9/9(月)秋田県湯沢市稲庭町 稲庭城 | 親子関係や身体の症状を解消し、自分独自の「まんなか」に

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西東京市の五龍神さまを祀る田無神社敷地内マンションに住む
エネルギーワーカーの齊藤秀行です。

 

 

9/9(月)8か所目の訪問先は稲庭城です。

 

こちらも母親が何週間に1回は朝起きると

今日は早坂舘の稲庭城に行った夢を見てね!

 

ということで、こちらも母親の夢を具現化してきました^^

 

 

 

 

母親の旧姓小野寺家のご先祖様をずーーっと辿っていくと

小野寺家一族にたどり着くらしく、こちら湯沢市稲庭町の稲庭城と

横手市横手城も小野寺家と関係があるようです。

 

 

 

詳しく聞かれてもよく分かりませんが^^;

今回一緒に旅を同行していただいた母親の15歳年下の

弟さんが以前ご先祖様のルーツを調べたらしく

歴史にも詳しかったのでたくさん話を聞けて楽しかったです^^

 

家系を辿っていくお話を聞いていると、

兄が若くして自殺したことや、同じような年代に若くして亡くなった

方など共通項なども見えてきて、感情が動いて感情解放ワークを

しているようでした^^

 

 

 

 

小野寺公の崇拝した不動明王さまだそうです。

 

 

 

 

4階建ての小さなお城の4階から四方の景色が一望できますが

窓を開けるとスズメバチがくるので開けないで下さいと書かれてました^^;

 

 

眺めの様子を動画撮影してみました

 

↓秋田県湯沢市稲庭町 稲庭城からの眺め1↓

 

 

 

↓秋田県湯沢市稲庭町 稲庭城からの眺め2↓

 

 

 

 

 

 

 

聞いたことのない山ですが綺麗な夕焼けですね。

 

 

 

 

稲庭城の入館出入り口で記念撮影

あれだけ行きたいと言っていた母親ですが

早く帰りたがっていたり、意味不明ですが仕方ないです^^;

 

 

 

 

帰りのスロープカーを動画撮影してみました^^

 

 

 

昨年?新しいスロープカーになったようです。

 

 

 

昔の旧タイプのスロープカーです。

 

 

 

スロープカー乗り場です

 

 

 

入館券です。残念ながら70歳以上割引とかありませんでした。

 

 

 

ネットに掲載してあった情報をパクらせてもらうと

こんな感じのようです。

 

 

■ 沿革
稲庭城は、中世の秋田南部を支配した小野寺氏の居城である。


-小野寺氏黎明期の居城-


小野寺氏は下野国都賀郡小野寺郷の出自であり、

その祖は藤原秀郷とされる。


小野寺氏の雄勝郡支配については諸説あるが、

一説では建久元年(1190)、小野寺2代道綱の代に

源頼朝より雄勝郡の地頭職を与えられ、

道綱は四子である重道を雄勝郡に派遣して統治させた。

 

重道の子である秀道は出羽国田川郡大泉荘に居住していたが、

その子経道が建久年間(1249~56)頃、雄勝郡に入り、

稲庭城を築いて本拠地としたとされる。



-小野寺氏の隆盛-


経道には3人の子がおり、嫡子である忠道には稲庭城で

家督を継がせ、次子である道直を西馬音内城に、

三子、道定を湯沢城に配置してそれぞれ支配を強化させた。

 

そして忠道の子である道有の代には

「雄勝・平鹿・仙北三郡の庄主」

と称されるまで支配範囲が拡がったという。


こうして小野寺氏の勢力拡大に従って、

次第に支配の拠点を平野部の平鹿地方へ移す必要性が出てきた。

 

そのため正安2年(1300)、道有は平鹿郡の沼館城に

重臣落合氏を配置して支配し、その後の16世紀前半頃に

小野寺氏12代稙道が居城を沼館城に移し、

稲庭城は稙道の弟である晴道が城主となった。


さらにその後、小野寺氏は居城を横手城に移したが、

稲庭城は小野寺氏の有力な城として存在し続けた。

 



-最上氏との確執-


天正18年(1590)、豊臣秀吉によって奥羽仕置による検地が

行われたが、小野寺14代義道の上洛中に仙北地方で一揆が起こった。

 

その咎により小野寺氏は所領を従来の3分の2に減らされ、

残りの3分の1は蔵入地となり、最上義光が代官に任じられた。

 

そのため文禄4年(1595)、最上義光は雄勝郡の領有を主張し、

小野寺領に進攻して湯沢城・岩崎城を落とした。


翌文禄5年(1596)、ついに稲庭城も最上氏の侵攻を受け、

包囲されるに至った。

 

城主である小野寺上総介道勝は必死に防戦したが、

結果的に稲庭城は落城し、道勝は辛くも落ち延びた。
そしてこの後稲庭城は廃城となった。
 

 

とのこと。今回の秋田の旅の記事にも書きましたが

2017年7月に父親の病気と入退院をきっかけに

両親への介護が本格化し、2019年前半までは

両親に対しての何とも言えない戦いの記憶がでてくる

細胞をサムスカーラシュッディで瞑想しまくってました。

 

一時期は頭蓋骨の内部、脳の奥深いところが反応して

もしかしてこのまま血管がプツンと切れてしまうのではないか

自分でも心配してしまうほど、本気で反応する細胞さんと

向き合って感じきっていましたが、その分また素晴らしい自分とも

出会うことができて、両極を体験できてニュートラル度合いが

また一段と高まりました!

 

 

2年かけてかなり肉体の細胞が反応しなくなくなってきましたが、

ご先祖様のルーツを調べたりすることで何となくですが

私の肉体が反応していた理由や経緯なども謎解きのように

解明していったような感覚がありました^^

 

 

サムスカーラシュッディ瞑想が肉体の反応する細胞を

感じきるのに最高な方法だと今は思っていますが

慣れるまでかなり時間がかかったことや、肉体の反応と

感情がなかなか切り離せない方もいるかと思います。

私も一時期そうでしたからよくわかります。

 

ですので、そういう方はこちらのワークを行うと

ヒントになるかと思います。

興味ある方はこちらの記事をご覧下さい。

 

 

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