「エイリアン、故郷に帰る」の巻(38) | 35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

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【夫】台湾人 × 【妻】日本人

国際結婚? いえ、惑際結婚ですから!

気がつけば2男1女。

あの男を見ていると、とても同じ人類だとは思えない。
漢方薬を水なしで飲めるなんて
一体どんな味覚をしてるんだ、あのおっさんは。

「エイリアン、故郷に帰る」の巻(37)

 

 

 

 

「そうよねー。もう死んでもらいましょう。

お金もないしー。」

 

 

 

 

 

こう返す連れ合いが、

一体どこの世界にいる。

 

 

もし。

実際に。

 

私がこう答えたとして。

 

 

実の弟の嫁が。

自分の甥や姪の母親が。

 

こう考える人間で。

 

 

あんたは満足なのか...?

 

 

本当にそれでいいのか!

 

 

 

 

 

「いい加減にして! ただでさえ、もう十分辛いのに!」

 

 

 

 

 

ICU患者の家族が滞在するために

用意された部屋の中。

 

気がついた時には、もう。

 

私は義姉相手に

大声で泣き叫んでいた。

 

 

 

私は中国語が

ほとんど分からない。

 

そのため、筆談用に

いつも持っていたノート。

 

これを上から

強く床に叩きつけた。

 

 

そこらへんにあったものも、

思い切り、投げたり

蹴り飛ばしたりしたような。

 

 

 

 

 

 

幸い。

 

部屋には義姉と私の

ふたりだけだったが、

 

誰がいようがいまいが、

私のことだ。

 

同じように

暴れただろうと思う。

 

周囲に人がいたら、

迷惑で申し訳ない話だが。

 

 

 

 

言いたいことを

言葉で表現できない。

 

 

それが、どうにもこうにも

悔しくて、もどかしい。

 

 

私は、自分の感情を

体で表現するしかなかった。

 

まるで子供のように。

 

 

 

 

 

一体。

何の因果で。

 

今置かれている状況以上の責苦を

味合わされなければならないんだろう。

 

それも。

身内と呼ばれる間柄の人間から。

 

 

 

 

もう。

 

心も体も

いっぱいいっぱいなのに。

 

 

 

 

それでも。

 

まだ、いくばくかの

理性は残っていたらしい。

 

義姉の胸ぐらを掴んで

揺さぶることもしなければ、

首を絞めることもせず。

 

殴りかかりもしなければ、

蹴り飛ばしもなかったから。

 

 

 

まあ。

もちろん。

 

本当は。

 

胸ぐら掴んで。

揺さぶって。

首絞めて。

殴りかかって。

蹴り飛ばしたかったんだが。

 

 

 

百万歩譲って。

一応。

 

師匠と仰いでいる人の

実姉であること。

 

義姉が師匠以上に

高齢であること。

 

だから。

 

私の肉体的攻撃に

耐えられないであろうこと。

 

実際に手にかけて

ショック死でもされれば、

 

逮捕されてしまうであろう

展開を避けたかったこと。

 

 

 

だって。

 

日本には、3人の子供たちがいて、

私の帰りを待っている。

 

それに。

先生のそばにいたい。

 

 

 

こういった事情を

全部考慮に入れると。

 

私が刑務所に

入るわけにはいかない。

 

 

こんな。

四六時中。

 

導火線に火がつきっぱなしの

無神経型妖怪爆弾ババアのために。

 

 

 

 

あの狂気の真っ只中、

瞬時に、頭の中で

ここまで計算していたんだから、

私も立派な妖怪だ。

 

 

 

そろばん妖怪よ。

よくぞ思い留まった。

 

 

 

だが。

妖怪にも心はある。

 

 

 

 

 

こんな目に遭わされるくらいなら。

これが家族というものだと言うんなら。

 

 

 

 

 

身内だの、家族だのと呼ばれる人間は、

生涯、金輪際、ひとりも要らない。

 

 

 

 

 

骨の髄まで、こう思った。

 

あの時に思い知った感情は、

今も変わらない。

 

 

 

 

 

義姉の考えていることも

よく分かる。

 

身内が入院したら、

何よりも心配なのは。

 

 

まずは、病状。

その次は、お金だ。

 

 

 

 

義姉の

 

 

 

 

 

「ドクターに頼まないで。私たちにはお金がないから。」

 

 

 

 

 

この発言にしても、師匠の入院費用を

我がことのように心配しているからこそ

出たものだろう。

 

師匠を家族だと思えばこそだ。

 

 

 

 

 

 

「もう結婚してるんだから。

弟に必要なお金のことは、嫁の問題でしょ?」

 

 

 

 

 

 

もし。

 

義姉がこう考えていれば、

ただ黙っていればよかっただけのこと。

 

何も言う必要はなかった。

 

知らん顔することだって

できたはずだ。

 

 

 

基本的に、

義姉は良い人なのだ。

 

私は、子供たちの面倒を

見てもらった経験があるから、

そのことをよく知っている。

 

私も、義姉には

良くしてもらってきた。

 

そのことには、

とても感謝している。

 

 

 

 

だが。

それとこれとは別だ。

 

 

 

 

あの日の義姉に対する恨みや

わだかまりは、時間の経過とともに

消えていくかもしれない。

 

 

でも。

あの発言だけは別だ。

 

 

それを証拠に。

私は今も許せない。

 

 

義姉ではなく。

あのセリフが。

 

 

この記事を書きながら、

何度も涙がこぼれた。

 

 

 

 

 

 

これは、敬意の問題だ。

 

 

 

 

 

 

夫の命を諦めろと、面と向かって

私に言う資格のある人間が、

一体どこの世界にいる。

 

 

 

私の子供たちの父親の命に関して、

義姉から指図を受ける覚えは一切ない。

 

 

 

 

 

敬意を払え。

 

 

 

 

私が師と仰ぐ人の命に。

私の夫の命に。

私の子供たちの父親の命に。

 

そして、私の心に。

 

 

 

 

それができないのなら、

一切口を開くな。

 

何百歩でも、遥か後ろに

下がって黙ってろ。

 

それすらもできないのなら、

今すぐ田舎に帰れ。

 

 

 

 

もし、私が中国語を話せたら、

最低でも、このくらいはまくし立て、

 

加えて、あらん限りの言葉で

義姉を罵倒していただろう。


 

 

あの時。

 

実際にそうできたら、

どんなによかっただろう。

 

心残りだ。

 

 

 

 

 

 

義姉は、戦中戦後の激動の時代を

台湾で生きてきた人だ。

 

私には想像もつかないほどの

苦労をしてきたんじゃないだろうか。

 

何十年にも渡る人生の中では、

お金のことで大変な思いをしたことも、

きっと、あっただろう。

 

 

 

 

 

師匠の実家は、客家(はっか)と

呼ばれる民族に属する。

 

客家の人たちは、

節約を重んじると聞いている。

 

 

 

 

 

 

「あなたの先生のうちの人はね。すごく節約家だよ。

台湾人が、みんなあんなに節約するわけじゃないよ。」

 

 

 

 

 

 

師匠のお父さんやきょうだいを知る人から、

こう聞いたことがある。

 

確か、先生も言っていた。

 

節約の大切さを

子供の頃から教えられると。

 

 

 

それは結構。

 

 

 

でも。

だからといって。

 

師匠の命は節約できない。

 

 

 

 

それが分からんのか。

 

 

 

 

どうやら。

 

幼い頃から節約観念を叩き込まれ、

人生に揉まれているうちに、

 

心まで節約して生きることが

染みついたらしいな。

 

 

 

 

 

 

 

世界中で、

 

 

 

 

 

「この人だけは...」

 

 

 

 

 

こう思う人の命を見限れと、

正面切って言われる絶望が。

 

この屈辱が。

 

 

 

 

 

本当に分からんのか!

 

 

 

 

 

その思考回路は疫病だ。

伝染して周りが腐敗する。

 

 

ゴキジェット噴射ものだ。

恥を知れ。

 

 

 

 

 

 

まあ。

今となっては。

 

義姉に対して、少しばかり

同情するようにもなったが。

 

 

 

 

可哀相に。

 

この人は。

きっと。

 

節約は教わっても、

愛は教わらなかったのだろう。

 

 

 

気の毒に。

 

あの人は。 

あのまま。

 

人としての心ですら

切り詰めたまま。

 

寿命を全うして

死んでいくんだろうか...

 

 

 

 

 

 

 

この一件以来。

 

私は、血縁関係や

身内と呼ばれる間柄を

絶対視しなくなった。

 

 

 

 

かぐや姫や

桃太郎でもない限り。

 

 

この世に生まれてくるためには、

誰かを両親として

生まれてこなければならない。

 

そして。

 

その両親に付随する形で、

諸々の血縁関係や

人間関係が存在する。

 

それだけのこと。

 

 

 

 

血縁関係には、それなりの

理由や縁があるのだろう。

 

現世で、家族として、身内として

繋がりを持って生まれ、

 

ときには一緒に、ときには離れて

生きていく意味が。

 

 

切っても切れない縁というのも、

きっとあるのだろう。

 

 

 

 

でも。

だからなんだ。

 

だから。

どうだと言うんだ。

 

 


 

 

 「人と人はね。結局は心と心。そうじゃないですか?」

 

 

 

 

 

 

あの日の先生の言葉が、

心の中で何度もこだまする。

 

 

 

 

 

 

「はい。そうだと思います。」

 

 

 

 

 

 

こう答えた、あの時の

自分の言葉も。

 

 

 

 

 

私にとって。

家族とは。

 

血ではなく。

 

心が繋がっている

人のことをいう。

 

 

 

 

 

 

 

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