日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

岩手県大槌町旧役場庁舎

2018年12月25日 | 日記

 岩手県大槌町旧役場庁舎

 

1.岩手県大槌町の旧役場庁舎を解体すると言います。本年12月22日(土曜日)のTBS

の「報道特集」で知りました。町の人達は、旧庁舎の一部をモニュメントとして保存すると、

被災後の論議を経て決めたというニュースが以前ありましたので、私もそのように思っていま

した。

 

2.このブログの2011年5月17日の第2回記事は、「大槌町訪問」です。このブログは、

大槌町訪問から始めたと言って過言でなく、少し縁があります。

 

3.町が無くなってしまった被災後の大槌を訪れた時、私の覚えたおののき、畏れ、自然に

対する畏怖は、おそらくその時、大槌に居(お)られて、生きようとする意志のみによって、

助かり、命を永らえられ、それぞれ御自宅であったり、避難所であったりの場所に居られた

大槌の皆様のお気持ちと同じものであったろうと思います。

 

4.2011年3月11日の大震災から新しい日本が始まったと私は思っております。

 

5.モニュメントは残すべきです。旧庁舎に津波が到来した時刻を示す時計のある壁を一枚

残してモニュメントにすれば良いのです。現状のままでは将来にわたっての保存は難しいで

しょうから、アーチストに頼んで現状を忠実に再現するメモリアルアートとして残すのも一

つの方法だと思います。時計は別に保存します。碑石には「私達の新しい時の始まりを告げ

る時計」、「私達の新しい時代を告げる時計」というような文を刻み、鎮魂と同時に新しい

時の始まりを示す象徴としてモニュメントを位置付けます。そして同時に、自然への讃美と

畏怖を現(あらわ)します。

 

6.現在の場所を、公園よりも他の土地利用を考えておられるならば、その一角にすればよ

いのだと思います。

 

7.私の印象では、沿岸地域の大槌の町は漁業以外の産業らしい産業のない町です。今は復

興費で動き、復興は、将来のビジョンを描かれて進められていることでしょう。次に、この

復興事業もやがて終わり、新しい町が動き出します。この時、復興事業で埋め込んだ大槌町

のビジョンが生きて来ます。大槌の山林は広大で、リアス式海岸に位置する歴史の町でもあ

ります。歴史は人々を招き、観光となります。他の都市型のビジョンを描かれるにしても、

このモニュメントは大槌町のために絶対に必要です。例えば、私を例にとって申し上げれば、

モニュメントのある大槌と、ない大槌では、モニュメントのある大槌にはまた行ってみよう

と思うのです。

 

8.今上天皇陛下(平成天皇陛下)が、(私の記憶では)三度、訪れられた大槌は稀有の町

です。モニュメント碑文に刻んでください。

 

追記:大槌に津波が来たことを、私は何度か聞かされていました。そのため、2011年5

月17日の記事に添付した写真の添え書きに、「人々の津波に対する意識には高いものがあ

り」と記しました。しかし、本年12月22日のTBSの「報道特集」を見た限りで申せば、

その時の防災責任者には、防潮堤に対する過信、或いは、津波に対する認識の軽さがあった

ように強い印象を持ちました。追記いたします。

 

 

                    空を茜色で満たす夕日

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