筆者がまだアルコール依存症でなかった時代の話。
酒を飲んでいなかったかというと、そうではなく、たらふく飲んでいました。
ゲームセンターでゲームをしながら飲んでいたのです。
たらふく飲んでいたからこそ、アルコール依存症になってしまったのです。
この記事は、筆者がアル中になるまでの体験談を書いています。
メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。
※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします
酒飲みダチのD
20代中、まだ独り身の時。会社が休みとなったら、同僚で同い年のDの家に遊びにいっていた。
Dは同じ会社に勤めていたのだが、所長が酒が原因で亡くなったので、私もDも会社を辞めた。
これはこの話⇒酒気帯び運転の常習犯、3日連続逮捕され交通刑務所に
Dは独身、フリーランスのSEだ。
私は家に入るとすぐ「飲み物はどこや?」と聞く。
Dが指で指す方にウイスキーやら日本酒が山のように積んである。
勝手にコップについで勝手に飲むような関係だった。
私が飲み始めると、Dも一緒に飲み始める。
フリーランスの自由な暮らし
Dは独身貴族で金はあるし、時間は自由に使える。
昼間遊んで夜仕事する、そんな暮らしをしていた。
「昨日はあの店からヘルスを呼んで、あれこれした」
だとか
「昨日はスロットに5万つっこんで10万円勝った」
だとか面白い話をよく聞かせてくれた。
部屋には、当時最新のプレステ2やパソコンやサーバがごてごて転がっていて、遊ぶものには事欠かせなかった。男の城という感じだ。
ゲームセンターで酒を飲みながら遊ぶ
いいかげん酔った後、2人でよくゲームセンターに行った。
酔っていたので、広島市内へ3キロくらい歩いて出る。
酔いが覚めたらコンビニで酒を追加するのだ。
そのころはまだアルコール依存症ではなかったため、焼酎ワンカップではなく「ビフィーター・ジントニック」「カンペア」などの缶チューハイを主に飲んでいた。
ゲームセンターでは対戦式のカーレースやストリートファイターなどの格ゲーばかり。
また酔いが覚めたら、コンビニで追加する。
空けた缶かんを、ゲーム機の横に積み上げていった。
3本、4本と山のように積み上げいくのだ。
アルコール・酒類禁止・・・・・・
ある日、ゲームの前に立て札が立っていた。
それには、こんなことが書かれていました。
「お酒を飲みながらのゲームはご遠慮ください」
げ、私たちのことだ・・・・・・。
しかし、金払ってゲームしてるのに飲んで何が悪い、などと思った。
酒を出すゲームセンターがあった
そのゲームセンターはあきらめて、別のゲームセンターに移動する。
広島の中央通りにある「ブラックジャック」という店だ。
そこの2階は、カジノを模した造りになっている。
エスカーレーターで2階に上がると、少し薄暗い。
そこに、ルーレットやブラックジャックの台や、アメリカ式のスロットマシンなどが並んでいた。
すべてコインゲーム。
そしてバーカウンターまであった。
「お酒飲みながらゲームしてね。酔っぱらってどんどん金使ってね」
というシステムのゲームセンターだった。
アルコール類が300円と超安い。
酒を知らない店員がウイスキーをなみなみと注ぐ
こんないい場所があったのか。
さっそくアルコールを注文して、ゲームをはじめた。
最初は柔らかいカクテルを注文していたのだが、だんだん酔っくる。
そして、ウィスキーのストレートを注文しました。
バーカウンターには大学生のバイトらしきバーテン。
「どのくらいですか?」
と聞いてきた。
普通はワンフィンガーとかツーフィンガーとかで頼むのだが、冗談で
「なみなみと」
といってみた。
すると、酒を飲まないのか、まだ何も知らないのか、バイトの大学生はウイスキーグラスになみなみ、どっぷりとウィスキーを注いでくれたのだ。
ウィスキーのストレートをコップのふちすれすれまで。
こんなの飲んだら泥酔してしまう!
ゲームセンターで泥酔
「D、すごいで! 300円でこんなにも!」
コップからあふれこぼれそうなウイスキーをみて、Dも驚き、同じ注文をした。
ゲームのコイン代とアルコール2杯の1600円で、2人ともべろべろに酔ってしまった。
この店が気に入って何度も通ったが、300円でこのウイスキーの量では店が赤字になるんじゃないのか?なんて考えていた。
しかしその心配ご無用だった。
売上に対してウイスキーの減る量が多いでバレたのか知らないが、バイトの大学生はいなくなってしまったのだ。
代わりに勤めはじめた新しいバーテンのお兄ちゃんは、たったワンフィンガーしか注いでくれない。
私たちも店に行かなくなった・・・・・・
ゲームセンターの店員がウイスキーをなみなみと まとめ
数年後、そのゲームセンターはつぶれてしまいました。
子どもの頃からあったゲームセンターなので、ちと寂しかったですね。
それ以来、ゲームセンターで飲むのは辞めました。
その代わり今度は、Dとパチンコしながら飲むようになります。
しかもこのあたりで、アルコール依存症者としての素質が出来上がっていったのだと思われます。
アルコール依存症になるまでの体験談でした。
あなたに役立つ記事
- 毎日、大飲みするので店で飲む金がなくなった私と先輩は、公園で飲み始めた
⇒まるで「アル中のホームレス!」平和公園のベンチで毎日酒盛り
- ある朝、会社に出かけようとしたら革靴がべちゃべちゃに濡れていた。はたして犯人は?
⇒泥酔して靴に小便をかけた情けない旦那
- Oさんが精神病院から外泊して家に帰った。そしてなんと、酒を隠し持ってきた!
⇒精神病院にアルコールを持ち込んだアルコール依存症患者