後藤 仁「中国(南京・揚州・西寧・敦煌・上海)写生・絵本研究旅行」 その6 | 後藤 仁(GOTO JIN)の日本画・絵本便り

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後藤仁ブログ2~絵師(日本画家・絵本画家、天井画・金唐革紙)後藤仁の日本画・絵本・展覧会便り。東京藝大日本画卒,後藤純男門下。「アジア/日本の美人画」をテーマに描く。東京藝大,東京造形大講師。金唐革紙製作技術保持。日本美術家連盟,絵本学会,日中文化交流協会会員。

 2019年9月10日(火)~21日(土) 「中国(南京・揚州・西寧・敦煌・上海) 写生・絵本研究旅行」(12日間) その6です。 

 

 10日目、9月19日(木)。いよいよ本日は、私が日本画家としても人としても最も憧れの地である「敦煌 莫高窟」を訪れます。10歳の頃にテレビドラマ「西遊記」を観て、夏目雅子が演じる三蔵法師の美しさと堺 正章が演じる孫悟空の面白さにはまり、中学生の頃にNHK 「シルクロード」を観て本格的に中国文化に憧れ、大学3年生の「中国(北京・西安)の旅」では敦煌行きの航空券が満席で取れずに敦煌行きを逃し・・・、その後も、行きたい行かねばと焦がれつつ、何の縁か訪れる機会が遅れ続けた敦煌。その敦煌 莫高窟に向かいます。期待と興奮が最高潮に達していました・・・。 

 朝5時には目が覚め、今日は出発が早いので朝食は部屋で、あちこちでもらったお菓子類を食べました。部屋には初日からウエルカムフルーツが置いてあったので、それもいただきました。6時50分にホテルのロビーに集合して、車で出発!!   

 

 敦煌市内から莫高窟までは車ですぐです。到着すると、朝早いというのに人が結構いました。チケットをいただき、参ります~。チケット代は結構高いようですが、今回の旅では全て中国の出版社が持ってくれて大助かりです。感謝~。 

 莫高窟を管理研究する「敦煌研究院」の初代院長のご子息の常 嘉煌さんもここで合流。今回は常さんのはからいで、現在はあまり一般公開をしていないという、特別窟中の超特別窟が見れるというので、期待も一層高まります。現在の敦煌 莫高窟は、自由参観が一切許されておらず、ガイドを付けた完全予約管理参観のみになっています。最初に敦煌の歴史を描いた映像2本を、大きなホールで鑑賞。なかなかよくできた映像です。そうしてようやく石窟に入れます・・・。 

 石窟群は綺麗に整備され、観光客が朝からわんさかいます。私達はその人混みから外れ、第45窟〔盛唐〕に入ります。ここには私も幼少期から写真で何度も見て憧れてきた、あの素晴らしい7体の立像群が佇立していました。特に右側の菩薩立像の美しさには目を見張ります。この均整のとれた完璧なる美はいかなるものか・・・。どうしたら、このような完全なる造形を人が成し得るのか・・・。感動に身が震えます。左の南壁に描かれた「法華経変図」の観音菩薩も極めて美しく優れています。 

(窟内は写真撮影禁止です。現場ではガイドと私の手持ちの懐中電灯だけの薄暗い中で鑑賞します。鑑賞時間もとても短く、完全には見きれません。私は、2008年にNHKで放送された「敦煌莫高窟 美の全貌」を録画していたので、旅の後、その映像や莫高窟の書籍を見直して、じっくり検証しました。) 

 次に、第57窟〔初唐〕を鑑賞。この窟です、私が最も拝観したかった美の権化、南壁「樹下説法図」があるのです。現在は公開される事が少ないというこの窟に入れたのは、この上ない幸福でした。7世紀・唐時代の美意識の崇高さがうかがえます。全ての壁画が極めて高いレベルに達していますが、中でも、中央の菩薩像のこの世のものとは思えない美しさには、心底陶酔します。瓔珞の金の盛り上げの華麗さもさる事ながら、ほの白きかんばせの清らかさ・たおやかさは、心をとらえて離しません。画工の筆さばきの流麗さは、神妙なる領域に達しています。・・・・2004年にインド・アジャンター石窟寺院の「蓮華手菩薩」を拝観した時以来の感動的な菩薩でした。ただ、アジャンターでは当時、自由拝観ができ、ざっくりとした時間制限はありましたが、何とかねばって居座って、菩薩像を軽く鉛筆で模写できました。その時は一人旅でもあり、ゆっくり時間も取れ、たった一人で広い窟内を独占できる時間もあり、涙するほどの感動を味わう事ができたのです。2016年のスリランカ旅行でも、シーギリヤ・ロックやダンブッラ石窟寺院の壁画を自由参観・写生できました。・・・・ところが今回は、集団行動での短時間の拝観なので、どこか事務的でゆとりがありません。ただ、「虻蜂取らず」「足るを知る」とも称しますので、仕方ないです・・・。 

 ここまでの2窟は「特別窟」といって、追加料金を払わないと拝観できないのですが、その窟の選択はガイドに任されているといい、今回入窟できた第45窟・第57窟の拝観は通常の観光旅行ではなかなかできないかも知れません。 

 

 この後は通常窟ですが、ここにも名窟がたくさんあります。ただ観光客が多過ぎて、しっかり見れないのが難点です。第323(324・325)窟〔初唐〕、この窟は3窟がつながっています。ここには「張騫(ちょうけん)西域出使図」が描かれています。張騫は、西域の交流ルートを開拓したという前漢時代の外交使節です。 

 第16・17窟「三層楼」〔晩唐〕、この窟は第16窟の脇に、20世紀初頭、新たに小さな第17窟が発見された事で有名です。今では「蔵経堂」と呼ばれますが、たくさんの敦煌文書が詰まっていたのです。 

 第257窟〔北魏〕には、「九色鹿本生図」があります。この話は釈迦の前世譚(ジャータカ)ですが、私も絵本で描いた「金色の鹿」(バングラデシュ民話/子供教育出版)等のアジア各国の民話にも影響を与えています。 

 第249窟〔西魏〕、この窟には立派な大壁画が残されています。阿修羅・風神・雷神・雨師(うし)・霹電(へきでん)・羽人(うじん)・迦楼羅・摩尼(まに)・開明(かいめい)・伎楽天・黄羊(こうよう)・獅子・猿・牛・猪 等が所狭しと乱舞しています。自由で伸びやかな筆致は素晴らしく心地良いのです。色彩も見事で、緑色の緑青(孔雀石)もきれいですが、青色顔料・ラピスラズリの軽快・鮮烈な美しさは絶品です。日本画では古来より、青色の代表として群青(藍銅鉱)が用いられてきました。原料調達の都合もあるのでしょうが、その深く濃厚な青色が日本人の抑制的で渋さを好む精神、祈りの心に合ったのです。それに比して中国・西域の人々には、この軽妙で開放的な、明るい青色のラピスラズリが合ったのでしょう。 

 そして、第244窟〔隋〕(隋末~唐初にかけての優れた菩薩像がある)、第237窟〔中唐〕(南壁・観無量寿経変図に反弾琵琶の舞が、東壁・維摩詰経変図にはチベット等の少数民族の王達が描かれている)を見て、最後に莫高窟のシンボル、第96窟「九層楼」〔初唐〕を鑑賞。高さ34.5mの「北大仏(弥勒大仏)」の巨大さに驚きます。 

 

 極めて高いレベルの作品群に圧倒・感動しながらも、多い日は一日6000人も訪れるという観光客の多さに辟易しました。日本人は意外に目立たず、ほとんどが中国人観光客でした。今、中国は空前の観光ブームです。本当なら、じっくりと遺跡周辺をスケッチしたかったのですが、今回は集団旅行なので不可能です。九層楼前で記念撮影をして、遺跡内の土産物屋で敦煌石窟の本(250元/現在、1元=約15円)を購入して、後ろ髪を引かれながらも、莫高窟を後にしました。 

 

「敦煌 莫高窟」 日本甘粛同郷会・常 嘉煌さん、北京の児童書出版社編集長・唐 亜明さん、北京・南京の児童書出版社の方々、絵本作家の皆さんと。 

「敦煌 莫高窟」 第96窟「九層楼」前にて。 

 

 

 この後、車で少し移動して、「敦煌研究院」に立ち寄る事ができました。敦煌研究院と東京藝術大学 日本画専攻(主に平山郁夫先生の研究室)とは長く深い交流の歴史があるので、これは良い機会でした。「敦煌研究院」の貴重な書庫で敦煌関係の書籍を拝見。 

 かつて留学生として東京藝術大学に来ていた時に私との交流があった、当時、敦煌研究院の研究生だった高 山(こう ざん)さんの事を、ここの研究者の方に聞いてみると、知っていました。当時、高さんのアパートで手作りの豆腐餃子をご馳走してもらったりと、親しくさせていただいたのです。高さんが中国に戻られてから、NHK 「新シルクロード」に出演しているのを見ました。その後、敦煌研究院を離れ、画家として活動しているという話は聞いていましたが、今でも中国で大変活躍されているそうです。学生時代の良き思い出の高さんが、今も第一線で頑張っておられるとの事で嬉しかったです。 

 

「敦煌研究院」 敦煌研究院 研究者と 

 

 

 遅めの昼食を、敦煌の食堂で取りました。あまりよくは覚えていませんが、写真を見直すと、ロバ肉入りの汁無し麺をいただいています。 

 その後、敦煌の名所、「鳴沙山・月牙泉」を観光。ここはシルクロードのオアシス、夢想の別天地です・・・。ところが今は、観光客の人の山。子供の頃から夢にまで見た辺境の地・鳴沙山には、300頭を超えるかと思われるラクダがつながれ、観光客がひっきりなしに列をなして、ラクダに乗って山を登ります。かつて命がけで隊商がラクダで往来した敦煌も、今では商売人のかっこうの観光収入の源泉です。出版社のご厚意で、私達もラクダで鳴沙山を登りました。ラクダの背中はとても揺れます。ラクダの背中の剛毛で擦れて、ズボンから出た足首が痛い~。タイ王国とラオスでインド象には乗った事がありますが、象と同様、ラクダも決して乗りやすい乗り物ではないようです。面白いには面白かったですが、これではまるでテーマパークですね~。 

 次に月牙泉に向かいます。月牙泉を俯瞰した平山郁夫先生の有名な日本画がありますが、その真似ではないのですが、私も一度、月牙泉の俯瞰図を描いてみたいと思っていたのです。・・・ここも人の山です。私は頭の中だけでも、古のオアシスの、人一人いない静謐なる寺院と泉面をイメージしてみました。月牙泉の裏山に登る時間が無いという事で、この地を後にしました。最後に観光用電動自動車の後部に座り、鳴沙山・月牙泉を見送りながら、私は複雑な心境でいました・・・。 

 

 私が何十年も憧れ続けて、ようやく夢が叶ったこの日。たしかに極めて優れた壁画・彫像の数々、間違いなく素晴らし過ぎる美術品に出会いました。しかし、かつてはここにたどり着く事すら困難な祈りの地・美術の地であった敦煌に、今ではいかにも容易に興味本位や物見遊山であまりにも多くの人々が押しかけています。人は皆平等なので、私がとやかく言う権利など一切ないのは分かっています。ただ、果たしてこの中のどれ位の人々が、本当に敬虔な祈りの心や真実の造詣・審美眼を持って、この素晴らしい文物を心から愛でているのかなという疑問にとらわれていました・・・。不思議な心持ちでしたが、少し虚しい想いで、私はこの地を見送りました。きっとまた、一人で来て、せめて在りし日の光景を思い浮かべながら描こう・・・、とは願っていました。 

 

「鳴沙山」 ラクダは続くよ~、どこまでも~~🎵 ラクダの列が延々と続く光景、かつての隊商の旅もこうだったのかな・・・⁉。 

「月牙泉」 静かなオアシスをイメージしていたのだが、ここにも人がいっぱい~ (@_@) 。 

「月牙泉」 敦煌の日差しはとてもきついので、しっかりとした日除けがかかせないのです。 

 

 

 この日の夕食は、いつもご馳走されてばかりでは良くないというので、敦煌での最後の夜に、私達日本人作家と唐さんとで中国の出版社の人をもてなそうという事になりました。唐さんがネットで調べたという、敦煌市内の日本風鉄板焼きの店に行きました。食べてみると純中国風の濃いい味付けで、少なくとも日本の鉄板焼きではなかったです。やはり「郷に入れば郷に従え」という言葉通り、地元の味が一番なのですね。 

 

 外は既に真っ暗です。夕食からの帰りは各々バラバラになり、それぞれ気になる店に寄ったりしながらホテルに帰りました。敦煌夜市の大通り(商業一条街)があったので入ってみました。いつしか中国人編集者達とは徐々に離れ、唐さん、絵本作家・齋藤隆夫さんと3人で一緒に歩いていました。唐さんがどこかに寄ると言うので、最後は齋藤さんと2人で夜市を見て歩きました。唐さんは「ホテルに2人だけで帰れますか」と心配されていましたが、私は党河の流れる方角だけ確認したら、「大丈夫です」と答えました。私はこの数日の間に、朝夕、ホテルの周囲を歩いて、頭の中に完全な敦煌市の地図を描いていたのです。こうして私はいつも、海外一人旅をこなしてきたのです。 

 商業一条街を過ぎ、暗く静かな通りをしばらく歩くと、莫高書城という小さな書店を見付けました。中国での絵本・児童書市場の現状を視察・研究するというのも、今回の旅の目的でもあるので、この店に入りました。こんな西域の地の小さな本屋でも絵本・児童書が結構置いてあり、中でも「100万回生きたねこ」の翻訳本が置いてあるのが目立ちました。 

 ホテルに近づいてきたので、党河の河畔に出てみました。河岸はイルミネーションできらびやかに飾られています。上海でもあるまいし、かつての辺境の地が、今ではこんなに派手に変貌した事に驚きます。川をぼんやりと眺めながら、齋藤さんに静かに話しかけました・・・、「正直言って、今回の敦煌にはがっかりしました・・・。せっかくご招待いただいた中国の出版社の方には到底言えませんが、やはり20年前までに敦煌に行っておけば良かった。もう少し静かな環境で敦煌の美をしっかりと味わいたかったのです。今の中国の虚栄的繁栄はいつまで続くのでしょうかね・・・。」私の心の中では、「日本もまたしかり」とささやいていましたが・・・。齋藤さんはわずかに驚かれたような様子で、「そうでしたか・・・。日本の60年代後半のヒッピーの時代を思い出しますね~。さあ、たぶん続かないでしょう・・・。」とつぶやかれました。 

 

敦煌夜市を何も買わずにぶらつく~。夜市の雰囲気はいいね! 

 

 

 少年・青年時代からシルクロード・敦煌に憧れ続けた私は、いつしか頭の中に崇高な理想郷を描いていただけなのかも知れません・・・。空想は膨らみ、現実を越えて私の中の真実となり、作品制作の原動力にもなりました。その幻影世界と現実世界とのギャップに、今回、困惑を感じただけなのかも知れませんね。この文を書いている今でも実に妙な心境なのですが、この私の中の桃源郷は、この後も、パラレルワールドとしてきっと存続し続ける事でしょう。 

 

 感動と興奮と・・・失望と諦念と・・・、複雑な心境のリフレインに、どう答えを出したらよいものか戸惑いながら、この日は眠りにつきました。

 旅も残すところ、泣いても笑っても後2日となりました。明日は上海に向かいます。この模様はまた次回といたしましょう・・・。 

 

  絵師(日本画家・絵本画家) 後藤 仁