「エイリアン、故郷に帰る」の巻(42) | 35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

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【夫】台湾人 × 【妻】日本人

国際結婚? いえ、惑際結婚ですから!

気がつけば2男1女。

あの男を見ていると、とても同じ人類だとは思えない。
漢方薬を水なしで飲めるなんて
一体どんな味覚をしてるんだ、あのおっさんは。

「エイリアン、故郷に帰る」の巻(41)

 

 

 

 

 

「こっちに来て。」

 

 

 

 

 

夜の面会時間が終わっても、

ICUに居座っていたときのこと。

 

先生のベッドのそばにいると、

看護師さんに呼ばれた。

 

 

ついて行った先は、

ICUの入口辺りだった。

 

そこには、看護師さんが

何人もいた。

 

 

何事かは、

すぐに分かった。

 

 

先生のベッドに、大きな

機械が運ばれている。

 

 

レントゲン撮影だった。

 

 

どうやら定期的に

あるらしい。

 

 

 

放射線を浴びないよう、

看護師さんは離れたところに

避難するのだろう。

 

そこに私も

呼んでくれたのだ。

 

 

 

 

 

 

大変な

お仕事だな...

 

 

 

 

 

 

 

こう思うと同時に。

 

私は、切なくて

たまらなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

レントゲンが

嫌いだった先生が...

 

あんなに弱った体に...

 

 

 

 

 

 

 

看護師さんたちが

ICUの入口に避難するのと

同じ理由でレントゲンを嫌い、

 

私にも、

 

 

 

 

 

「なるべく、レントゲンは受けないで。」

 

 

 

 

 

こう言っていた先生。

 

 

 

 

 

 

 

もし。

 

先生が入院した日に戻って、

もう一度やり直せたら。

 

 

 

 

 

 

 

折に触れ、

こう思う。

 

 

 

分かっている。

 

 

 

“もし”

 

などという経験は

存在しない。

 

 

 

 

それでも。

それでも。

 

 

 

もし。

 

当時の私が経験した

すべてを携えた上で

もう一度。

 

 

先生が入院した、

あの頃に戻れるとしたら。

 

 

 

 

 

 

「そういうことは、嫌がる人ですので。」

 

 

 

 

 

レントゲンの前に。

透析の前に。

ECMOの前に。

 

 

きっと、こう言う。

 

 

ドクターにというより、

自分に対して。

 

 

 

ベッドで横たわる

師匠を目の前にして、

大変な勇気がいるだろうが。

 

 

でも。

きっと、こう言う。

 

 

 

 

 

 

 

人には、身体以上に

大切なものがある。

 

 

 

 

 

 

 

この頃、

こう思う。

 

 

そう認めざるを得ない

諦観みたいなものが

芽生え始めたとでも言うべきか。

 

 

 

私自身、年齢を重ねて

きたからだろう。

 

 

 

 

 

確かに、

身体は大切なものだ。

 

異論はない。

 

愛する人のぬくもりや笑顔は、

血の通う身体があってこそのものだ。

 

 

 

 

 

でも。

 

 

 

 

 

“人はパンのみに生きるにあらず”

 

 

 

 

この言葉のようなもので。

 

 

 

 

人は身体のみに生きるにあらず

 

 

 

 

こういうことなのかなと、

最近は思う。

 

 

 

 

 

亀の甲より年の劫

 

 

 

 

ようやく。

 

私は、この言葉の意味を

理解し始めたように思う。

 

 

 

 

 

 

私は若すぎた。

 

師匠の連れ合いとしては、

若すぎたのだ。

 

若すぎて、何にも

分からなかった。

 

何にも分かって

あげられなかった。

 

 

 

ただただ、

右往左往するばかりで、

 

覚悟の代わりに、

執着が先に立っていた。

 

 

 

 

 

 

せめて。

あと10歳。

 

私が先生の年齢に近かったら。

 

もう少し潔く、先生のことを

見守れたんじゃないだろうか。

 

もう少し冷静に、先生の意志とは

何かを考えられたんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

私は心底怖かった。

死ぬほど恐ろしかった。

 

先生を失うことが。

 

あのおっさんが、

この世からいなくなることが。

 

 

 

 

 

師匠の息遣いが

どこにも感じられない世界。

 

そんな。

 

想像もつかないような

世界があってたまるか。

 

 

 

 

 

 

私は、こう思う自分が

可愛くて、可哀想で。

 

もう何も見えなくなっていた。

 

 

だから。

 

すべては、

自分のためだった。

 

 

 

 

 

 

 

ただ。

 

それもこれも、

すべて。

 

「今」が教えてくれることなのだ。

 

 

 

 

 

 

もし。

 

今の私が、あの頃の私に

そっと近づいて、

 

今の自分の気持ちを

伝えることができるとしたら。

 

 

 

映画や小説のように。

 

 

 

実際、そうできたら、

どんなにいいだろう。

 

 

 

力一杯、こう思う。

 

 

 

でも。

 

今日現在に至るまで、

そんなことが可能に

なりそうな気配はない。

 

 

 

 

その理由は、何となく 

分かるような気がする。

 

 

だって。

もし、それができたら。

 

 

 

人生をカンニングすることに

なってしまう。

 

 

 

どんな経験も後ろめたさも

チャラにできるのだろうが、

 

その代わり、死ぬほど真剣に

生きることもなくなる。

 

 

すべてが猿芝居になるだろう。

 

 

答えを教えてもらえるテストや、

やり直しができる試験に、

誰が必死になるだろうか。

 

 

 

 

 

 

だから。

仕方がない。

 

失敗だったと思うことも。

そこから来る後悔も。

罪悪感も。

 

何もかも全部飲み込んで、

「今」が教えてくれる人生を

生きるしかない。

 

 

 

 

 

 


もし。

 

この世に、本当に

ドラゴンボールがあって。

 

7つすべてを手に入れて、

神龍にひとつだけ願いを

叶えてもらえるとしたら。

 

 

 

 

 

 

「先生を元気な体にしてください。」

 

 

 

 

 

 

当時の私なら、絶対に

こうお願いしただろう。

 

 

 

 

 

でも。

 

一度、神龍に願いを

叶えてもらったら。

 

それから先の人生は、ドラゴンボールを

探すことに大半の時間を費やし、

 

世界中を巡り、それ自体が

生きる目的になってしまうかもしれない。

 

自分の人生を生きることよりも。

 

 

 

それこそ、きっと。

 

ドラゴンボールに依存しなければ、

生きていけなくなってしまう。

 

 

 

 

 

 

恐らく。

 

それでは、

いけないのだろう。

 

  

 

 

 

“天は自ら助くる者を助く”

 

 

 

この言葉を知らんのか。

 

 

 

まず。

 

誰よりも、

何よりも。

 

自分に頼ることを覚えんかい。

 

 

 

 

何だか。

 

誰かにこう言われて

いるような。

 

それが生きていく上での

課題のような。

 

そんな気がする。

 

 

 

 

 

 

 

もし。

 

この世に、本当に

ドラゴンボールがあって。

 

7つすべてを手に入れて、

神龍にひとつだけ願いを

叶えてもらえるとしたら。

 

 

 

 

 

 

「先生の望みを叶えてください。」

 

 

 


 

 

当時に戻れたとしたら、

私は、こうお願いする。

 

 

 

 

 

でも。

ドラゴンボールはない。

 

少なくても、

私の周りにはない。

 

 

私にあるのは、絶え間なく

アップデートされていく

「今」だけだ。

 

 

 

 

 

 

10年後。

 

その時が「今」の私は、

あの頃が「今」だった

自分を振り返って、

一体、何を思うだろう。

 

 

 

想像もつかない。

 

 

 

でも。

それでいい。

 

それは、10年後の

「今」の私にだけ、

分かること。

 

 

 

 

 

きっと、私は。

 

カンニングが許されず、

ドラゴンボールもない世界に

生まれてくることを自分で選んだ。

 

 

 

 

 

 

結構、勇敢じゃないの。

 

 

 

 

 

 

最新アップデートされた

「今」の私は、こう思う。

 

 

 

 

 

 

たとえ。

 

10年後の「今」の私が、

あの頃が「今」だった私を

許していなくても。
 

どれだけ先生に対して

申し訳なく思っていても。

 

 

 

それに甘んじよう。

 

 

 

あれが、あの頃の私の

精一杯だったから。

 

 

今後、どれだけ私の「今」が

アップデートされても、

これだけは変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

先生。

ごめんなさい。

 

いつか、あなたに許して

もらえる日が来るでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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