旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

チェンマイの歌姫1

2019年09月28日 | 旅の風景
 1983年の事だったと思います。だからこの記事を読んでいる人の中にはまだ生まれてもいない人もたくさんおられるでしょう。

 当時の事を表現するのにわかりやすいのはインターネットも、携帯電話も無い時代です。

 前年に初めてヨーロッパへ渡航する機会を親に与えてもらった私は、再渡航をもくろんでアルバイトに精出していたのですが、その当時のヨーロッパへの渡航費用は今から想像もできないほど高額で、学生のアルバイト程度では稼げる金額ではありませんでした。

 1年頑張って稼いでみたものの、届く範囲は東南アジア位まででした。高校生時代、一ノ瀬泰三氏の”地雷を踏んだらさようなら”をはじめとするインドシナのルポルタージュにはまっていた私は、もうしばらくお金をためてヨーロッパへ旅するよりも、東南アジアの風景を目にすることを目指すことにしました。

 これは私にとって、日本国内をキャンプしながらツーリングした以外では初めてのひとり旅だったのです。

 今から思えば、私は少し調子に乗る傾向があるのかもしれません。書店で見つけた”地球の歩き方”を読んでいるうちに自分はいっぱしの旅人としてやっていけるような錯覚を覚えました。その日から、毎日学校で目にする学生たちが、まるで自分より一歩劣った連中に見えたものです。行ってもいないのに、”あの連中は世界に目を向けていない”といった具合です。

 前に上げたような書籍にかぶれていた私は、タイへ着いた後はカンボジア国境のアランヤプラテートかラオス国境のノーンカイの町を目指す事にしたのです。

 当時のバンコクは今のように便利ではなく、英語もほぼ通じませんでした。とにかくガイドブックを頼りに中央駅の目の前で安宿の部屋を確保して、翌日中央駅でノーンカイ行の列車の予約を試みます。ところが窓口でチケットを買う事はできませんでした。その後、長距離寝台列車は全く別の窓口で予約をしなければならなかった事が判りましたし、そのことを窓口で教えてくれていたのだと思いますが、タイ語しか通じないわけですから判るわけがありません(実は地球の歩き方には書いてありましたが、よほどテンパっていたのでしょう。)

 行きたい場所へのチケットも買えず、失意で駅を出てきた私は、気を取り直してバンコク観光を始めました。といってもそのあたりをぶらぶら歩きまわる程度。そんな私に客引きが声をかけてきたわけです。

 彼が紹介してくれたのはチェンマイ行きの地元のバスツアー。2泊3日でチェンマイを観光するのです。

 このままだとバンコクに足止めだと焦っていた私は話に乗りました。客引きの車でツアー会社へ申し込みを済ませたのですが、バスの出発は夜です。それまでの間、客引きがバンコクを案内してくれることになったのですが、当然、良い金蔓と思われた私は彼や彼の家族の食事までおごらされる始末。当時19歳の私は今の私とは違ってh客引き相手に上手く駆け引きする事なんてできませんでした。

 夜になってツアー会社へ送ってもらい、そこからは長距離バスでチェンマイへの旅。スの中でしみじみ考えるのは、今日から数日は宿探しも必要なく、食事もついていて安心できること。とりあえず不安いっぱい、失敗だらけの初めてのひとり旅の数日間、自分が大きな間違いを犯さなければ食と住は確保できた安心感に浸りながら、バスの中で上映されるタイ語吹き替え版のインド映画をボーっと眺め、いつしか眠りに落ちて行ったのでした。

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