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2024/04/24 05:16 |
第105回 ライノタイプに悩まされた男(フレドリック・ブラウン) 文学に関するコラム・たまたま本の話
第105回 ライノタイプに悩まされた男

PDF版はこちらから

2019年7月に刊行が始まった「フレドリック・ブラウンSF短編全集」(全4巻、東京創元社)は、近年のヒット企画と言えるだろう。フレドリック・ブラウンはSFとミステリーの両分野で多くの傑作を残している。この企画はタイトル通り、ブラウンのSF短編の全てを年代順にまとめていくもので、既刊の第1巻には安原和見の新訳による12編が収められ、牧眞司が収録作品改題を、鏡明が解説を務めている。
かつて創元SF文庫の「未来世界から来た男」「天使と宇宙船」「スポンサーから一言」「宇宙をぼくの手の上に」などに収められたブラウンのSF短編をむさぼるように読みふけった読者にとっては、名作を新訳で再読できる絶好のチャンスであろう。さらにありがたいことは雑誌に発表された順番の作品配置になっていることだ。
つまり第1巻に収められた「最後の決戦」「いまだ終末にあらず」「エタオイン・シュルドゥル」「星ねずみ」「最後の恐竜」「新入り」「天使ミミズ」「帽子の手品」「ギーゼンスタック一家」「白昼の悪夢」「パラドックスと恐竜」「イヤリングの神」の12編は、SF作家ブラウンが1941年から1944年にかけて発表した初期の作品群ということになる。
これらの初期短編を読んでいて面白いことに気づいた。「エタオイン・シュルドゥル」(1942年)と「天使ミミズ」(1943年)が、ともに自動鋳造植字機(ライノタイプ)をテーマにしていることである。以下、両作品の内容に触れるので、未読の方はご注意を。
何しろ75年以上前の印刷技術の話だから、今となってはライノタイプについて説明が必要だろう。ライノタイプは、キーボードを打鍵する事によって、活字母を並べて鋳型とし、それに溶けた鉛を流し込んで、新聞などの印刷版型を作成する装置である。以下、インターネット資料からまとめてみると、単語や空白からなる横1行を丸ごと活字にすることが出来るのがライノタイプのメリットで、名称はLine of type (1行の活字)を省略したもの。当時、組版速度が要求されるような現場では専らライノタイプの出番だったという。
これは活版印刷の複数の工程を1人の職人の手元に集結させてしまう革命的なものであった。活字の母型は側面にそれぞれ文字ごとに異なる刻み目を持つ独特の形状をしており、打鍵操作をすると、ストックから文字が缶飲料の自動販売機のように垂直の筒の中を落ちてきて、一定の位置に順次置かれていく。1行分の組版が終わると鋳造部に移動し、活字合金が流し込まれて版が出来る。使用済みの母型は解版されて、各文字のストックに自動的に戻される。このとき母型の側面に刻まれた形状によって機械は自動的に文字を判別するようになっている。
この装置のアイデアは1800年代中頃からあったとされる。1886年にオットマール・マーゲンターラーという人物が初めて発表した。それは非常に大型で高さは2.1mもあり、また複雑であったが、1900年代には地方新聞社などにも設置されていたようである。しかし次第に版そのものを鋳造できる装置に置き替えられ、現在では写真植字機やDTPの隆盛の彼方に消え去っている。
ちなみに行単位ではなく文字単位で活字を並べて鋳造していく装置にモノタイプがある。1字だけの訂正がしやすいモノタイプが重宝がられることも多かった。例えば誤植が発見された場合、モノタイプならばピンセットなどを用いて1文字単位で訂正ができるが、ライノタイプでは1行丸ごと打ち直す必要があった。ミスタイプの際に1行の残りを埋めるのに打鍵したのが「ETAOIN SHRDLU」という無意味な文字列である。これらは英単語で頻出する文字のいわばベスト12だから、打鍵しやすいようにライノタイプのキーボードの左側2列に配置されていた。
フレドリック・ブラウンの短編のタイトル「エタオイン・シュルドゥル」は、ここから来ている。予兆として登場するのがライノタイプの誤植で、最初は自分の打ち間違いだと思っていた印刷所の職人が、ライノタイプが自らの意思を持って人間の制御を受け付けなくなり、勝手に打ち始めていることに気づく、というストーリーだ。
もう1編の「天使ミミズ」のほうは、もっとスケールが大きく、天国のライノタイプに誤植が生じる話。活字の母型が1周する51時間10分ごとに、不具合のあるeの文字が単語の本来あるべき位置の前に落ちてくる。それによってミミズ(angleworm)が天使ミミズ(angelworm)になり、憎悪(hate)が熱(heat)になり、そこに着く(getting there)がエーテルをかがされる(getting ether)となる。主人公は羽が生えたミミズが飛んでいくのを目撃したり、大雨の日に日焼けしたり、エーテルで気絶したりと、えらい目に遭わされる。
周知のように、フレドリック・ブラウンはかつてウィスコンシン州でライノタイプの操作員として生計を立てていた。他のSF作家の書いた短編を読んで、「これなら俺にも書ける」と思い、小説家になったというエピソードはあまりにも有名である。職人時代はさぞやライノタイプの不具合や誤植に悩まされたことだろう。その経験を元に書いた2つの初期短編は、後世に読み継がれる古典となった。(こや)



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2020/06/02 16:27 |
コラム「たまたま本の話」

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