「脳と際立つと誤用」 | 福盛貴弘の脳炎日記

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日常生活で起きたことを素朴に書き記しています。
まずは、予告編2編をご覧ください。

先日、トルクメニスタン語の音声をyoutubeで公開。

といっても、1978年にカセットテープで録音されたもの。

 

すでに、『トルクメン語入門-キリル文字編-』の付属CDで公開はしているが、単語リストに沿って、再編集してみた。

 

 

 

 

私が録音したものではなく、音質は良くない。

もちろん、最新版を出すべきなのだが、当時の貴重な資料として。

 

単語で切り出すと、音質の悪さが極み立つ。

と、FBで書いた時に、同僚から指摘が。

 

「極み立つ」は「際立つ」では? と。

規範的立場に立てば、その通りだと思う。

 

ただ、私はこの場合は極み立つという造語の方がしっくりくる。

ということで、極み立つという表現を好んで使っている。

 

「極み立つ」は、そもそも食べ物系サイトで見かけた表現である。

「旨さが極み立つ」「風味が極み立つ」といった感じで。

 

はじめは、「極たつ」の誤用と受け止めていたが、そうではないと考えた方がいいのではと思い始めた。

 

その後、あまり意識していなかった。公文書では使わないので、この手の駄文でしか使わない。私的文書なら好きに書けるので。

 

そんな中での指摘。ということで、久しぶりに考え直す。

やはり、ここでは「極み立つ」のほうがしっくりくる。

 

「きわだつ」は<他者との比較>、「きわみたつ」は<その特徴自体がよりはっきりする>というのが、同僚の分析。私は、これで合ってると思う。