私のアルコール依存症の原因は、元はうつ病なのです。
うつが辛くて酒浸りになりました。
うつ病でもがき苦しんだ体験談を書いていきます。
うつ病とは、ストレスや睡眠不足が重なって起こる脳の病気です。
自律神経失調症の一種です。
メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。
※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします
うつ病患者の脳と行動
うつ病は、脳科学的には、次のような状態です。
- 脳内ホルモン(セロトニンなど)の分泌が少なくなる
- 脳内ホルモンが脳のシナプスにうまく流れなくなることによって、脳が正しく働かなくなる
そのため、うつ病にり患すると、次のような状態に陥ります。
- 何もやる気が起きない
- 夜、眠れない
- 夜中や早朝に目が覚める
- 楽しいことを何も感じない
- 嬉しいことも同様に感じない
- つらいことは感じる
- 苦しい事も感じる
挙句のはてに「生きていてもしょうがない」と考えるようになり、そこへアルコールが入ると実行してしまう危険があるのです。
生きるのに疲れ、睡眠薬を一気飲み
以下は実際の体験談です。
(つづき)
睡眠薬140錠はかなりの量で、一口では飲めず、ウォッカで何回も胃に流し込んだ。
「みんな、さようなら」
と心の中で言い、横になった。
睡眠薬140錠を飲んだのに、朝、目が覚める
あくる朝、目が覚めてしまった。
睡眠薬を140錠飲んだのに、普通に起きてしまったのだ。
頭はふらふらするのですが、身体は無事。
ボーッとしてふらふらしたが、立ち上がることはできた。
「人間って、そう簡単には死なないものだな」
ボーっとした頭でそう思った。
これは想像になるが、主治医は重いうつ病患者が自死に走る可能性があることを想定して、簡単には死なないような薬の配合をしたに違いない、とも考えた。
もう、仕事もなにもかもやる気がなくなっていた。
真っ白になっていた。
職場に行く気もない。
会社の総務に電話した。
「うぉふぁようぐぉざいまふ」
「おはようございます」と言ったつもりだが、ロレツがまわらずまったくしゃべれない。
大量の睡眠薬のせいか。
とにかく、休職するという旨をなんとか総務の女の子に伝え、電話を切った。
逃げるように家を出る
家にいたら、すぐに上司がかけつけてくるだろう。
とにかく外にでた。
薬と財布を持って、逃げるように家から離れた。
行くところがないので、彼女に電話した。
「ごめん、悪いけど2、3日でいいから泊まらせて」
そして彼女の家に逃げ込みました。
だれにもわからない場所。
彼女には昨日、
「いままでありがとう。楽しかった・・・・・・ごめんね・・・・・・ごめんね」
と電話して一方的に切ったので、とても心配していた。
彼女には、死にたくなったこと、睡眠薬を大量に飲んで自死しようとしたことを正直に言った。
彼女の家に居候
彼女は看護師だからなのか、そういう性格なのか、
「しばらくウチにいて、ゆっくりしていき」
と暖かく迎え入れてくれた。
ぼくのほうははなから2、3日で帰るつもりはなかった。
こうして、ムリヤリの同棲生活が始まる。
病院へ行き、休職のための診断書を書いてもらい会社に郵送した。
医師に正直に訳を話し、薬を再度もらった。
うつ病の心は久しぶりに和んだ
彼女は昼は仕事に出かけていき、帰ってきては手料理を作ってくれる。
一緒に風呂に入る。
一緒にテレビを観る。
もう孤独ではない。
ひさしぶりに幸せを感じた。
しかし、うつ病は相変わらず良くならず、つらさを酒でまぎらわしていた。
仕事もせず、昼間っからジンやウォッカを飲む毎日。
睡眠薬と一緒に酒を浴びるように飲んで、寝る。
ジンを買ってきては、寝る前にボトル半分くらいをゴクゴクと薬と一緒に一気飲みし、胃に流し込み、酔ってフラフラになり。
そして失神するように、寝る。
数ヵ月ほどたった頃
「結婚しようか」
という話がでた。
同棲して、彼女となら結婚してもいいかもしれない、そう思い始めた。
まとめ うつ病の症状で生きるのに疲れた
1日10錠の睡眠薬を2週間分、つまり140錠を一気飲みしましたが、自決はできませんでした。
医者が、うつ病患者がそういう行動をとるのを見越して、そのように配分した薬を出していたからだと思います。
消えてしまうことを考えずに、うつ病を改善することを考えるべきです。
いつか治って幸せが訪れます。