記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

足元に注目すると街の歴史が見えてくる

2020年02月18日 20時29分24秒 | 福博まちの記憶

道路を歩くと地面には様々な「印」が埋め込まれていて退屈しません。中でも好きなのが歩道上などに多く埋められている「境界標(プレート)」、1枚目の写真が何処の場所なのか想像するのも楽しかったりします。

1枚目の境界標があるのは、西鉄電車のこんな写真を撮ることができる井尻5号踏切そばの歩道上です。一見すると単一の歩道ですが、線路側は西鉄さんの敷地で、線路から離れた場所は福岡市(市道の一部)、そして歩道の真ん中に九電さんの鉄塔があり、その上を福岡市都市高速道路が走っています。

同じ場所で振り返ると、大きなカーブを降りながら走る西鉄電車。カーブと高低差があるので線路スレスレな迫力ある写真が遠目からでも撮ることができるので気に入っています。

次の「塩区」と書かれた境界標は何処にあるのか。これは西鉄大橋駅の周囲に広範囲にわたって歩道上などにあります。これは昭和53年の大橋駅高架移転を経て、平成3年に事業完了した政令都市・福岡市最初の大事業「塩原地区土地区画整理事業」の区画を示したもの。

まちの歴史というのは、実は足元にかなりの痕跡が遺ります。2019年5月に放送したFBSめんたいワイド「ひと駅ノスタルジー」大橋駅編は、この事業の内容を前提にしに街の方々に歴史を聞きました。頻繁に水害が起きた街を副都心に再生した大事業は、ブラタモリで取り上げてもらってもいい壮大な内容でした。大橋駅西口広場にある大樟が事業の象徴(塩原の地禄神社にあった御神木が区画整理で道路に掛かり移植)だそうです。

昔の境界標は石などでできた「石柱」でした。それが次第に金属製のプレートになります。これは日本地理などで学んだ「水準点」「三角点」も同じ。最近はGPSを活用した電子基準点などに置き換わってきて、昔ながらの石柱の「一等水準点」は金属製プレートに置き換わっています。福岡市内をみても石柱のものは数カ所になり、大半が金属プレートになりました。そして数カ所ではデザインマンホールになっています。

何の知識のない、初めて訪れた街でも、観光案内板や観光ガイドだけでなく足元にも注目してみると、案外新鮮な発見があるかもしれません。先日、柳川市の中心部を散策しましたが、旧城下町だけに土地の所有区分が複雑らしく、随所に「地籍多角地点」の境界標があって驚きました。

 

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