日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

「広島原爆忌・長崎原爆忌を前に」・後記

2019年08月17日 | 日記
「広島原爆忌・長崎原爆忌を前に」・後記
 
 
1.8月6日の未明、gooブログで「広島原爆忌・長崎原爆忌を前に」を公開しまし

た。同時に、この記事は、Facebookへも一般公開で投稿しました。
 
 
2.Facebookでは一般公開の場合、「ホーム」のページに表示されます。しかし、
 
で記事を見つけることができません。自分のタイムラインには、ちゃんと投稿した記

事のタイトルと写真が表示されています。手順を間違えたのかと思い、何度かやりまし

た。同じです。
 
 
3.そこで、もう一度、同じ手順を繰り返し、今度はFacebookに移って、「ホーム」

に写真と記事タイトルがそこに表示されているのを確かめ、ページをそのままにして時

間をおいて、ページの「更新」をクリックしてみました。すると、投稿した写真と記事

タイトルはページから無くなってしまいました。誰かによって「削除」されているよう

です。
 
 
4.ここからが本題です。記事の内容は、日本人の私が見て温和なものです。原爆につ

いては、J・グレン・グレイが原爆投下を知った時のことを書いている内容を記し、私

の内省を書いています。
 
 
5.日韓関係についても述べていますが、悪化して行く関係の修復を望むものです。
 
 
6.Facebookの投稿は、Facebookで友達となっている人たちのページにも表示されま

す。私は、『日々楼 nichinichiro』というタイトルでWordpressに英文のページも持っ

ており、それを読んでくれている人たちのFacebookを通した友達リクエストも、多人

数ではありませんが、あり、Facebookは私にとって一種の国際社会となっています。
 
 
7.そこで私の記事が削除されました。削除を行った人のその動機を考えて見るに、一

つには、英文の『日々楼 nichinichiro』には、天皇陛下について記し、仁徳天皇の事跡

についても述べていますので、天皇主義者と私は思われているのかも知れません。だと

すれば、ここには、削除した人がその心中に刻んだ戦前の日本の行った戦争行為に伴っ

た罪が、天皇の名とともに拭(ぬぐ)い難(がた)くあり、その思いがその人をして記

事を削除させたのかも知れません。二つには、記事になかで、原爆投下を、私は、「国

家や集団が犯す罪を罪と思う個人の心」として打ち明けており、原爆投下の正当性を疑

う所のない削除者にとって、これは許し難いというより、この罪の意識を拒絶すること

が脳に刻まれた条件反射のようなものとしてあり、その意識の結果の行為であったと思

う方が正確かも知れません。しかし、削除者はここまで読み込んでくれてはいないと思

います。読み込んでくれていたら削除はできないと思うのです。ここには思考に先立つ

振る舞いと固定観念(脳に刷り込まれた意識)があります。戦後74年が経ってなお、

この事を私たち日本人はよくよく考えなければなりません。
 
 
8.続く第三と第四には、現在の悪化した日韓関係の中で、日本と韓国のそれぞれの言

い分に立つ人々や、私は自由主義者であり、民主主義者であり、人権主義者として、現

在の中華人民共和国(以下、中国と略述)の在り方を批判していますので、親中派の

人々が、削除したということもあり得ることであろうとは考えられますが、この可能性

は低いと思います。 

 
9.だとするならば、今回、Facebook上で起こった小さな誰も知らない事件が、私に

語り掛けて来るものは、かつて日本が歩んだ戦争の道に残された人々の傷は、広島・長

崎の被爆に比較しても、それを顧慮させない程の深さがあり、その記憶は世代を継いで

人々の脳裏に刻まれているということです。
 
 
10.結論を書きます。私たちは、節目節目に、私たちの父祖・曾祖父が戦場としたア

ジア・太平洋地域の戦争犠牲者を悼み、深い反省の弁を述べなければなりません。私自

身、中国大陸と朝鮮の人々に対して謝罪の気持ちを持ち続け、もう謝り疲れたという思

いと、かつて中国の紅衛兵の諸君がやったように、謝る人(自己批判する人)が小突き

倒され、引き回される役回りを、日本人が負うことを避けるために、従軍慰安婦だった

お婆さんたちの境遇についてブログに書いたこともあります。更に、日本には「いつま

で謝ればいいのか」という議論もあります。しかし、私の反省の深さと広がりは、まだ

足りなかったようです。重ねて書きます。私たちは、節目節目に戦争の犠牲者を悼み、

深い反省の弁を述べなければなりません。そして、私たちは、「日本人が来ると良いこ

とが起こる」と世界の人々に思われる存在となることです。繁栄は、禍(わざわい)を

鎮(しず)め、私たちを共に前に進ませます。
 
 
11.これこそが、戦争が負わせた私たちの仕事なのです。
  
                                                         
                                     了 
 
 
                   2019年8月9日の空
 
 
 
 
 
 
 
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