バッハ シャコンヌ 1955年頃 モスクワでの録音

先日(2020年6月30日)私の大好きだったポーランド出身の女流ヴァイオリニスト イダ・ヘンデルが亡くなった。享年92歳、生涯独身の孤独な死であった。
父は画家で母は歌の上手なユダヤ人という家庭に育った彼女は3歳半の時すでに姉の使っていたヴァイオリンで母の歌の伴奏をしていたそうである。
その後ワルシャワからロンドンに渡り、1935年の第一回のヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールに僅か7歳で出場し7位に入賞している。
このコンクールは15歳のジネット・ヌヴーが優勝、2位は23歳の後の大巨匠ダヴィド・オイストラフで、そのダヴィド・オイストラフが15歳のジネット・ヌヴーの「情熱」に完敗したことを自ら認めたという有名なコンクールである。それから彼女はヌヴーと同じようにカール・フレッシュのみならずジョルジュ・エネスコにも師事することになる。(ちなみにこのコンクールではその後精神病を患い夭折する11歳の同じポーランド出身で同じカール・フレッシュ門下の悲劇の天才ヨーゼフ・ハシッドが名誉ディプロマを受賞している)
5年ほど前来日した時、年齢からいってもおそらくこれが最後の来日だろうと思った私は妻と二人分のチケットを買い遠路東京は汐留の朝日新聞のホールへでかけた。そのコンサートは主催者の不手際で散々待たされた挙句中止になってしまったのだけれど、ホールの最前列や通路で実物の彼女を見ることができたのはせめてもの救いであった。

イダ・ヘンデルが出すあの「音」は何によって作られたのだろうか?ユダヤ系のポーランド人の家庭の第二次世界大戦における運命を考えた時、幼少期にその才能によってロンドンへ(結果的に)逃れることができた彼女の戦争体験や、身近で見た姉弟子であるジネット・ヌヴーの影響等が大きいと思われるけれど、後年は何といっても指揮者セルジュ・チェリビダッケとの「音楽的恋愛」とでも言っていい出会いに因るところが大きいのだろう。チェリビダッケとのブラームスのV協の演奏は霊感と生(せい)のエネルギーに満ちた素晴らしい演奏である。彼女の告白によるとチェリビダッケとは音楽を超えて本当の恋愛に近いものがあったらしいけれども・・・

彼女は「芸術とはテクニックではなくそのテクニック使ってする<何か>なのだ」と言っている。テクニックさえあれば食べていけると思っている数多くの「演奏家」はこの言葉を噛み締めていただきたいと切に思う。
<他の追随を許さない>という言い方がある。私もそのように評価される演奏が大好きなのだが、<何によって>他の追随を許さないのかが大問題である。ヤッシャ・ハイフェッツが<テクニックの完璧さ>において他の追随を許さないというのは多分衆目の一致するところだが、イダ・ヘンデルは「演奏家」の真の目的=<深い精神性を感じさせる解釈と驚異的な集中力による情熱的・確信的な表現>において他の追随を許さないのである。コレルリの「ラ・フォーリア」もバッハの「シャコンヌ」もタルティーニの「悪魔のトリル」も大戦後から今世紀までの色々な演奏家の録音を聴いたけれども彼女以上の演奏には私は未だ出会っていない。全くもって他の追随を許さないのである。
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