の先生というのは威厳があって圧倒的な指導力を持っているものであるというイメージが出来上がっていた。


当時は、どこの学校でも怖い先生は大勢いたものである。


また、生徒が悪さをすれば、殴ったり、拳骨を振り上げたりする教師は少なくなかった。


また、どう考えても、生徒のこれからの人生のために時には、体罰もやるという教師達の覚悟が尋常ではなかった。


それを生徒たちも当たり前と思っていたし先生に叩かれたりしても、めげたり、怪我するほどヤワではなかった。


福田先生は今でも、中学時代剣道部の飲み会に来てくれるが、その絆と信頼はとても強く仲もすこぶる良い。


当時、悪さして福田先生に叩かれたりした思い出を話すと、先生は記憶にないと笑うが、剣道部の仲間は、それは懐かしい良き思い出として大切にしていて感謝の気持ちが強い。


でなければ、先生を招いて楽しい酒になるはずがないのだ。


そういう時代だったのだとご理解していただきたい。


1970年代は、戦争時代を生き抜いた教師がまだ沢山いたわけで、戦後の苦難の道を生き抜いて来ただけに教師達の豊富な人生経験を基礎とする生徒たちへの厳しい指導やスパルタ教育にはどこか深い愛情が込められていたと思う。


あの頃は、親と教師も一体となって子供の成長を見守っていたので、親たちの教師に対する信頼はとても厚かった。


モンスターペアレントなど無縁の時代である。


子供が、教師の悪口を言ったら、逆に親に引っ叩かれたことも少なくなかっただろう。


だから、教師という存在は、畏怖の念を抱かせると同時に、尊敬される存在でなければならないという概念が当時は強くあったと思う。


ところがそんな時代だったのに事件は起きた。


山上先生が生徒にイジメられるという事が頻繁に起き始めたのである。


実は、私が通っていた中学校は鹿児島県でもかなり有名なワルの学校でもあった。


鹿児島市のメインストリート街で、我が校の学帽や名札を見られるだけで眉を細める人達も沢山いた。


少年施設から、出所して我が校に来る者、ヤグザの親分の娘、警察沙汰を引き起こしてばかりの不良たち、そしてなんと言ってもスケバンの多さは日本一だったかもしれない。


スケバン達の結束力は強く、不良の男子たちより影響力があった。


一年生の時に、何回か女番長が女子をカツアゲしたのを目撃した事があったが、ベルトをムチのように扱って女子を痛めつけていた。


痛めつけられていた女子も同じスケバンだった。


大掃除で生徒使用の便所からは、バケツ2杯分の吸い捨てたタバコが収拾された事もあった。


不良やスケバン同士の喧嘩や敵対している暴走族が校庭を走り回る事も時々あった。


しかし、これらは、あくまでも未成年同士のイジメやシゴキ、争いがメインで特定の教師に対してイジメをするなどということは全くと言っていいくらいなかった。


大ヒット作『愛と誠』を地で行く世界だったが、暴力の対象が教師になるのは異例だったと言える。(もしかしたら、特に鹿児島ではかもしれないが)


しかし、それから数年後には、校内暴力事件は日本全国で社会問題となってゆく。


つまり、我が校は校内暴力の先駆けだったというわけである。


ここで一つ断っておかなければならない。


私は、この母校が大好きで、今も同級生や後輩たちと仲もいいし、学生時代では最も楽しい良い思い出ばかりで、母校も友人たちの事も誇りにすら思っている。


外から見るのと、内側から見るのは違うものだ。


当時の不良やスケバンと言われた人達ほど、義理人情に熱く、優しかった人達はいない。


だから、私は学校では、特にスケバンたちと仲が良かった。


その証拠に私はスケバンたちに、私が作る自主制作映画に出演してほしいと頼み込んだのである。


しかも、その説得のためにスケバンたちを自宅に招いたりもした。


彼女たちは少しだけ悩んではいたが、自宅に招いた後に出演を快諾してくれた。


彼女たちが出演すると知って驚いた男子たちも次から次にスタッフ協力や出演を承諾してくれた。


自主映画の撮影は夏休みの40日間で完了させる計画を立てた。


その矢先、一学期がもうすぐ終わろうとしている時に、山上先生に対するイジメが始まったのだ。


そのイジメを先導したのは当然スケバンたちだった。


2学年は7クラスあったが、国語の授業を担当する山上先生の授業は修羅場と化した。


授業中は、山上先生は完全に無視されて、それでも先生が黒板に字を書いたりすると先生の背中に向けて、消しゴムや小石を生徒たちが投げつけたり、皆で一斉に筆箱を落として激しい衝撃音で邪魔をした。


教壇には大量の砂がまかれたり、ネズミの死骸が置かれた事もあった。


ずいずいずっころばしの歌を生徒たちが合唱するような授業もあった。


山上先生は顔がネズミに似ているというところから、ネズミの死骸やずいずいずっころばしをイジメに用いたわけである。


もはや、まともな授業は完全に失われた。


受験を気にする生徒は勝手に自習したし、イジメに関与しない生徒はオセロゲームや将棋をやる者、一番多かったのは雑談する生徒たちだった。


スケバンと山上先生が掴み合いの喧嘩になった事もあったようだが、いずれにしても最後は、山上先生が泣き出して教室から逃げ出してしまうことが多かった。


もはや、女々しい国語教師としてレッテルを貼られた。


殆どのクラスが、山上先生に対して、こういったイジメを繰り返す中で、我がクラスだけが、極端なイジメは起きていなかった。


せいぜい山上先生の授業に対する集中力がクラス全体に欠如していたくらいだった。


しかし、そんな中でも、真知原(仮名)というスケバンだけは、我がクラスでただ一人何度か山上先生に対して、暴言を吐くなど対抗したことがあった。


真知原は、ウチのクラスにおけるところの女番長としての風格を持っていた。


兎に角、クラス全員が塊になって山上先生をイジメるということは我が教室では、まだ一度も起きたことが無く、真知原一人で山上先生に反発する程度だったのである。


イジメが2学年全体で最高潮に達していた真夏、ついに我がクラスも山上先生の一学期末最後の授業となる日がやってきた。


その朝、登校すると教室は異様な雰囲気に包まれていた。


私は、隅で束になっている男子達に呼ばれた。


「真崎っ、大変やっどー。今日の山上の授業で女子たちは、総攻撃する準備しちょど。どげんすっか」


男子たちは、緊張した面持ちで私をじーっと見つめた。


私は即座に答えた。


「そいは、だめじゃっど。止めんといかん」


その一言で男子達はホッとした顔をした。


記憶が少し曖昧なのだが、私はこの頃、委員長か副委員長かのどちらかだった。


私にいつも群がる仲良しの男子達は、少なくとも山上先生をイジメることを良いとは思っていなかったのである。


「じゃっどん、どげんすっとや」


私は、そう聞かれても何も答えられなかった。


山上先生は、2学年の生徒なら誰もが、嫌っていたし、イジメられても当然という雰囲気が校内に出来上がっていた。


スケバンを中心にイジメは拍車がかかっている中、それを止めるというのは、2学年の生徒全員を敵に回すことになりかねない。


先生を嫌いでも、イジメる行為は良くないと思っている生徒は、本当は沢山いたかもしれないが、長いものには巻かれろという生徒間の空気で覆われいた。


我がクラスでは、そこまでイジメはエスカレートしないだろうと甘く思い込んでいた私に、イジメを食い止める方法がすぐに浮かぶはずがなかった。


ホームルームのチャイムが鳴った。


私は意を決して言い放った。


「もし、そうなったら、おいが怒鳴ってでも食い止むっで!」


「よかっ、おいたち一緒に止むっで」


集まった男子達が一斉に力強くうなづいた。


その男子たちの勇気に満ちた目を見て、私は少し安堵した。


男子が結束して止めればなんとかなる、そう思いながら席に着いた。


しかし、次の瞬間、もしかしてそれはスケバンたちを猛烈に怒らせることにならないか!


スケバンを怒らせて、夏休みに映画の撮影は出来るだろうか・・


スケバンを敵に回したら、スケバンたちの出演はおろか映画作りそのものを阻止される可能性がないだろうか・・


私は急に不安な気持ちになり始めた。


朝のホームルームが終わり担任が去った。


最初の授業が国語である。


教室内はかつて味わった事のない緊張が高まっていた。


分が悪いことに、両隣のクラスが自習だった。


ということは、他の2クラスも何をしてくるかわからない。


もはや、私には落ち着いて対処するという冷静さは失われ、心臓の鼓動がまるで和太鼓を打ち鳴らしているかのような振動音に聞こえ始めた。


ガラガラー


引き戸が開いて現れた山上先生は、極度の緊張のためか、顔を歪ませ荒い息遣いになっていた。


以下つづく。




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