記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

ロープウェイvsロープウェー/ごぼ天うどんvsごぼう天うどん

2020年02月18日 22時00分34秒 | 福博まちの記憶

昨年末、阿蘇山ロープウェーの再建断念のニュースが流れ、密かなロープウェイファンとしては残念な気持ちでいっぱいです。かつて何度も利用させていただき、思い出もたくさんあります。

昔のパンフを眺めていて気づいたことの一つは、いつから「ロープウェー」と表記が変わったんでしょうかという疑問。昔の公式パンフはどれも「ロープウェイ」表記です。これは、ビアガーデンが以前は「ビヤガーデン」と表記されていたのと同じ理由かもしれません。ビルも古いものほど「ビルディング」「ビルヂング」表記ですし、時代の流れの中で衰退する表現はたくさんありますね。

そういえば博多に永年住んでいて、最近気になっているのは「ごぼう天」うどんのメニュー表記です。口頭では「ごぼ天」という博多の人も多い印象ですが、お店ごとに少し調べると「ごぼ天」「ゴボ天」表記をしているのはごくわずか。地元では製麺屋さんが始めた中世博多うどんの「春月庵/誠月庵」さんだけで、ココはうどんを食べる方より蕎麦を食べる方が大半なので影響少なし(明太子のふくやさんがイベント復刻で「元祖ごぼ天」と表記も)。実のところ「ごぼ天」と表記しているのは、北九州から福岡都市圏に進出してきた「資さんうどん」など北九州発の僅かなお店です。

博多のうどん店で少し聴き取りをすると「うちはごぼう(天)です」と強調するお店も複数ありました。かろのうろんでは、ご主人に伺うと「博多んもんは口ではごぼ天、メニュー表記はごぼう天ですよ」との事。使い分けている理由のひとつとして、博多で一番スタンダードなうどんメニューが練りモノの「丸天うどん」である事と関係が深いようです。つまり、練り物の「ごぼ天」と、かき揚げタイプの「ごぼう天」を分けていたのかも。

昔から博多は蒲鉾などの練りモノの産地でもあり、昭和時代のガイドブック等を調べても代表メニューに「ごぼう天」は登場しません。唯一、現在の天神1丁目2区(お茶漬け「よし田」さん付近)に戦前あった「おとちゃんうどん」で、揚げたての天ぷらをうどんに入れ、その中にごぼう天(本などで調べるとかき揚げタイプのようですが)があって人気だったとか。実際に同店で戦前、ごぼう天うどんを食べたことがある大先輩の証言も3名伺い、美味しさが忘れられないとの事でした。

東京などでは「ごぼ天」表記が当たり前ですし、大手カップ麺メーカーも「ごぼ天」です。しかし、福岡市など九州地場で売られているカップ麺は「ごぼう天」表記中心。やはり製造者は意識しているんでしょうね。

現在、多くの博多のうどん店で出てくる「ごぼう天」は、薄くスライスしたかき揚げタイプと薄く棒状にしたタイプがあるようですが、丸天と区別するという意味では、丸天と同じ丸かき揚げの中にスライスしたごぼうを入れる「因幡うどん」のごぼう天に大きなヒントがありそうです。近いうちに因幡うどんさんでメニュー誕生の経緯などを伺いたいと思ってます。

ちなみにチェーン店ではウエストや牧のうどんは「ごぼう天」、資さんだけが「ごぼ天」です。豊前裏打ち会などのうどん店も「ごぼう天」表記が殆どのようですね。例外というか、使い分けが素晴らしいなと思うのが、西鉄グループの「やりうどん」です。なんと、西鉄福岡(天神)駅など福岡都市圏にあるお店に置かれたメニューは「ごぼう天」、北九州・小倉砂津のチャチャタウンの店舗は「ごぼ天」でした。

まあ、美味しければどうでもいい事ですけど(私は資さんも春月庵もよく行くので)、文筆に携わる者として少し調べてみたくなった次第です。

 

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