2018年08月18日
608号系統 錦林車庫 ゆき
608号系統 京都市交通局 錦林車庫 ゆき
111日目
12:26 嵐山
12:34 嵯峨小学校前 230円
再び渡月橋北詰にある「嵐山」バス停に戻ってきました。ここから先程と同じ「錦林車庫」ゆきのバスに乗車です。
「嵐山」バス停から再び「錦林車庫」ゆきのバスに乗車。
先程も通った嵐電の嵐山駅前の道路は多くの観光客で溢れ返っています。人が車道にはみ出してくるわ、観光用の人力車が前を進むやらでバスはノロノロ運転が続きます。
観光客や人力車がごった返すバス道。
混雑を抜けてJR山陰本線の踏切を渡り、交差点を右折し丸太町通に入ります。すぐに「嵯峨野小学校前」バス停、ここで下車します。ここから西に10分ほど歩くと常寂光寺に至ります。嵯峨野の奥にあるこの辺りまでくると観光客の数がぐっと減って、鄙びた雰囲気さえ感じられます。
常寂光寺は慶長元年(1596年)に日禎上人によって開かれた日蓮宗の寺院で、百人一首に詠まれた小倉山の中腹にかけて境内が広がります。山門をくぐり受付で拝観料を納めます(500円也)。
仁王門から続く石段はまぶしい青もみじに覆われています。
青もみじに覆われた常寂光寺の仁王門。
小早川秀秋の助力を得て、伏見城の客殿を移築したという本殿などを観た後、さらに上へ上へ向かいます。国の重要文化財に指定されている多宝塔は鮮やかな緑に囲まれて静かに佇んで建っております。
国の重要文化財に指定されている多宝塔。
さらに上へ上へと向かいます。お寺にお参りに来たのか、山登りに来たのかだんだん分からなくなってきますが、道は小倉山の頂で通じるわけでもなく中腹の展望台が終点となります。振り返ると京都市街が広がります。その向こうには布団来て寝たる姿の東山が見え、霊山比叡山の頂がちくりと天を突きます。
小倉山の中腹から京都市街を望む。
常寂光寺を出て近くの落柿舎を訪ねます(入園料250円)。落柿舎の前には原っぱがあるのですが、これは京都市が買い取った土地で、なんでも景観保護の目的だとか。この話は横を通った人力車のお兄さんがお客さんに解説しているのを盗み聴きしたものです。
常寂光寺近くの落柿舎。
落柿舎は松尾芭蕉の門人向井去来の庵であり、落柿舎の名は庭にあった柿の実が一夜のうちに全て落ちてしまったことに由来します。
本庵に掲げられた落柿舎の額。
句会席が催される次庵。
園内では鹿おどしのコンという素朴な響きが訪ねる人の心を癒します。そして同時に創作意欲も高めるのであります。
高校生の頃、課題で詠んだ俳句は、鬼と恐れられた薄毛の稲作先生(仮名)を題材にした「稲作や秋風たなびくすすきはら」というもので、当然ながら職員室に呼び出され落柿ならぬ落雷の被害にあった訳でありました。
そんなことを思い出しながらああでもない、こうでもないと脳みそにある乏しい言葉を絞ります。苦労の末できた一句は投句箱へ。入選すると季刊誌に掲載されるとか。私の拙句など公表するのも恥ずかしい限りですが、もし入選するような奇跡が起これば鼻高々に発表いたしましょう。(※1)
創作意欲をかきたてる鹿おどし。
落柿舎からは嵯峨野のさらに奥へ向かいます。二尊院は嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が承和年間(834~847年)に開山したといわれる古刹であります。応仁の乱の兵火により諸堂を失いましたが、天皇家や公家の支援により再建されたといいます。拝観料500円を納めて境内に。
紅葉の馬場と呼ばれる参道はまぶしい青もみじに覆われています。一直線に続く参道は幾何学的な美しさをまとい、それに鮮やかな緑が重ねられて若々しい気品に満ちています。
二尊院の紅葉の馬場。
本尊として釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀っていることから二尊院というそうです。後柏原天皇から「小倉山」、後奈良天皇から「二尊院」の勅額を賜るなど皇室とも縁の深い当院の本堂は御所の紫宸殿を模したものになっております。
御所の紫宸殿を模したという二尊院の本堂。
明治維新まで勅使参詣があったという二尊院、勅使門は後柏原天皇宸筆の「小倉山」の勅額が無言で格を語ります。鄙びた雰囲気の嵯峨野の奥にあって二尊院の気品というか格の高さは孤高の輝きがあります。
後柏原天皇宸筆の勅額のある勅使門。
※1 追伸
この時投句箱に入れた一句がなんと入選(しかも秀句!!!)し、落柿舎の季刊誌 平成30年秋季号 通巻230号に掲載されました。ここで鼻高々に一句を公表いたします。
緑染む山に無言の力あり
お粗末でございました。
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再び渡月橋北詰にある「嵐山」バス停に戻ってきました。ここから先程と同じ「錦林車庫」ゆきのバスに乗車です。
「嵐山」バス停から再び「錦林車庫」ゆきのバスに乗車。
先程も通った嵐電の嵐山駅前の道路は多くの観光客で溢れ返っています。人が車道にはみ出してくるわ、観光用の人力車が前を進むやらでバスはノロノロ運転が続きます。
観光客や人力車がごった返すバス道。
混雑を抜けてJR山陰本線の踏切を渡り、交差点を右折し丸太町通に入ります。すぐに「嵯峨野小学校前」バス停、ここで下車します。ここから西に10分ほど歩くと常寂光寺に至ります。嵯峨野の奥にあるこの辺りまでくると観光客の数がぐっと減って、鄙びた雰囲気さえ感じられます。
常寂光寺は慶長元年(1596年)に日禎上人によって開かれた日蓮宗の寺院で、百人一首に詠まれた小倉山の中腹にかけて境内が広がります。山門をくぐり受付で拝観料を納めます(500円也)。
仁王門から続く石段はまぶしい青もみじに覆われています。
青もみじに覆われた常寂光寺の仁王門。
小早川秀秋の助力を得て、伏見城の客殿を移築したという本殿などを観た後、さらに上へ上へ向かいます。国の重要文化財に指定されている多宝塔は鮮やかな緑に囲まれて静かに佇んで建っております。
国の重要文化財に指定されている多宝塔。
さらに上へ上へと向かいます。お寺にお参りに来たのか、山登りに来たのかだんだん分からなくなってきますが、道は小倉山の頂で通じるわけでもなく中腹の展望台が終点となります。振り返ると京都市街が広がります。その向こうには布団来て寝たる姿の東山が見え、霊山比叡山の頂がちくりと天を突きます。
小倉山の中腹から京都市街を望む。
常寂光寺を出て近くの落柿舎を訪ねます(入園料250円)。落柿舎の前には原っぱがあるのですが、これは京都市が買い取った土地で、なんでも景観保護の目的だとか。この話は横を通った人力車のお兄さんがお客さんに解説しているのを盗み聴きしたものです。
常寂光寺近くの落柿舎。
落柿舎は松尾芭蕉の門人向井去来の庵であり、落柿舎の名は庭にあった柿の実が一夜のうちに全て落ちてしまったことに由来します。
本庵に掲げられた落柿舎の額。
句会席が催される次庵。
園内では鹿おどしのコンという素朴な響きが訪ねる人の心を癒します。そして同時に創作意欲も高めるのであります。
高校生の頃、課題で詠んだ俳句は、鬼と恐れられた薄毛の稲作先生(仮名)を題材にした「稲作や秋風たなびくすすきはら」というもので、当然ながら職員室に呼び出され落柿ならぬ落雷の被害にあった訳でありました。
そんなことを思い出しながらああでもない、こうでもないと脳みそにある乏しい言葉を絞ります。苦労の末できた一句は投句箱へ。入選すると季刊誌に掲載されるとか。私の拙句など公表するのも恥ずかしい限りですが、もし入選するような奇跡が起これば鼻高々に発表いたしましょう。(※1)
創作意欲をかきたてる鹿おどし。
落柿舎からは嵯峨野のさらに奥へ向かいます。二尊院は嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が承和年間(834~847年)に開山したといわれる古刹であります。応仁の乱の兵火により諸堂を失いましたが、天皇家や公家の支援により再建されたといいます。拝観料500円を納めて境内に。
紅葉の馬場と呼ばれる参道はまぶしい青もみじに覆われています。一直線に続く参道は幾何学的な美しさをまとい、それに鮮やかな緑が重ねられて若々しい気品に満ちています。
二尊院の紅葉の馬場。
本尊として釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀っていることから二尊院というそうです。後柏原天皇から「小倉山」、後奈良天皇から「二尊院」の勅額を賜るなど皇室とも縁の深い当院の本堂は御所の紫宸殿を模したものになっております。
御所の紫宸殿を模したという二尊院の本堂。
明治維新まで勅使参詣があったという二尊院、勅使門は後柏原天皇宸筆の「小倉山」の勅額が無言で格を語ります。鄙びた雰囲気の嵯峨野の奥にあって二尊院の気品というか格の高さは孤高の輝きがあります。
後柏原天皇宸筆の勅額のある勅使門。
※1 追伸
この時投句箱に入れた一句がなんと入選(しかも秀句!!!)し、落柿舎の季刊誌 平成30年秋季号 通巻230号に掲載されました。ここで鼻高々に一句を公表いたします。
緑染む山に無言の力あり
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コメント一欄
1. Posted by しげたか 2018年08月18日 12:23
昔の山陰線は小倉山と桂川に挟まれてグニャグニャ走っていました。今の線路はその小倉山をトンネルで貫いています。不思議なもので、貫いてしまうと山の存在を忘れがちになります。その小倉山、麓はインバウンド観光客等等でエライ事になっていますが、中腹からの眺めは昔から変わっていないようですね。
2. Posted by kousuke 2018年08月19日 08:15
しげたかさん。コメントありがとうございます。そのグニャグニャが現在のトロッコ列車ですよね。山陰線はたしかに便利になりましたが、一方で失われたものもありますね。
竹林のあたりはすごい人混みでしたが、常寂光寺辺りまで来るとだいぶ人は少なくなりました。
竹林のあたりはすごい人混みでしたが、常寂光寺辺りまで来るとだいぶ人は少なくなりました。