ザウルスの法則

真実は、受け容れられる者にはすがすがしい。
しかし、受け容れられない者には不快である。
ザウルスの法則

D:南海トラフのクローラー活動痕跡: 海底考古学35ーD

2020-09-29 08:06:24 | 海底考古学、火星考古学

南海トラフのクローラー活動痕跡: 海底考古学35ーD

 

最後の区画 “D” の位置をあらためて確認しておこう。

 

D-1

区画D:断面線1

矢印の方向から断面を見る。

 

白い区画線に惑わされないようにして頂きたい。溝が何本か走っているのが見えるが、“D-1” の断面線がまたいでいる複数の溝は、一見平行には見えない。これがここでの問題である。

“D-1” の断面線は1本以上のクローラ痕をまたいでいるように見える。断面線の2つの赤い部分はそれぞれ断面図の 15 km と  30 km の色の濃い部分に対応している。幅15 km のほうが通過した断面の左側の高低差をみると 208 m とある。幅 15 km のクローラーが通過したためにこの大きな段差が生じたと考えられる。この巨大なクローラーが通過していなければ、この場所の起伏の断面図は水色の曲線(デフォルトライン)のような状態であったろうと想定される。

右側はそれほどでもないが、それでも隣りの 30 km のクローラー痕の断面との間に 6 km ほどのインタバルが見える。以下の画像ではそれぞれの溝の隣りに水色の直線の補助線をほどこしてある。

幅 15 km のほうは、ほぼ平行な幅のクローラー痕のようだ。しかし、幅 30 km のほうはこの表面画像で見る限りは平行な幅には見えない。さて、この2つのクローラー痕は斜めに交差しているようで、そのために平行線が見えづらくなっている可能性もある。次に見る “D-2” の断面線が上のほうに既に見えているが、こちらのクローラー痕の幅が平行であることはすぐに見て取れる。

上の水色の直線の補助線を念頭に置いて、以下の拡大した画像を見て頂きたい。

いずれにせよ、この区画Dではクローラー痕の交差や重なりが多く、わかりやすい明瞭な事例が少ない。しかし、これはとりもなおさず、この界隈が “足跡だらけ” で、クローラーの行き来が非常に活発であったことを物語っているとも言える。

 

 

 

D-2

区画D:断面線2

矢印の方向から断面を見る。

 

 

 

 

このクローラー痕は平行な幅であるが、幅の両側に特徴のある大きな溝がある。

断面図の水色の曲線(デフォルトライン)は、クローラーがこの痕跡を残す直前の海底表面の状態を想定したものである。クローラーが通過したために全体としてその幅で陥没しているが、両端に特徴的な溝を作っている。両側に歴然と溝があるという意味で、馬車の轍(わだち)のようにも見える。

もし、このクローラー痕が馬車の轍(わだち)だとしたら、幅が 13.5 km ある馬車が通ったことになる。その馬車が東京を横切ると以下のようになるだろう。

 

 

 

 

D-3

D区画:断面線3

矢印の方向から断面を見る。

 

 

 

 

区画図Dでみた限りでは平行な幅の “どうということのないクローラー痕(笑)” にも見えた軌跡だが、こうしてみると、いくつものクローラー痕が重なっていることがわかる。“D-3” の断面線を長く取っているのはそうした他のクローラー痕の存在を断面図でも確認するためである。

ごらんのように、さまざまな起伏や凹凸が見られ、 “a” ~ “h” の記号を付しているが、それらのいずれも自然の力だけで天然に形成されたようには見えない。ここには外部からの巨大で機械的な作用が加わり、海底表面が制作中の漆喰壁のようにその作用を受けたような印象がある。

この海域の痕跡は巨大な工学的マシーンによる海底表面における活発な交通を反映しているように思える。とにかく多くのクローラー痕が入り乱れている形跡があるように思う。

職人のコテさばきで生み出されるスペイン漆喰の壁を思わせるテキスチャーである。

 

いちばん目を引く “c” と “e” の軌跡は明らかに同じ一つの帯状軌跡の両側である。平行であり、両側をつなぐ連続したキャタピラ痕的凹凸がある。この “c-e” のクローラー痕に斜めに交差している別のクローラー痕がいくつかあることに嫌でも気づかざるを得ない。少なくとも “b-d” と “f-g”  が “c-e” と重なっていると言えるだろう。

ここまで D-1、D-2、D-3 と辿ってきたが、以下のオレンジの補助線に挟まれたクローラー痕がいちばんはっきりしていて目を引く。

しかし、あらためてこの海域を見ると、これ以外にもあらゆる角度からの “コテのストローク” の痕跡が見て取れる。

 

 

 

D-4

区画D:断面線4

矢印の方向から断面を見る。

 

 

 

 

 

さっき見たばかりの “D-3” が左端に見える。 “D-4” の断面線はこのクローラー痕のキャタピラ痕的な痕跡の特に際立った縁(へり)部分に焦点を合わせる。長さ 40 km ほどの距離の断面図をご覧いただきたい。

このクローラー痕の幅は、“D-2” ですでに計測値は確認しているが、およそ 13.5 km   で、盾形をした山手線の縦の長さ(13.8 km)にほぼ相当する幅で、比較の為に山手線をそのまま比例サイズで置いてある。13.5 km   の幅の、何かしら動くものがここでほぼ真っすぐに移動したと考えて間違いないと思うが、いかがであろうか?

約 40 km にわたって高低差はおよそ 100 m 前後だが、一部に 282 m に及ぶ箇所もある。しかし、この 282 m の高低差は、海底表面画像で見ると、どうやら海底の自然にできた大きな段差をクローラーが乗り上げたか、下ったかした箇所のようである。

 

さて、 断面線 “D-4” の右側の水色の破線に挟まれた部分をよくご覧いただきたい。すでにお気づきの人もいるであろうが、クローラー痕のキャタピラ痕的痕跡が飛び飛びに見えている。

どうして途切れ途切れになっているのか?元々は左側と同様に途切れずにあったのが、何らかの理由で消えてしまったのか?それとも、クローラーが海底表面にときどき “着地” しながら進んだのだろうか?

“D-3” で問題にした、周辺の他の埋もれかかったクローラー痕にピンクの補助線を付けてみると、キャタピラ痕的痕跡は単に消滅したというよりは埋没した可能性が浮上する。画像左側の 断面線 “D-4” の上のほうを見ると、クローラー痕のキャタピラ痕的な縁(へり)がぼやけていて、そこには他のクローラー痕を示唆する補助線が集中している。

翻って、比例サイズの山手線の置かれた場所を見ると、右上から左下にピンクの補助線があり、中央がぼやけている。さらに、山手線の右隣りのキャタピラ痕的痕跡部分の下にも右上から左下にピンクの補助線があり、水色の破線よりもずっと右上から左下にかけて帯状にのっぺりした状態である。こののっぺり部分の下に水平のキャタピラ痕的クローラー痕が埋もれている可能性がある。以下の、補助線等を取り除いた状態であらためて見直して頂きたい。

 

 

キャタピラ痕的痕跡はこんな風にして消えたか、埋もれた可能性がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

D-5

区画D:断面線5

矢印の方向から断面を見る。

 

 

 

 

この辺りはかつては “クローラー銀座” で、クローラーが頻繁に行き交っており、今我々が目にしているのは、その最終的な表面の一部の痕跡に過ぎない可能性がある。断面 “D-5” では、そうしたクローラーの活動のわずかな痕跡を断面から浮かび上がらせよう。

この画像では、全長 112 km に及ぶ断面線 “D-5” がさまざまな線状軌跡と帯状軌跡を斜めにスパっと切った格好である。“1-2” は1つのクローラー痕の両端のようで、断面図で見ると一見山道の断面のように見えないだろうか。ところがどっこいなのだ。

“2-3” はクローラ痕の間のインタバルであろう。つまり、クローラーが踏んでいない海底表面の “地(じ)” の部分だ。 “3-5” は断面図で見ると非常に左右対称性があるので、1つのクローラー痕であるかのようだ。しかし、中央の “4” の段差はクローラー痕のセンターラインとしては非常に不自然である。また海底表面画像からしても万年筆のペン先のようで、そのままではとてもクローラー痕には見えない。おそらく “4-5” のクローラー痕が先に存在し、その後に “3-4” のクローラー痕ができたものと思われる。“4-5” のクローラー痕の左端は “3-4” の下に隠れてしまっているのではなかろうか。“5-6” は表面の起伏からして、“地” のインタバル部分に見える。“6-7-8-9” はかなり重層的であり、少なくとも3本のクローラー痕が重なっていると思われる。“9-10” と “10-11” は、ほぼ並んで斜め上下に走るクローラー痕が表面下に存在しているのではなかろうか。

さて、今度は同じ個所を拡大した画面であらためて見直したい。よく見えるように断面線 “D-5” は両端だけ残して消去した。また、山手線も消した。その代わり、破線の補助線を加えた。

緑の断面線と赤の指示線と山手線がうるさくて、たしかに見えづらかったかもしれない。しかし、こうしてそれらを取り除くと、何と、切断線 “D-5” の線分じたいが表層下のクローラー痕の上にそのまま乗っていたのだ。破線の間にうっすらと帯状軌跡が見えているのを確認されたい。

 

あらためて見ると、“1-2” は、番号の無い左隣りの一段下がった面と連続していたことがわかる。この段差の高低差は実は 292 m ある。このとんでもない高低差にもかかわらず、帯状軌跡は連続しており、表層下に右に伸びている。“2-3-4” の間は表面化していないが、 “5-6-7-8-9-10” では再び表面化している。

表面ではいくつものクローラー痕がもつれるように輻輳しており、それら同士も互いにかなりの時代を隔てているように見えるのだが、その表層下にはさらに古い時代のクローラー痕が眠っていたと思われる。

 

 

 

 

 

D-6

区画D:断面線6

矢印の方向から断面を見る。

 

 

 

“D-4” ではキャタピラ痕的クローラー痕の縁(へり)の凹凸を見たが、この “D-6” でも同様のギザギザを見ることになる。ただし、こちらはかなり古く、クローラー痕の帯状痕跡としてはかなりぼやけてしまっている。

この断面線 “D-6” の対象は、一見海洋中の遺体有機物の沈殿による悠久のブランケット効果でこの状態に至ったかのようだ。しかし、それにしてはキャタピラ痕的特徴の顕著な縁(へり)のぼやけ具合が均一ではない。むしろ他のクローラの通過といったような何らかの非自然的な力が作用した結果と考えることもできる。

以下の破線に対応する部分はもう埋没していて、凹凸はほとんど無くなっている。

かなり古いはずなのに、断面図を見ると 45 km 近くにもわたってノコギリの歯のようなギザギザが残っている。 “歯” の高さは 24 m ほどある。このクローラー痕が出来た当時はもっと鋭い歯であったと思われる。

 

 

 

D-7

区画D:断面線7

矢印の方向から断面を見る。

 

 

 

 

 

断面図の水色の曲線はクローラー痕が出来る直前のその海底表面の起伏を想定したもので、「海底考古学」 では “デフォルトライン” と呼んでいる。クローラーの通過によって、クローラーの通った箇所は 60 m ほど陥没したように見える。その幅は底辺での計測でも 26 km ある。

 

山手線を縦に2つ並べると、27.6 km になるから、おおざっぱには右下の図のようになるかもしれない。

 

さて、ここにおいても以下のように複数のクローラー痕が錯綜している。センターラインにつけた色別の補助線で示すように少なくとも4本は走っている。

 

真上から見ると以下のような状態で重なっている。

 

今回の 「海底考古学35」 では特にイレギュラーなパターンを重視しているためか、クローラー痕の輻輳・重複のケースが多い。これはその海域でのクローラーの活動が非常に活発であったことを示唆していると考えられる。同一の海域(今回のA、B、C、Dの区画程度)をクローラーが数百年から数千年にまたがる異なる時期に延べ10回通過した場合と、100回通過した場合とでは、おそらく最終的な海底表面としては大した違いはなかろう。

通過の回数が海底表面の痕跡として比例的に反映するのは、よほど時代が隔たっていなければ、せいぜい数回で、それ以上はもはや痕跡としては反映しないであろう。つまりそれ以前の痕跡は海洋沈殿物によるブランケット効果と、次のクローラー痕による上書きによって悠久の歴史に埋もれていくであろう。そのために、たとえ100回の通過・重複があっても、表面の痕跡としてはクローラー痕はせいぜい数本くらいしか判別できないことになる。

つまり、クローラー痕の輻輳や上書きが多く見られる場合、海底表面で判別できるよりもはるかに多くのクローラー痕が存在していた可能性、海底表面から想像されるよりもずっと頻繁なクローラーの往来が存在していた可能性がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言うまでもなく、クローラー痕は軌跡であり痕跡に過ぎない。痕跡は生物であれ、非生物であれ、それを残したものの存在を指し示す。

 

 

痕跡の中でも、軌跡の場合は、それは生物であれ、非生物であれ、移動体によって残され、その移動体の活動を反映している。軌跡はリニア(線状)であり、通例、何かの表面上に残されるが、空中の場合もある。それが “線” であるか、“帯” であるかは単にスケールの違いに過ぎず、観察者の主観に依存する。

 

「海底考古学」 の最も基本的な主張は非常に簡単明瞭である。「軌跡や痕跡と認められるものがある場合、それを残したものも必ず存在するはずだ、もしくは存在したはずだ」 ということである。こんなにわかりやすいリクツはないだろう。小学生にもわかるのではないか?

以下の “図A” をご覧いただきたい。“A” の画像に見える痕跡を残したものが存在するはずで、そのピースが右側に示されている。このピースを左の写真に入れれば完成で、めでたしめでたしである。

 

以下の “図B” をご覧いただきたい。“B” の画像に見える痕跡を残したものが存在するはずで、そのピースが右側に示されているといいのだが、あいにくそのピースは現在のところ見つからない。見つからなくても、存在する、もしくは存在したことは間違いない。ちょうど上の “A” のように。

言うまでもなく、この “図B” は “クローラー痕” という海底の巨大な痕跡を示しているわけだが、このクエスチョンマークのピースに相当するものを、「海底考古学」 では便宜的に “クローラー”(crawler: 這うもの) と呼んできている。存在しているはずだがまだ見つかっていないものに名前を付けることは許されるだろう。

クローラー痕の幅が、例えば、山手線の縦の長さとほぼ同じといった場合、クローラー自体も少なくともその幅は山手線くらいの長さがあったわけで、そういったものが海底を這い回っていたと想定せざるを得なくなるのではないか?

 

猟師は雪の上で動物のさまざまな痕跡を手掛かりに獲物を品定めする。

雪の上にフクロウの痕跡を見つけて、フクロウの大きさの見当をつけるのと、海底にクローラー痕を見つけて、クローラーの大きさの見当をつけるのとどこが違うだろうか?フクロウの痕跡を見つけたら、そこにフクロウが、一瞬であれとにかく存在したことは否定できまい。ということは、クローラー痕の存在を認めるのであれば、クローラーの存在を否定することはできないということである。しかし、あなたは、幅 1 m のものならば存在してもいいが、幅 10 km のものはダメだ、と言うだろうか?

 

 

1. クローラー痕の存在を認め、

2. しかも 自然発生説を採らない としよう。

3. そして、クローラー痕を残したクローラーの存在の可能性を認めたとしよう。

 

<クローラーは “痕跡” に基づく論理的推定物であるため、以下、クローラーの存在に関しては、“過去形” で語る>

4. しかし、クローラーだけが存在していたということはありえないだろう。たとえば、現代ではジェット機という巨大な乗り物が世界中を飛び交っているが、これはまず人類文明があってその歴史の中で中で生まれ、“人類文明というシステムの一部分” として今日存在し、機能しているのではなかろうか。

ピラミッドは遺跡であるが、古代エジプト文明の一つの痕跡であるとも言える。言うまでもなく、ピラミッドだけがひょいと砂漠に出現したのではない。ピラミッドを生み出す古代文明がエジプトに存在してこそピラミッドが出現したのではなかろうか?当たり前すぎることを言っているようだ。

5. 同様に、クローラーを生んだ文明があったのではないかと考えることに論理の逸脱や飛躍があるだろうか?クローラーはそれが属するその文明の活動の一端を担うものとして存在し、機能していたはずではないか?この推論に矛盾や誤りや見落としがあるだろうか?

6. さらに、人類文明を担ってきているのが人類であるならば、同じようにクローラーを生んだ文明を担っていた “知的生命集団” が存在していたのではないかと考えることに何か無理があるだろうか?人間集団の存在なしにピラミッドが出現しただろうか?

 

7. しかし、この “クローラー文明” を担っていた “知的生命” が我々と同じ人類であると考えることにどれだけの根拠があるだろうか?同一であることが証明されるまでは別であると考えるほうが賢明ではなかろうか?

「いや、やっぱり人類でしょ」 と主張する者は、以下の問いにすべて満足のいくように答える必要があるだろう。

 

7.1. 人類がその歴史において “クローラー” を生んだことを示唆する考古学的証拠がどれだけあるだろうか?物理的、客観的な証拠を示せるか?

7.2. 人類の遺した記録文書に、人類が “クローラー” を生んだことを示唆するものがどれだけあるだろうか?そんな神話や伝説を提示できるか?

7.3. 海底で活動していたと考えられる “クローラー” が人類によって生み出され、機能していたとするならば、それを裏付ける科学的、生物学的な根拠がどれだけあるだろうか?今の人類はかつて二足歩行を始めたときにエラでもあったのか?

7.4. 山手線の幅ほどもある移動物体が人類によって生み出すことができるとする科学的かつ合理的な根拠がどれだけあるだろうか?人類の所産であることが証明できる同規模の類似の事例もしくは痕跡を提示できるか?

7.5. 山手線の幅ほどもあるクローラーの海底での活動を人類がコントロールしていたとする科学的かつ合理的な根拠もしくは歴史学的な資料を提示できるか?

 

以上の問いにどれ一つとしてまともに答えられないザウルスは、クローラー文明の担い手が人類である公算は限りなく小さい」 と慎ましく結論するほかはないのだ。あなたはどうだろうか?どれか一つでもまともに答えることができるであろうか?

 

 

8. クローラー文明が人類文明とは別の文明であり、人類とは異なる知的生命が担っていたとすると、さまざまなことが導き出されてくる。以下はその一端である。

 

8.1. この地球には “人類以外の知的生命” が存在していた可能性がある。

8.2. クローラー文明の担い手である知的生命は水棲動物であった可能性がある。

8.3. クローラー文明の担い手である知的生命は、人類とは大きく異なる身体を有していた可能性がある。

8.4. クローラー文明の担い手は人類以前からこの地球に存在し、繁栄していた可能性がある。

8.5. クローラー文明は人類文明よりもはるかに高度であった可能性がある。

8.6. クローラー文明は人類誕生以前か人類誕生後に地球の表面から消えた(滅亡、移住?)可能性がある。

8.7. クローラー文明は未だにどこか(地球内か地球外)で存続している可能性がある。

8.8. クローラー文明と人類文明とはそれぞれこの地球の海と陸地で別々に存在していた時代があった可能性がある。

8.9. クローラー文明の担い手は人類文明の存在を熟知していながらも、接触を避けていた可能性がある。

8.10. クローラー文明の存在について人類のほとんどは何も知らずにきた可能性がある。

8.11. クローラー文明についての知識は人類のごく一部に独占されてきた可能性がある。

8.12. 人類文明以外に高度な文明が存在するとしたら、それは地球外に存在するはずだという思考はまったく非論理的である。地球を除外すべき論理的根拠はどこにもない。

8.13. 人類以外の文明は地球外に存在するという考えには何の根拠も無い。

8.14. 地球外生命、地球外知的生命、地球外文明 というフレーズは、単に地球の歴史について無知な人類の自己中心的かつ独善的な発想に根差すものに過ぎないと言える。

8.15. ハリウッドが広めた “ET” (“Extraterrestrials” =地球外生命)というフレーズ自体が “人類中心主義的な大きな見落とし” に根差していると言える。

 

 

9. 1つの惑星に複数のタイプの知的生命が発生し、それぞれ異なる文明を築くことは可能であり、現に事実であった可能性がある。

9.1. 地球に人類以外の知的生命が存在した可能性は排除できそうにない。

9.2. 我々人類は、地球の知的生命は自分たちだけだと勝手に思い込んできただけである。

9.3. 人類は地球を自らの固有のふるさと(ホーム)であると勝手に思い込んできたフシがある。

9.4. 地球には人類発生以前にすでに “人類以外の先住民” がいた可能性がある。

9.5. われわれ人類は地球の先住民どころか、不法占拠者(squatters)である可能性がある。

9.6. “文明” としては、ウィキペディアでは 「人間が作り出した高度な文化あるいは社会を包括的に指す。」と定義しており、あくまでも “人間の所産” としていて、“人類以外の文明” という観点がまったく欠落している。そして、以下のリストを挙げている。

   メソポタミア文明
    シリア文明
    エジプト文明
    インダス文明 (インド・パキスタン文明)
    中央アジア文明
    スキタイ文明   
    ギリシア文明
    ミノス文明
    ヘレニズム文明
    ローマ文明
    ヨーロッパ文明 (西欧文明)
    東欧文明(東方正教会文明=ギリシア正教文明)    
    イスラム文明
    アフリカ文明
    中国文明(黄河文明、長江文明、遼河文明)
    日本文明
    中央アメリカ文明(メソアメリカ文明、アンデス文明)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%98%8E

 

これらのそれぞれの文明の担い手はすべて、ホモサピエンスとして同じDNAをもった二足歩行の種族である。互いにどんなに肌の色や話す言葉が違っていようと、異なる社会システム間のメンバー同士は交配可能である。同じホモサピエンス(人類)であるいじょう、当たり前といえば当たり前である。

しかし、“クローラー痕” の存在から不可避的に推定される “クローラー文明” の担い手が、ホモサピエンスではある公算はほとんどゼロであり、むしろ “エイリアン” と呼ぶべき “異世界の種族” と考えられる。

9.7. SF小説やSF映画といったサブカルチャーによって、エイリアンと言えば、どこか遠い惑星がホームベースであるような伝説が出来上がっているが、少なくとも1つの種族は人類以前からこの地球という惑星で繁栄していた可能性がある。

その無数の痕跡が21世紀になってやっと人類の目に触れることが可能になってきたと言える。

 

 

 

「海底考古学」 では、“クローラー痕” や “巨大海底痕跡” と呼んできているこうした無数の痕跡を残したこの地球上の “非人類文明” を、とりあえず “クローラー文明” と呼んでいる。「海底考古学」 は、この “クローラー文明の痕跡” を追究しているとも言える。

A:南海トラフのクローラー活動痕跡: 海底考古学35ーA

B:南海トラフのクローラー活動痕跡: 海底考古学35ーB

C:南海トラフのクローラー活動痕跡: 海底考古学35ーC

D:南海トラフのクローラー活動痕跡: 海底考古学35ーD

動画「海底考古学」1~28

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« C:南海トラフのクローラー活... | トップ | 書評: 「三体」 “現代中国... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

海底考古学、火星考古学」カテゴリの最新記事