三井寺(みいでら)('19.4.10)
カメラの電池に不安を抱えつつ、今日最初の目的地へ。
大門の前から右へ進む。
圓満院門跡。
圓満院は987年(寛和3年)、村上天皇の皇子・悟円(致平)親王の開基と伝わる。
最初は平等院という名前だったが、1052年(永承7年)、藤原頼通が宇治にある父・道長の別荘を寺院にする際、平等院の明尊大僧正が開山、悟円親王の子・永円親王が初代院主となり、こちらの寺院が新たに「平等院」となった。
このとき明尊により、元の平等院が「圓満院」と名づけられたそうだ。
入口に不動堂があり、その奥に、
宸殿(しんでん)の車寄せ。
宸殿は1620年(元和6年)、徳川秀忠の娘・和子が、後水尾天皇の后となったとき、京都御所に建てられた。
その後1647年(正保4年)に圓満院が譲り受け、移築された。重要文化財。
さらに奥にある受付から、宸殿の中に入れる(入場料¥500)。
杉戸絵とか、欄間の透かし彫りとか、さりげない装飾がいかにも高貴な建物らしい。
庭も素晴らしい。
雨粒が池を打つ音が、より一層の静けさを引き立てる。
緑の中で、山桜が鮮やか。
この庭園は、相阿弥(そうあみ)の作と伝わる。
相阿弥は室町時代の絵師で、今で言う美術鑑定士として足利義政に仕えた。
庭の山桜を撮ったとき、遂にカメラのバッテリーが切れてしまった。
警告が出てから早い。
宸殿内には玉座の間がある。後水尾天皇がこの玉座に座したという。
宸殿の各部屋の障壁画は現在、京都国立博物館が所蔵している。
いったんバッテリーが復活した。
石垣の上に建つご本堂。外廊下から参拝する。
大津絵美術館へ。隣の建物の2階にある、畳敷きの部屋。
大津絵は江戸時代初期から大津の宿場町で売られてきた絵画で、最初は縁起物の仏画が中心だったが、やがて題材が世俗的になり、風刺画が多くなった。
(この写真は以前撮った、びわ湖浜大津駅の「鬼の寒念仏」と「藤娘」)
大津絵の代名詞的存在の、鬼の寒念仏や藤娘にも、いろいろバリエーションがあって面白い。特に鬼の顔。
鬼念仏は本来、「形だけ念仏を唱えているけど中身が鬼」という風刺画なのだが、どの鬼も憎めない、愛敬のあるキャラクターになっている。
大正時代の大津絵の版画も多数並ぶ。
どれもユーモラスな絵だが、教訓や風刺の意味が込められているものが多い。
戎さんや鍾馗さん、もちろん仏様のような縁起のいい画も。
現在、丸亀の美術館に所蔵品を貸し出しているそうだが、それでもこれだけ多くの、さまざまな絵が見られて良かった。
※旅のマップはこちら。
※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」はこちら。
・第229回 旅先で初めての凡ミス(三井寺→大津京)
・第228回 華やかな桜と寺と遊覧船(びわ湖浜大津→三井寺)
・第227回以前
・大津(第224回~)
・八日市、野洲~草津(第222回~)
・テーマ別記事一覧
(ひたちなか海浜鉄道各駅探訪など)
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