「エイリアン、故郷に帰る」の巻(40) | 35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

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【夫】台湾人 × 【妻】日本人

国際結婚? いえ、惑際結婚ですから!

気がつけば2男1女。

あの男を見ていると、とても同じ人類だとは思えない。
漢方薬を水なしで飲めるなんて
一体どんな味覚をしてるんだ、あのおっさんは。

「エイリアン、故郷に帰る(39)」

 

 

 

 

 

“東京に不動産がある”

 

 

 

 

筆談用のノートに、単語を並べて

バオメイに見せた。

 

 

 

東京には、先生名義の

不動産がある。

 

これを売って、先生の

治療費に充てようと思った。

 

 

 

すぐに現金化するのは

難しいのかもしれない。

 

 

 

売りに出しても

すぐに買い手がつくとは

限らないし、

 

仮についたとしても、

不動産売買の手続きには

一定の時間がかかる。

 

 

 

 

だから。

 

一時的に、どこからかお金を借りて、

不動産が売れたら返済に充てる。

 

楽観的過ぎるのかもしれないが。

 

当時の私には、これ以外に、

日本円で7桁に上るECMOの費用を

工面する方法が思い浮かばなかった。

 

 

 

 

 

 

同じ頃。

 

 

 

 

 

 

「篤志家の人がいてね。病院にかかる

費用を貸してくれるの。」

 

 

 

 

 

 

バオメイからか。

それとも、義姉からだったか。

 

こう聞いた。

 

 

入院費や治療費を用意することが

難しい人のために、お金持ちの人が

お金を貸してくれる仕組みだという。

 

 

 

台湾全土の病院に

こういう制度があるのか。

 

それとも、たまたま

この病院にはあったのか。

 

 

 

この時は、貸付の条件や金額、

返済方法などの詳細までは聞かなかったが、

 

病院経由の話のようだったから、

恐らく、危ない類の貸付とは違うのだろう。

 

 

 

 

 

この話。

 

私が置かれた状況を考えれば、

有難い話だったはずだ。

 

にもかかわらず。

 

私の心の中には、これを有難いものだと

思うだけの感情の振れ幅が残っていなかった。

 

 

 

 

 

 

へえ。

そうなんだ...

 

 

 

 

 

 

どこか上の空で、

まるで他人事のように

聞いていた記憶がある。

 

この時分には、もう。

 

何かや誰かに期待しようという

気持ちがなくなっていたのかもしれない。

 

 

同時に、きっと。

 

現実から逃げ出したくも

あったのだろう。 

 

 

 

 

 

だって。

 

いつまで経っても、

先生の目は開かない。

 

 

 私の祈りは、

一体どこに行ったんだろう。

 

 

 

 

 

おまけに。

 

金の切れ目が命の切れ目だと

言わんばかりの身内まで、

毎日そばをうろついている。

 

 

 

 

 

もう。

 

何をどうしたらいいのか

分からない。

 

目の前に山積する様々な

現実が、私には重すぎる。

 

 

 

 

 

 

 

欲しかった希望も愛も。

 

あの頃の私には、

絵空事でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

台北の空の下。

 

ここで私が家族と

呼べる人はひとり。

 

 

ICUのベッドで

横たわる先生だけだ。

 

 

でも。

 

その師匠とは、言葉で

会話することができない。

 

 

 

私にとって義理の家族とは、

その言葉が表現する通りの人たちだ。

 

色々と力になってもらってきたし、

そのことに感謝はしているが。

 

 

かと言って。

 

こんなとき、お互いに肩をそっと抱き合い、

励まし合えるような間柄ではない。

 

 

 

私にとって、先生以外で、どちらからともなく

自然に肩を寄せ合うことができるのは、

日本にいる3人の子供たちだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

だから、あの頃。

 

台北の、呪詛を吐きたくなるほど

晴れ渡った空の下。

 

 

 

私が心から信じ、

頼ることができるのは、

私だけだった。

 

 

 

 

もしかしたら。

私は孤独だったのかもしれない。

 

 

でも、当時は、先生のことで精一杯で、

自分の心にまで、到底関心が及ばなかった。

 

 

 

 

 

 

まあ。

 

今振り返ってみれば、

それでよかった。

 

 

 

 

 

 

「私はひとりで、孤独だ。」

 

 

 

 

 

 

あの時、こう思ったとして、

一体何になっただろう。

 

さらに悲しい気持ちになる

手助けくらいにしかならなかったはずだ。

 

 

 

 

それに。

うまく言えないが。

 

なんだろう。

 

 

 

確かに。

 

私はひとりだったのかもしれない。

孤独だったのかもしれない。

 

 

 

でも。

やっぱり。

 

それは、なんだか

違うような気がする。

 

 

 

 

もちろん。

私の体はひとつだ。

 

でも。

 

私の中には、もうひとりの私がいて、

絶えず、私の心と体を

助けてくれていた気がする。

 

 

 

 

来る日も、来る日も。

 

愚痴ひとつこぼさず。

見放すこともなく。

 

私を励まし、慰め、勇気づけ、

日々襲ってくる数々の不安や恐怖から

私を守ろうと、持ち得るすべての力でもって

私を支えてくれていたんじゃないかと。

 

 

 

 

 

さもなければ。

 

私は、とっくにぶっ倒れて

いたんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

だから。

きっと。

 

私は孤独でも、ひとりでも

なかったんだと思う。

 

目には見えなくても。

 

私の中にいる、もうひとりの私が、

ずっと私の背中を支え、

肩を抱いてくれていたはずだ。

 

 

 

 

 

 

普段は、私の中の一番深いところで

深海魚のように静かに潜んでいるけれど。

 

 

ひとたび、私がピンチだと嗅ぎつける否や、

韋駄天さながらの素早さで

私の意識上へと駆け上り。

 

次の瞬間には、不動明王さながらの

勇ましさで、セコムもしくはアルソック化し。

 

私の心と体を隈なく巡っては、

私を脅かす内外のものに対して

警報を鳴らし、棍棒を振り上げて威嚇し。

 

全身全霊総ターミネーターの

臨戦態勢でもって、

 

力の限り私を庇護しようとする、

八面六臂的な、もうひとりの私が。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの頃は、無我夢中で

まったく気がつかなかったけれど。

 

 

今なら分かる。

 

 

私には、私を愛して

くれている人がいる。

 

誰が私を愛するよりも。

 

 

 

 

しかも、その人は。

 

たとえ何があろうが。

 

どれだけ長い時間を

一緒に過ごそうが。

 

決して心変わりすることも、

他の人に目移りすることもない。

 

 

 

 

 

そうだ。

それは私だ。

 

 

 

 

 

 

薔薇の花束も。

甘い囁きも。

 

週末のデートも。

ロマンティックなキスも。

 

 

 

なんにも、もらうことは

できないけれど。

 

 

 

でも。

 

私が幸せなときには、

決して妬むことなどなく、

一緒に喜んでくれて。

 

 

私が泣いているときには、

ここにいるよと寄り添い、

 

また笑えるようになる日を

辛抱強く待っていてくれる。 

 

 

 

見返りなど、

一切求めることもなく。

 

 

 

 

 

 

まるで太陽のようだ。

 

 

 

 

 

私は赤ん坊の頃、

股関節が脱臼していた。

 

生まれつき、左右どちらかの

大腿骨が、股関節にきちんと

くっついていなかったらしく、

 

 

 

 

 

 

「このままだと、大きくなっても

走ることができません。」

 

 

 

 

 

 

医者に、こう言われたという。

 

 

 

 

定期的な通院や

治療の他に、

 

 

 

 

 

「患部を太陽に当てて、日光浴させてください。」

 

 

 

 

 

こう勧められたそうだ。

 

太陽の光に当てると、

強くなるからと。

 

 

 

 

 

結果。

お陰様で。

 

大きくなった私は、運動会で

かけっこに参加することができた。

 

足が速いかどうかは、

また別の問題だったが。

 

 

 

 

 

 

考えてみれば。

 

あの時の礼を言え、

治してやったから

いくら払えと、

 

今日まで一度も太陽から

請求が来たことがない。

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、あんた。一体誰のお陰で

走れようになったと思ってんのよ?」

 

 

 

 

 

 

こんな説教をされたこともない。

 

 

 

受けた恩を忘れるどころか、

恩を受けたとすら気がつかず、

 

知らん顔しながら生きていた

私の上にも、太陽は毎日毎日

欠かさず昇って照らしてくれた。

 

 

 

見返りなど、

一切求めることもなく。

 

 

 

 

 

 

 

“いつも心に太陽を”

 

 

 

 

こういうタイトルの

歌や映画があるが。

 

 

 

 

私は思う。

 

 

 

 

本来ならば、

 

 

 

 

 

“いつも心に太陽が”

 

 

 

 

 

なんじゃないかと。

 

 

 

 

 

何の条件もつけず、

無償で愛してくれる存在が

誰にでもいる。

 

 

それも。

一番近くに。

 

 

 

 

 

きっと、すべての人の中に

太陽のエッセンスが

組み込まれている。

 

 

 

 

ロマンスを超越した宿命の恋人は、

どこかに探しに行かなくても

一緒に生まれてきてるのね。

 

 

 

 

 

気がついてよかった。

 

 

 

 

 

ごめんね、先生。

浮気じゃないのよ...?

 

 

 

 

 

 

 

 

あの時は、本当にありがとう。

全力の愛をありがとう。

 

 

お陰様で、私は自分の足で

立ち続けることができました。

 

 

何があっても。

最後まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これから先の人生。

 

いくつまで生きるのか。

何が待っているのか。

 

想像もつかないけれど。

 

 

 

でもね。

 

たとえ何が

どう転んだとしても。

 

 

きっと。

 

太陽が私を見捨てることも、

私の中から逃げ出していくこともない。

 

 

 

 

それだけは、

忘れないでいたい。

 

 

 

 

感謝しつつ。

 

 

 

 

 

 

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