blog日和。

小さい頃に言った「将来」はもうすぐそこにある。
僕はその将来のためにもう少しがんばれるのかなぁ・・・。

なんてことないけれど。

2019年11月12日 00時05分33秒 | Weblog
お久しぶりです。ども。まいくです。

毎回、ブログを書くたびに「お久しぶりです」って書いている気がする。

ずーっと書いていないブログだが、たまーに覗いてみたくなるのである。
なんとなく、ここは僕の帰る場所というか、原点というか、本質というか、正直でいられる場所というか、なんでもいい場所というか…。

学会や職場での学術的な発表以外でのアウトプットできる唯一の場所なのである。
さらに言えばどうでもいいことをつらつらと書ける唯一の場所なのである。

ね、↑の224文字なんて何の意味もないどーでもいい文章だが、僕にとっては発信した言葉なのである。


最近、人生初の除毛をした。
すね毛を除毛クリームで。

僕は別に毛は濃くない方だと思うが(何なら頭皮は薄いh)、すね毛とVIOだけやたらと生えていて、不潔だし部屋に散らかったりして困っていた。

VIOに関して本当は永久脱毛したいくらいだが金銭的に余裕がないというか、そんなことに金かけるくらいなら良いすき焼き屋さんとかうなぎ屋さんとか行きまくるわっつー感じで。

でも除毛クリームなら安いし手軽なのでやってみようと思ってやってみた。

やってみたらこれがまあ面白いのなんの。
黒いオーラを纏っているようにも見える僕のすね毛がものの数分で綺麗さっぱりなくなってしまった。
そのすね毛が消えていく様を彼女に動画を撮って貰っていたので、これはどうにかせんともったいないとインスタを始めた。

そう、これはインスタっつーかSNSの話。

それからたまたま大阪出張があったり、予約の取れない焼肉屋さんに行くことがあったりしてインスタをたびたび更新していた。

僕はこのブログ以外やったことがなくて、初SNSを始めて数週間で挫折気味である。

なんだか、ずーっと人と繋がっている感じがしてきつい。
別に見られている感じとか監視されているとかではないんだが、単に繋がっている感がどうにも苦手である。

ひとりの時はひとりで良くね?みたいな。

通知切れば良い話だしアナログな考え方だと分かっているのだが、急にスマホが「繋がる機械」ではなく「繋がっている機械」に思えてきて、恐くなってきたのである。

てなわけで、割とアナログチックなブログを改めて認識したいと思って適当に文章を書いた。


あー、ブログはいいものだ。

けど毎日書くのはやっぱり無理め。

こうやってたまーに書ければいいかな。

鼻中隔湾曲症の手術について~術後13日目と38日目~

2019年04月05日 00時16分24秒 | 鼻中隔湾曲症
ども。まいくです。

さて、鼻中隔湾曲症についての記事もこれで最後になる。

来る術後13日目、仕事の午前半休を取って病院へ向かった。

退院から次の外来の予約は都合に合わせる形ではなく、決定したとの報告を受けたので時間が遅めに設定されていてスマートに診察が終わってもかなりギリギリなのであった。
遅いのは嫌だとその場で言えよってな話だが、術後一日目のスーパー鬱タイムに言われても考える能力ゼロである。

てなわけで可能な限り早く病院を出たかったので予約時間の2時間前には到着した。

多少は早くなるか上手くいけばぬるっと一抜けできんじゃね?とか思っていたが甘すぎるほど考えが甘かった。
ちょうど3月中旬の花粉症の時期で耳鼻科外来はパンク寸前で、けっきょく予約時間を少し過ぎての診察になった。

かなり待ったがそんなことはどうでも良くて、なんなら仕事に遅刻しそうなこともどうでも良くて、やっとシリコンプレートが抜ける!と心が躍った。

躍った。たしかにその時心は躍っていたと思う。

しかし、この日私のシリコンプレートは抜かれなかった。

以前も書いたかもしれないが、そもそも私の鼻中隔湾曲は上顎の根元の骨から曲がっていて、普通の人よりオペが難しいと言われていた。
そう、難しいだけでなく普通の人なら軟骨だけで済むところを私はがっつり骨を抜去しているので、プレートは通常2週間留置のところ1カ月留置だったのである。ジーザス…ジーザス…。

つーかそれなら言っとけよ!

診察時に医師に根掘り葉掘り訊くことの重要性を改めて感じた。

んで、この日は残ったガーゼやらゴミやら鼻くそやらを吸引して貰って終了。
普段の生活をしていいが出来るだけ綿球を入れておくことと、鼻に触れないようにと言われた。抗生剤などの投薬は継続。

けっきょく仕事には間に合わず全休にして貰ったので、ヤケクソになって映画を観た。観たかった映画だったし!ふーんだ!てきな。
映画の時間までは暇つぶしに個室ビデオ屋さんでオナニーしながら2週間ぶりのビール。映画館に着いてもまたビール。
衝撃的っつーほどでもないけれど、体に染みる美味さだった。
ちなみに観た映画はコードギアス。驚きの連続で面白かった。

「普段の生活」と「出来るだけ」綿球とのことで、酒解禁・綿球を放棄した。

一度快適な鼻呼吸をしてしまうと、なかなか戻れないのである。
本気で辛かった術後数日と比べると屁みたいな鼻閉だが、それでも鼻呼吸が恋しくなってしまうのである。

鼻うがいは積極的に続けた。


それからは特に問題ない生活を続けられた。

鼻に異物感・違和感はあるものの、術前に比べれば圧倒的な鼻の通り方であった。

一番驚いたのが、机に突っ伏したりして鼻に血液が集まっているのを感じても鼻が詰まらないのである。「これが普通の人の鼻なのか…」と思った。


んで、予約の日程が合わず次の外来はタイトルの通り術後39日目になってしまった。

今回はなるべく早い時間にと指定できたので午前半休で仕事は間に合った。

待ちに待ったシリコンプレート抜去である!

同僚に旦那さんが同じ病院で同じ手術を受けた人がいるのだが、その人曰く、シリコンプレート抜去の時は痛いとのことだったが、私の場合は全く痛みはなかった。
なもんで、けっきょく手術からというもの辛い痛みは全くないと言えるほどだった。

手のひらの1/4は隠れるであろうプレートが両鼻から縦に出てきた。
見た感じかなり柔らかくて薄いものだったので痛くなかったのだろう。
鼻くそやらがくっついて軽くグロなので今回も写真を載せるのはやめる。

通常であればこれで通院は終わるらしいが、やはり僕の場合は2週間ほどずれ込んでいるのか、また6月に外来の予約を取ってさようなら。

外に出て改めて感じる圧倒的な鼻の通り。空気のにおい。風のにおい。
手術をしてから最も幸福感があったのはこの時だと思う。

手術をして良かったとやっと感じることができた。
鼻に問題を抱えている人はいくらナザールをしてもこの鼻の通りは体感できないだろう。

病院を出てから気が付いたが、まだ縫ったであろう糸の結び目が一つ残っている。
次の外来で取ってくれるのかな…。


さて、けっきょく手術をして良かったのか?と訊かれるとYESと答えるが、他人に勧められるかと言われるとそうでもない。それは、それだけ辛かったからである。

術後数日は特に辛かった。なんなら入院中はずっと辛かった。
鼻が詰まっているのと完全閉塞では辛さの度合いどころか質まで違う。
顔面の圧迫感や腫れ、食べるのも飲むのもままならず、定期的に血痰や溶けたガーゼは出るし、熱も出る。
それも簡単に「数日間」などと言うが、当たり前だが「数日間」とは実際に体感するととても長いのである。

退院してからもやりたいことを削って治療に専念する忍耐が必要である。

将来的に考えるとベネフィットは限りなく大きいが、振り返ってみるとリスクも大きいように感じる。

なので、迷っていて背中を押されたい方には申し訳ないが、私は自信を持っておすすめは出来ない。
間違いなく人生に影響するレベルで鼻は快適になるが、それなりに辛いことを理解して欲しい。

まずしっかりと通院・投薬治療と鼻うがい、生活習慣の改善をしてナザール断ちを達成してから考えてみてもいいんじゃないか?と思う。


もし、鼻中隔湾曲症の手術について調べてこんな辺鄙なところに辿り着いた人がいるなら、何か質問があればコメント下さい。


ネットの海に溺れし鼻に悩む同志よ。

鼻中隔湾曲症の手術について~術後9日目から11日目~

2019年03月05日 22時02分27秒 | 鼻中隔湾曲症
ども。まいくです。

術後9日目から11日目。

元々凹側だった穴のガーゼは寝ている間にどろっと抜けた話はしたと思う。

で、逆側だが、最後までどろっとは出なかったが術後9日目からはほぼほぼ開通したと言っても良いほどに通った。

もう綿球を入れていても溶けたガーゼが血とともに付着することは少なく、仕事の時は一回り小さい10mmの綿球を使っていたので、笑ったりするたびに綿球がマスクの中に飛び出すので隠れてしまっていた。

また、眠っているといつもだと数時間に一度は口が乾いて起きていたのだが、マスクの中で綿球が取れていた日があった。その日は実によく眠れる夜だった。

それからというもの、駄目だとは思いつつ夜中に綿球を取ってしまって熟睡することが何度かあった。もうガーゼも取り切れてるし(多分)ある程度は大丈夫だろうと受け止めている。
それと、食事のときにも綿球は外してしまっている。

なにせ鼻洗浄を何度も何度もかなりの量をしていたので許して欲しい。

んで、あさっての術後13日目に外来に行き、シリコンプレートを抜去する予定である。
その時にガーゼが残っていたり、鼻腔が乾いてしまうことによる害がないことを祈る。


手術してからというもの夜になるとやたら眠い。
単に生活が規則正しくなったのだけではなく、口呼吸による睡眠の質の低下があるのではないかと思う。

やはり、退院は治療の終わりではなかったことを痛感する。
正直認識が甘かったと思う。

退院後がむしろ始まり、というのは言い過ぎだが、リハビリ期間は辛く長い。

鼻中隔湾曲症の手術について~術後3日目から7日目~

2019年03月01日 20時25分06秒 | 鼻中隔湾曲症
ども。まいくです。

術後3日目。

退院して次の日には一応休みを取っておいた。
朝検温するも平熱。熱は下がった模様。
入院するときに緊張で発熱する人はたまにいるらしい。私の場合は疲れがたまっていたのかどうなのか。緊張だとしたら恥ずかしい。

ご飯は何を食べても美味しくないので適当にうどんを作ってみると意外とだしの味は感じたりと発見があった。

次の外来は術後2週間ほどに設定されていたのでそれまでは綿球をつけなければならないが、綿球のサイズによっても快適度合いが変わったりする。

私はやや大きめに見える標準サイズを揉みこんで平らにしたところを、鼻の穴に対して縦向きにいれるのが良き感じだった。

この閉塞した生活の中でいかに快適に過ごせるかを一番模索したのがこの日だったと思う。

鼻洗浄は何十回でもしていいと主治医に言われていたので、死ぬほどした。

病院から500mlの生理食塩水を6本貰っていたのだが、この時点で半分以下に減っていたと思う。

それに加えて購入したハナクリンSという鼻洗浄用のボトルには「サーレ」なる計量された塩が入っていたため、それも活用した。
とは言え少なくなってしまってはいけないので、次の日からは生理食塩水の自作を始める。

眠りはかなり浅く、体温の調節が出来ていないのか急に暑くなったり寒くなったりする。


術後4日目。

とうとう出勤日である。

この日の朝にも鼻洗浄をした。
鼻の腫れも引いてきていたので、ほんの少しだけ鼻に空気が通るようになってきた。
けっきょく綿球をするのでまだまだ閉塞感は変わらず話しにくさは満点だが、食べるのが楽になった。変わらず味はしない。

仕事終わり、帰宅するとどっと疲れが出た。
この日は五時ピタドンで帰れたが、残業だったらかなりしんどかったと思う。休めばよかったと後悔した。

全身麻酔の後遺症なのかずっと熱が出ていたからかふらつきが強い。

眠る一歩手前のふわっとした感じを弱くしたふらつきが定期的に起こる。

車の運転や危険な仕事をする人は全身麻酔の後は注意したほうがいいと思う。
出来ることなら一週間は休んだ方がいいと私は思う。

鼻洗浄をするも一日目ほどのガーゼがボロッと排出されることはなく、血にまみれたガーゼのカスが出るのみであった。


術後5日目。

口呼吸にも慣れてきた。慣れても辛く眠れないのには変わりないが。

仕事は非常につらたん。

睡眠は大体2時間に一度起きる程度。
濡れマスクを使ってみたり口に余裕のあるマスクを使ってみたりと試行錯誤するもけっきょくは慣れなのかなと思う。

朝になると口が乾いているのにも関わらず粘ついていることに気づく。
たぶん寝ている間に口に落ち込んでくるガーゼが口腔内に来ているのだと思う。
その所為なのか単に口呼吸だからか歯がざらつくようになってきた。

特に歯の前面がざらざらしていて、歯磨きをしても取れないのである。
ネットで検索するも情報は出ず。
少し心配だがガーゼが取れれば問題はなくなると考える。


術後6日目。

睡眠は3時間に一度起きる程度。

食事や生活パターンにも慣れてきた。

全身麻酔によるふらつきもかなり収まってきていて、ある程度仕事をするには楽になってきた。
元々活舌は悪いがそれに加えてスーパー鼻声なのでいつもよりもさらに聞き取り辛かったようで何度も聞き返される場面に遭遇した。

生理食塩水を自作するのにも少し慣れて、お湯を沸かして冷めてから計量→塩を追加の方法を取るようになった。こういう作業って性格が出ると思う。
この日は職場にもボトルを持って行ってお昼にも鼻洗浄をした。

血とガーゼに著変はなくカスが出るばかりであったが、特に凹側の通りがよくなってきたように感じた。

未明。
口の渇きで起きるのも慣れてきたころ、口と鼻に違和感を覚える。
舌で鼻側を探ると線維のようなものに触れた。これはもしかして…。

咳き込んだりして吸い出すと、血とガーゼの塊がドロッと出てきたのである。

これにより凹側の鼻は開通したようで、冷たい空気が鼻から気管へと通過した。

ずっと空気に触れていなかったからなのか鼻呼吸をすると軽い痛みを感じたので、感動もそこそこに綿球で閉じる。

凸側も空気が少し通るようになってきたものの著変なし。


術後7日目。

現在書いている今日である。

食事の際に通っている凹側の綿球を取ってみると、味と香りを感じた。
だがまだまだ本調子でなく、鼻呼吸が続けられるわけでもないのでたまにクチャラーになりながら(極力気を使いながら)食事を摂った。

今日は朝まで仕事なので早めに寝ようと思う。

はやく凸側も開通しないかなと願いつつ、鼻洗浄を始める。

ここからは体調にほとんど変化は見られないと思うので、開通するなど大きな出来事があったときに更新しようと思う。

とにかく開通、シリコンプレート抜去、旨い食事と旨い酒が欲しい。

風呂、食事、酒、睡眠が満足でない生活に未だ慣れない。

鼻中隔湾曲症の手術について~術後1日目から術後2日目(退院)~

2019年02月28日 22時02分38秒 | 鼻中隔湾曲症
ども。まいくです。
睡眠欲、食欲が満たされず湯舟にも浸かれず、一体なにを楽しみに生きれば良いのか。


術後1日目。

両鼻の圧迫感と閉塞感はより強くなり、痛みはないものの鬱々とした時間を過ごした。

朝ご飯は五分粥で、それだけかと思っていたらしっかりとおかずもついてきた。
しかし、味は全くしない上に完全閉塞のため飲み込むのが辛い。
さりとて食べねば治らぬと自分を奮い立たせて食べるものの完食ならず。

勢いは弱くなったもののひたすらに口からは血痰が出続け、鼻に詰めた綿球は血やら鼻水やらで濡れて定期的に交換する。熱も下がらずなにもする気が起きなかった。

たまに看護師が抗生剤と止血剤の点滴をつけにやって来て、様子を見に来るが特に何もないので伝えることもなし。

自立歩行と飲み物は手術当日の夜からOKだったのでトイレと飲み物を取りに歩くくらい。
あとはシャワーが浴びれないので温かいタオルを取りにナースステーションへ行くだけ。

気づけばお昼ご飯だった。
朝に食べたお粥が楽だったので、夜も次の日の朝もお粥にして貰うことを伝えた。


その後彼女がお見舞いに来てくれた。

汗をひたすらかいていたので着替えと飲み物を買ってきて貰った。

体調も未だ最悪で話すのもままならないので少しの時間を過ごして帰宅。
ついでに退院の会計をして見送った。

それから夕方にまた点滴と内服の眠剤を看護師に貰った。
その時、特に痛みはないと感じていたので痛み止めをいらないと伝え、とにかく辛くなった夜になり欲しいと言うと日勤の看護師が返却してしまったとのこと。阿呆か。頓服用の痛み止めごと返却とかまじで阿呆かと。

正直この時心が折れそうで、ぶっちゃけ少し泣いた。

夜に主治医が様子を見に来たときに「気持ちで負けちゃだめだよ」と言われたのでよっぽど情けない顔をしていたに違いない。「一日何十回でも鼻洗浄していいから、楽になるから頑張って」とも言われて鼻洗浄を死ぬほどやってやろうと心に誓う。

けっきょく、痛み止めという名の鎮静の点滴をかけられ意識を朦朧とさせながら就寝→数十分ごとに起きるを繰り返した。

痛み止めをしてから私は痛かったんだと気が付いた。
圧迫感や違和感に紛れて気が付かなかったのかもしれない。


術後2日目。

退院日である。鼻洗浄を開始する日でもあった。
鼻洗浄と言われても、完全閉塞だけど水の通り道なんてあるのか?と疑問になりながらもやってみると、わずかにだが口側に水が通る。

何回でもしていいとの主治医の言葉があったのでこの時点で500ml以上はしたと思う。
血やガーゼが混ざったややさらさらとした液体が入り口と口からやや漏れる。開通にはほど遠いように感じた。

やっとこさ熱も下がってきてシャワーも浴びれて気分はやや晴れやかに。

それでもまだまだ体調は悪くふらふらするので父に車で迎えに来て貰った。

頓服用の痛み止めは夜勤の看護師が用意してくれたのでそれを受け取って退院。

帰宅後はまだ日も出ていたので洗濯をして入院時に持ち込んだ荷物をしまった。

一息ついたところでさらに鼻洗浄をした。
湾曲の凸側の方の入り口からと口側から大きめのどろっとした血とガーゼが混ざったものが出てきた。これは開通の道へもすぐに到達するか?と思っていたがまだまだ遠いと後に知る。

次の日は仕事の休みを取っていたのでやや雑然とした部屋で寝た。
鼻の腫れはやや引いて圧迫感は減ったものの未だ完全閉塞のためやはり眠れなかった。

入院しているときにも持ち込んでいた濡れマスクをしていても空気は圧倒的渇きでもって口を犯す。

この時らへんから舌の鈍いだるさを感じた。
マスクをしているからなのか口の渇きに抵抗するため舌が緊張しているのか、寝るときに特に感じるこのだるさは術後6日経つ現在でも取れていない。

鼻中隔湾曲症の手術について~入院から手術当日~

2019年02月27日 20時08分35秒 | 鼻中隔湾曲症
まいくです。どもども。可能な限り時系列に書くようにしたいと思っています。

術後5日目で絶賛鼻洗浄中ですが未だどちらの鼻も開通せず。


前記事で入院前日に夜更かしをしたと書いた。
そして2時ごろ悪寒を感じ、風邪かもと思いながら就寝した。

で、入院当日の朝、入院時に渡す問診票を記入するために検温をすると36.7℃で一安心。
PCと生活用品でパンパンなリュックと着替えのボストンバッグを持って出かけた。
ガラガラは少し恥ずかしいよね?と思っていたが病院ではちらほら見かけたので少し後悔した。

入退院受付でやれやれと手続きを済ませるとまた悪寒、というか暑いのか寒いのか風邪の予兆を感じさせる体調であった。
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら入院する病棟へ。

ナースステーションにいる看護師に入院する者だと告げると何も言わずにどこかへ電話し出す。
数分後、荷物も重いし座っていたいので声をかけると「(は?勝手にすれば?)どうぞ」との声。担当の者が来るのでお掛けになってお待ち下さいくらい言えないのか?と思う。

スーパーのレジでも役所でも、様々な現場で対応の良い人と悪い人がいる。
看護師だと悪い人が多いと感じるのは、病院は看護師が圧倒的に多いゆえの思考にバイアスがかかっている職業柄だと考えているが、それにしてももう少しまともな社会人としての対応くらい出来ないものかと思ってしまう。


余談は置いといて、しばらくしてから看護助手の方(以下、「の方」略)に部屋へと案内して貰う。
元々差額のかからない大部屋の希望だったが、差額のかかってしまう数人部屋になっていたので使える棚や専有面積は広いように感じた。

朝食を取っていなかったので買いに行きたかったがこれから薬剤師と担当看護師が来るとのことでベッドで調べものをして待つ。

30分ほどで薬剤師が来て入院中に飲む薬の説明を受ける。
また30分ほど経ってから看護師が来て病棟を案内して貰い、血圧測定と検温。
血圧は普段より少し高め。37.2℃。日中の仕事中などでは37℃を超えることはしょっちゅうあると言うと、歩いたから血圧と体温が上がったのではと看護師談。

つーことでやっとこさ朝食を買いに行ったが、もうお昼ご飯の時間が近づいていたため軽めのパンをもしゃもしゃ。

お昼ご飯を食べてまた調べもの。ちなみにお昼ご飯は普通においしかった。

しばらくすると体調に異変があり、どうしたものかと検温すると37.8℃。オーマイガーである。
この時すでにナザール断ちをしていたのでけっこう鼻づまりが辛く、体調の悪さもそれで風邪みたいな感じがしているのかなーと思っていたが、どうやら違ったらしい。

入院の前の不摂生は大変良くないと痛感した。

この時私が懸念していたのは、入院の延期である。
高熱があっても手術してくれるのか?もしインフルだったら確実に延期だろうが、普通の風邪だったら手術日を一日ずらす等は可能なのか?と色々と考えた上で私は―看護師に見つかる前に解熱させればいい―という行動に至った。

数時間後、まあそんなにすぐ解熱するわけもないよねと冷静になり看護師に報告→インフル検査→個室に隔離。

これから退院するまではずっと熱が出ていたため、非常に辛かった。正直めげそうにもなった。


時間が経って、看護師よりインフル陰性であり、明日解熱またはインフル陰性なら手術可能との報告を受ける。また一安心。
また、気になる部屋の差額代は感染による隔離のため無料とのこと。入院中ずっと個室の可能性もあるとのこと。やっほい。

兎にも角にも解熱せねばならないと早めに就寝するがナザール断ちのための鼻詰まりと熱でなかなか寝付けず。


翌朝、体調はかなり良くなっていたが37.2℃とまだ熱が出ていたためインフル検査→陰性で手術決定。
前日にはシャワーが浴びれなかったのでやっとこさのシャワー。汗も流れ落ち鼻も快適で気分はかなりいい感じだった。
全身麻酔での手術のため家族には来て貰ったほうがいいと言われたので父召喚。

それからは他の情報サイト通りでDVT防止用のソックスをはいてオンコール待ち。
看護師に呼ばれて軽く駄弁りながら手術室までウォークイン。

全身麻酔では酔った感じが全身に回ってして気持ち悪いなあと考えていたら一瞬で手術終了。

「終わりましたよー。呼吸して下さい」と言われたので息を吸ったら挿管チューブをずりゅっと抜かれた。痛みも違和感もほとんどなかった。

私の場合は尿管カテーテルが入っていなかったので第一声は「バルーン入ってないー良かったー」だった。
周りで人が笑う気配があったのを覚えている。

その他には夢を見たか?と訊かれ覚えもないのに何か言わなくちゃと思って「山登ってました。アルプスの」となぜか嘘をついてしまった。

それから待機室でベッド上安静になるが麻酔がどんどん切れてきて、鼻の重みと閉塞感・圧迫感に襲われ始める。

病棟に戻ると気分は最悪で、ひたすらに鼻から口に流れてくる血痰を吐き出していた。
マスクで酸素を供給されていたが半分も吸っていなかったのではないだろうか。
手術後2時間ぐらいがピークでその間にコップ2杯分くらいは出たと思う。退院するまでこれは出続けた。

写真は一応撮ったがグロテスクというよりただ気持ち悪いので載せるのはやめる。


手術当日は抗生剤と痛み止めの点滴をするので痛みはほとんどなかった。
というより手術に際して特に激痛というのは感じず、十分に点滴と内服でコントロールできるレベルの痛みだったと感じている。

しかし全く寝付けなかった。これが全く。まじで。

ベッドがフラットだと頭(鼻周り)が重いので少しベッドアップしていたのだが、舌が邪魔でうつらうつらしては音で起きたり苦しくて起きていた。舌を飲みそうになるのである。

入院中はこれがかなりしんどかった。
眠剤飲んだって眠くなるだけで、根本的に眠れないので意味がない。

んで、鼻の完全閉塞・圧迫感が本格的に辛くなる上、熱も下がらず眠れもせずに次の日を迎えた。

鼻中隔湾曲症の手術について~通院から入院前日~

2019年02月26日 21時35分31秒 | 鼻中隔湾曲症
ども。まいくです。連投です。また明日も投稿したいです。

そんなこんなで、都内の某大学病院をクリニックに紹介して貰い(かなり有名なところ)、軽い問診のあとに手術の簡単な説明やらを受ける。

クリニックでも言われたが私の場合はかなり手前(上顎側、つまり前歯の上あたり)から曲がっているため、難しい手術になるとのこと。これ以上皮膚も巻き込んで曲がっていたら外科じゃないと駄目だったとも言われた。

しかし私の場合はあくまで内視鏡的にできるとのことで安心した。
ちなみに私はCT画像を持ち込んだためスムーズにいったが、持ち込みがないとおそらくこのタイミングでCTを撮って次回説明か当日説明になると思われる。

・入院日数は4日間で全身麻酔。
・切開・切除した鼻中隔には両鼻側からシリコンプレートを縫い付けて固定する。
・鼻腔には水に溶けるガーゼとやらを詰め込んで止血し、抜きはせずにひたすら鼻洗浄で溶かして排出するとのこと。

この三点について特にネット情報とは相違があった。
まず大体の入院日数は7日間で、ガーゼをパンパンに詰め込んで止血し術後3日目ないし4日目ほどでガーゼを引き抜くという情報が多かった。
シリコンプレートに至ってはなにそれ?という感じである。
退院してから改めて検索するとちらほらと単語が出てくる程度であった。

これが2019年現在のスタンダードなのか最新の方法なのかは分からないが、とにかく私はそういう方法で入院・手術に至った。

私の仕事のスケジュールの都合上数カ月先に手術日を選んで直前の術前検査まではさようなら、通院なし。

んで、術前検査と検査結果で一度ずつ外来へ。
けっきょく通院したのは入院含めても4回になる(実際はスケジュール的に入院予定を一週間ずらすためにもう一度外来へ通院している)。


入院の一週間前には仕事関係の試験があった。
毎晩とは言わないまでも定期的にしこしこ勉強したりして、直前には飲み会を断って勉強していた。
そんなこともあって試験後はめを外しすぎ、4日連続飲み+入院前日に夜更かしをしてしまった。

勉強疲れからの酒疲れ。どうなることか?

鼻中隔湾曲症の手術について。

2019年02月26日 20時22分46秒 | 鼻中隔湾曲症
ども。まいくです。

お久しぶりです。

前回更新してからとんでもない時間が経っている。
普通に考えたらもう更新しないのではないか?とお思いでしょうが、今回筆を執ったのにはタイトルの事情があります。

先日、とある大学病院で鼻中隔湾曲症矯正術+下鼻甲介粘膜切除術を受けた。

この手術について調べたことのある人には「はいはい」となることだろうが、簡単に説明する。あくまで私の理解であることに留意されたい。


そもそも鼻中隔というのは両鼻の間を隔てた軟骨であり、子供が大人に成長する過程で前頭部と上顎部に押されて少し曲がるようになっている。それが曲がりすぎてしまった疾患を鼻中隔湾曲症と呼ぶ。

大きく曲がっていない正常な人も奥で曲がっている人も両鼻に指を突っ込んで指の腹同士をくっつけるようにすれば触れる軟骨、それが鼻中隔である。

下鼻甲介というのは鼻の中の粘膜で、アレルギー反応だったり自律神経の反応でうっ血し腫れたりする。
ナザールなど副作用の大きい点鼻薬を常用するなどの要因で粘膜が肥厚し鼻腔を閉塞する原因となる。


んで、今回この手術を受けた私の主な症状は鼻中隔湾曲とアレルギー性鼻炎による慢性的な①「鼻閉」②「鼻水過多」③「後鼻漏」で、特に①②に関してナザールを常用していた。

ナザールをいつから使い始めたかを正確には覚えていなくて、中学生か高校生の頃だったと思うので、少なくとも10年以上は使用していたことになる。
このナザールという点鼻薬というのが厄介で、辛い鼻閉も使えばたちまち開通する上に依存性があり、副作用も強い。

最初に耳鼻科に行こうと思ったきっかけは、ナザールを常用しているうえで将来が恐くなってきたからである。これから一生ナザールを使っていくのか?強盗にでもあって口にガムテープを張られたら死ぬじゃあないか?などなど。

クリニックでの最初の診察で「手術しないの?」と言われ心が揺れたが、とりあえずはアレルギー改善としてクリニック通いをしばらくしていた。なぜ手術を決断したのかというと、ある日ふと「いやもうオペしよう」と思ったからである(本当)。たぶんもう薬飲んだりするのがかなりしんどかったのではないかとも思うし、けっきょくのところナザールの頻度が減っただけで手放すことは出来なかったのである。
ちなみに、僕は重度のアレルギー性鼻炎があるので鼻中隔湾曲を矯正しようともアレルギー治療は続けなればならないことは分かっていたが、そんなこと頭から消え去るくらい「もう嫌」だったのである。


そんなこんなでクリニックから大きな病院を紹介して貰って、手術に至る。

で、なんでこんなに久しぶりに記事を書いているのかの事情に戻るが、術前に当然いろいろと情報収集のためにネットサーフィンをしたのだが、僕のようなケースにあまり出会わなかったからである。これは同じ鼻閉で苦しむ人々への情報として残さねばならないのではないか?と考えた。術後ですることなくて暇というのもある。


つーことで、色々と私情を挟んだ報告なると思うが書けるだけ連日書いていこうと思う。

ちなみに現在(2019/2/26)は術後4日目で、やっと文章を書く余裕が出てきたところである。

今日も今日とて明日があるさ。

2018年06月26日 00時19分14秒 | Weblog
ども。まいくです。
たまーに懐かしくなって更新したりします。
特にアウトプットしたいことがあるわけでもないけれど、仕事を始めてから特に文章を書くということをしなくなってきているのでなにか寂しくなるんだと思う。

特に書きたいことも思いつかないので最近感じている文句を書こうと思う。

・隣にウェーイ系の大学生が越してきたこと
3月ごろに隣の部屋に越してきた大学生がいる。
来た当初は静かなものだったが、月に一回くらいのペースで3時ぐらいまでウェーイとしてることがある。
鉄筋のうちのアパート、声はともかくドッスンドッスン音が響きとても五月蠅い。
僕は仕事の関係上職場に泊まったりだとか彼女の家に泊まることも多く、遭遇した回数がもしかしたら少ないくらいなのかもしれないが、平日に(それも自宅待機でいつ職場に呼ばれるか分からない日に)やられたときはさすがにイライラしてしまい次の日管理会社に電話した。
で、次の日は0時ほどに帰宅したであろう彼が窓を開けたまま大声で電話しドッスンドッスンまた五月蠅く、次に「ドッスン」来たら言いに行こうと考えた。

実は一度洗濯物を干しているところに煙草を吸われて注意したことがある。
注意しようと思ったのは、↑のことがありウェーイと調子には乗っているが言えば分かるんじゃね?と思っているからである。

要するにバカじゃなくて知らないだけなんじゃね?ということである。
という旨を周りに話したらYAMETOKEと頂いたので止めます。

近頃は五月蠅いこともないので少し反省してくれたのかなあと思う。
でもまたうるさかったら管理会社に即報告する。

・石原さとみが妙に嫌いな理由がわかったこと
僕は元々石原さとみがいけ好かなくて、妙に嫌いだ。
その理由が今日しゃべくり7を観てて分かった。

嫌いな同期と言動が似ている。

もしかしたら逆なのかもしれない。
嫌いな動機が石原さとみと似ているのかもしれない。

あのナチュラルな上から目線でネタを振られたら絶対に一度困ったふりをするけどそこそこ本意気でして、した直後に恥ずかしがるわざとらしくする感じ。もはや日本語が変な感じっぽいがそんな感じ、すごく嫌いだ。なので石原さとみを可愛いと思ったことはない。

今日一緒に仕事した嫌いな同期にもイライラしたが石原さとみにもイライラした。

・お金がないこと
頑張ってバイトもしてるのに全然お金が稼げないこと。
皆お金欲しくない?俺は欲しい!

・ThinkPadのCtrlの位置
言わずもがな。なぜ?という位置。

・痩せないこと
言わずもがな。食ってるからだ。

・文句じゃなく鉄フライパンを買ったこと
鉄のフライパンに興味を持ったのはネットサーフィンをしているとき
ぜんぜんインスタ映えしない!非モテ男子のための「スキレット」のレシピ
↑があまりにも美味そうだったから。

実際スキレットを買ってみてやってみたが、これ、超うまい。ぶっ飛ぶ旨さ。
僕はたまたま別のスキレットを買ったが、ニトリに安く売ってるらしいので、是非とも試して頂きたい。
とてもGuiltyな味がする。あ、これ以上食べたら確実に太るし体に悪い、って味。最高でしょ。

で、そんなんで鉄に興味を持って、色々考えることもなく鉄フライパンをゲットした。

使ってみて思ったのが、野菜炒めがまじで旨くなる。
ただ油がすごいのでキッチン周りが大変なことになる。定期的に床を水拭きしないと駄目なのではないか?って感じ。

一番衝撃的だったのがステーキ。
鉄フライパンで焼き、切るまでの間休ませているときにスキレットを温めて、切ったらスキレットにON。



一度テフロンでステーキを焼いたことがあるのだが、全くもって味が違った。オヌヌメ。
普段のチャーハンや焼きそばがワンランクアップするはず。

・文句じゃなくパスポートを取ったこと
今年の9月初めての海外旅行をする。
現実逃避の思いからバカンス!バカンス!となりフィリピンはセブ島に行ってきます。

マクタン島のシャングリラで4泊5日。
どこぞに行こうかなーと考えていたらがっつりリゾート。
楽しみである。

では。久しぶりに文章長いこと書いて少し疲れたので(飽きたので)終わりにします。

またいつか更新する、かも?

明日も明日とて仕事に行きたくない。

そういえば、この前人に幸せって何だと思う?と問いかけられた。
その時は考えるばかりで答えられなかったが、最近思いついた。

自分の人生に満足している状態が幸せなんじゃないかと思う。

向上心がある人も向上している状態の自分の人生に満足していると思うし、自分の生きてきた道が嫌いだったり自分が嫌いな人はすべからく不幸せなんじゃないかなと思う。

なんつって。

おやすみなさい。また。

久しぶりにgooを開いたので…。

2017年07月12日 23時48分10秒 | Weblog
久しぶりのブログで少し緊張する。

何個か前まで記事を読んだが、なんでこんなに外の世界に発信する気満々な文章なの?と思った。
アクセス数も少ないしそこまでブログの更新も頻繁でないうえ、ブログ友達なんて呼べる人もいないのに。

ここって、俺の心情を吐露する場所じゃなかったっけ?なんて。

でも一応。ども。まいくです。

僕もいつの間にか25歳になった。あと半年で26歳になる。
数字にすると少し寂しくて、楽しくて、恐い。

それが根底にあるのか彼女っぽいのが4月ごろにできたからなのか分からないが、とりあえず一人暮らしをしてみようと思って来週に家を出る。

家を出ようと決めてからあっと言う間に家を決めて、一カ月も経たないうちに引っ越しをする。
自分って決めるまで長いのに決めたら早いんだなと自覚する。

初めての一人暮らしなので、家具やら家電やらを購入しまくっていたら、そのうち総額60万円ぐらいになってしまった。やばい。

家賃はある程度抑えたのだが、奨学金の返還も合わせると貯金もかなり厳しいことになりそうなので、これまでの生活を改めないといけないなーと考えている。考えてはいる。


そんなこんなで現在はわりとウキウキで過ごしている。

ご飯もおいしいし酒も旨い。

振り返ってみると分かるが、意外と自分、大人になっているのかもと思う。

仕事に関して、少し重要な仕事も任されるようになったし、知識や経験だけでない対応する力も昔に比べればついてきた様に思う。ちっぽけな責任感に毛が生えてきたのでこれからはもっと頑張らねばと思う。