昨日は、男根主義セッ◯スが、現代のセッ◯スの当たり前になっていて、その思い込みを捨てないと男女ともに苦しくなるという話をしました。
まだ読んでいない方は、上記のブログを読んでみてくださいね。
今日は、AV男優の森林原人さんが勧めている3ない(勃起、挿入、射精のない)セッ◯スのお話をしたいと思います。
森林さんは、そもそもセッ◯スに関して次のように言ってます。
「本来、社会とか国がみんながそれぞれ1人で生きていけるように様々な条件を整えるべき。
その上で、1人で生きているけど1人では寂しいから2人で生きたらもっと楽しいから、誰か気の合う人とつながりたい。セッ◯スはその欲求の行為。」
その上で、森林さんは、人間のセッ◯スの本質を以下のように定義しています。
1.セキュリティ
触れ合うぬくもりから安心感を得たい
2.プレジュアリング
緊張から解き放たれて戯れたい
3.パンパー
幼児のようになって甘えたり甘えられたりしたい
4.コミュニケーション
相手に喜ばれて価値ある自分を感じたい
5.ヒーリング
抱きしめあって寂しさを癒したい
6.タッチング
触って触られていい気持ちになりたい
さぁどうでしょう?
今まで刷り込まれたセッ◯ス感とはだいぶ違うのではないでしょうか?
これらは、どれも2人の間のつながり感を感じられるものですよね。
そして、肉体的というよりも、精神的な側面が強いと思いませんか!?
この定義を見たとき、以前のブログに書いたAV男優の日比野達郎さんの言葉と一緒だと思いました。
精神的につながり感を得られたときに、人は幸せに包まれるのだと思います。
それが感じられるものを森林さんは、本質的なセッ◯スと言っています。
そして、この本質をふまえて、体現していくために必要な価値観や技術が伴ったものを森林さんは文化的セッ◯スと呼んでいます。
思いやり深い会話から始まって快いタッチング、抱擁、睦あい、キス、オーラルなど、セクシャルプージャー(性的な意味合いを持ったコミュニケーションや戯れ)を含む行為が文化的セッ◯スというわけです。
勃起、挿入、射精を目的とした男根主義セッ◯スとは、全く違います。
では、文化的セッ◯スは、勃起、挿入、射精をしてはいけないのか!?
というとそういう訳ではありません。
してもいいんです。
ただ、それが目的ではないということです。
そして、文化的セッ◯スでも、森林さんはオーガズムは迎えられるとおっしゃってました。
逆に男根主義セッ◯スでは、オーガズムは迎えられないのでは?と私は思いました。
愛が無い肉体的な目的だけのセッ◯スでは、本当の幸せ感には包まれないと思うからです。
だから、森林さんは、文化的セッ◯スを勧めているのだと思います。
そして、文化的セッ◯スには、他にも素晴らしい側面があります。
それは、いくつになっても出来るという点です。
世の中の男性は、立たなくなったら終わりと思い込んでいます。
立たなければ女性を喜ばすことは出来ないと。
しかし、それは違うと森林さんは言い切ります。
実際、女性は、それを望んでいる訳では無いとも言われてました。
実際、ある女性から私も聞いたことがあるですが。
女性向けの性感マッサージに行ったときの話。
男性からの優しい言葉と優しいタッチだけで充分に気持ち良くなったと言ってました。
挿入しなくても満たされたというのです。
また、森林さんは、セッ◯スの話をしていた時、AV男優がみんな同じ意見だったことがあると。
それは、どんな女性であろうと挿入後は全く違いもなく、差がないということ。
すなわち、セッ◯スは、前戯が全てだというのです。
前戯こそが、バリエーションがあり、クリエイティブな部分だと。
2人で創作出来る楽しい時間だと。
前戯こそが大切なんだと言ってました。
まさに、3ないセッ◯スの部分です。
文化的セッ◯スであれば、いくつになっても出来て、そして充分に心が満たされ、幸せに包まれるというのです。
と、ここまで書いていて、あることに気がつきました。
大分前のブログに書きましたが、実は私は2度離婚しています。
そして、その原因はセッ◯スレスが原因と思っていました。
男根主義セッ◯スをしなかったことが原因と思っていたのです。
しかし…
実は、文化的セッ◯スをしなかったことが原因だと今気がつきました。
別れた2人の元妻は、文化的セッ◯スを望んでいたのだと思います。
決して、男根主義セッ◯スを望んでいたわけではないと気づきました。
ハグだけでも良かったのかもしれません…
今日は、文化的セッ◯スのお話でした。
子供の頃から刷り込まれたセッ◯スの概念。
そろそろ、捨てた方が良いのかもしれません。