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2024/04/23 16:50 |
第108回 達人が読み解く「人情紙風船」 文学に関するコラム・たまたま本の話
PDF版はこちらから

「人情紙風船」(1937年、P.C.L制作)と言えば、名匠・山中貞雄監督の遺作にして日本映画史にさん然と輝く傑作である。この作品を残して戦地に向かった山中は、その翌年、戦病死した。わずか28歳という若さだった。
ストーリーは有名だが、ウィキペディアを基におさらいしておく。以下、内容に触れているのでご注意を。江戸の貧乏長屋で浪人の首吊りが発生、役人が調べに来る。長屋の住人である髪結いの新三は、長屋の連中で浪人の通夜をしてやろうと言い、大家を説き伏せて酒をせしめ、馬鹿騒ぎを行う。
同じ長屋にいる浪人の海野又十郎は、父の知人の毛利三左衛門に仕官の口を頼みに行くが、邪険に扱われ相手にしてもらえない。その毛利三左衛門は質屋である白子屋の店主の愛娘・お駒をさる高家の武士の嫁にしようと画策している。しかし当のお駒は番頭の忠七とできている。
新三は自分で賭場を開いていたが、ヤクザの大親分・弥太五郎源七の怒りを買い散々な目に遭ってしまう。そのせいで金に困り、髪結いの道具を白子屋に持ち込むが相手にしてもらえない。海野又十郎は、懲りずに何度も毛利三左衛門に会いに行くが、ある日どしゃぶりの雨の夜に「もう来るな」と言われてしまう。同じ日の夜、忠七が店へ傘を取りに戻っているのを待つお駒を見かけた新三は、彼女を誘拐して自分の長屋に連れ帰ってしまう。白子屋の用心棒をしている弥太五郎源七を困らせるためだ。
誘拐を知った白子屋は、嫁入り前の大事な娘を、と源七らを使って長屋にお駒を引き取りに来るが、新三は源七らを追い返してしまう。その後、大家の計らいで、お駒は無事に白子屋へ帰され、大家と新三は50両の大金を得、宴会をする。誘拐の片棒を担いだ又十郎も分け前の金を貰って宴会に行くが、真面目だと思われていた又十郎の行為に長屋の女房たちは良い顔をしない。それを知った妻のおたきは又十郎を刺殺し、自害する――。
どこをどう突ついてもスキのない傑作であるが、この映画について池波正太郎(1923-1990)が興味深い指摘をしていることを知った。池波は「鬼平犯科帳」「剣客商売」などで知られる時代小説の巨匠だが、とてつもないシネマディクト(映画狂)でもある。山中演出のうまさに舌を巻きながらも、「人情紙風船」の設定にはずいぶん無理があるという。指摘するのは主に次の3点。引用は「池波正太郎のフィルム人生」(1983年6月、新潮文庫刊)より。
①質屋の娘が、どこかのご家老の倅(せがれ)に嫁入りするなどという話は無茶苦茶だ
「もしそうだとしたら、あの質屋はもっと立派でないといけない」と、池波は指摘する。あそこは奉公人が何人もいないような質屋だし、質屋ではそもそも限界がある。「だから、ものすごく大きな呉服屋で、小さな大名家に金でも貸しているというようなシチュエーションにして、そこの家老の倅に娘を嫁にやるということにでもすればまだしもだった」。言われてみれば確かにその通り。階級社会の中ではありえない話だろう。
②最後の海野又十郎を女房が殺害するところ、あそこもおかしい
「短刀を抜いて刺し殺すだろう、亭主が酔っ払って寝ているところを。どこをどう刺したにせよ、殺されるほうは叫び声を発しなくてはならない」と、池波は指摘する。いかに武士の妻とはいえ、武芸の達人ではない。男も気を失っているわけではなく、酒に酔って寝ているだけだ。「そこを刺し殺すのに、壁のつき抜けの長屋で、叫び声一つまわりに聞こえないで翌日の昼までわからないなどというのは、あり得ない」。
③新三が質屋の娘をひっさらって来るのは意地だけでそうするんだ、映画では。そこが弱い
「元来は、金ずくでやるという話を、そういう風に変えた。だから迫力が薄くなっちゃうんだ」と、池波は指摘する。つまり動機が弱い。「金ずくでなく意地だけというのであれば、もっと何らかのやりかたがあると思う、娘をひっさらうという以外に。ここらあたりに山中のスマートさと同時に物足りなさみたいなものが出るわけだ」。
「人情紙風船」は河竹黙阿弥の「髪結新三」という芝居が土台になっている。「芝居では、新三がひっさらってきた娘を犯してしまうのだからね、その上で何食わぬ顔して返してやって金を取るんだから」。したがって新三というのはいい男でなければならない。芝居だったら中村翫右衛門は新三の役に合わないが、映画ではむしろスマートな翫右衛門で良かったのではないか、とも池波は語る。「あれで金ずくの、女を犯すの、という悪い奴になったら汚く見えてしまうからね」。
以上――日本映画史上屈指の傑作も、シネマディクト池波にかかってはすっかり形無しである。さすがに時代劇の巨匠は映画批評の達人でもあって、その着眼点はきわめて鋭い。(こや)
(こや)


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2020/09/08 10:26 |
コラム「たまたま本の話」

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