2020年10月4日日曜日

漢書;外戚伝 第六十七上(4) -竇皇后(ii)-

 さらに竇皇后の兄弟が被る恩恵があります。

竇姫はもともと良家の娘として呂后に選抜されたはずなのですが、その後の記述では竇皇后の兄である長君(おそらく字と思います。本名は書いてありません。)、その弟の広国、字は少君は微賤の身分の者として登場します。

 

広国は四、五歳のころさらわれたも同然で人に売られたのです。そして広国は諸家を転々とし、宜陽では山に入って炭焼きをしていたそうです。崖の下で夜数百人が寝ていたら崖がくずれ、広国一人がたすかります。広国は自分のことを占ったら数日のうちに列侯になるはず、と出たのです。広国について記述されている四、五歳からのひどい運命からして、字をまなび書籍を読み、占いも知っていたことになっているのは奇異に思えます。でも原文でみると

「自卜,數日當為侯」

とのことです。誰か人相見が現れてお告げをするなどといったことではなく、自分で占いができたのでしょう。

それから主家に従って長安へ行くと、新しい皇后が立てられその家は観津(カンシン)にあり姓は竇氏であることを知ります。広国は家を離れた時幼かったのですが、出身県と姓は覚えていたので、姉と一緒に桑の葉を採っている時に木から落ちたことを証拠として(もしかして竇姫は姉ではないかと)上書します。そのあとに次の分があります。

皇后言帝,召見問之,具言其故,果是。

小竹さんの訳によれば、

“皇后から帝に申し、少君(広国)を召し出して問うと、少君はつぶさにその故を述べたが果たしてその言う通りだった。”

です。竇皇后の記憶のとおりだったのでしょう。さらに念押しで覚えていることを聞くと

姊去我西時,與我決傳舍中,沐沐我,已,飯我,乃去

と言います。すなわち、姉は自分が西へ去るとき、自分と伝舎(駅舎)で別れた。私の体を洗って、ご飯を食べさせてくれてから去っていった、というのです。

それは二人きりしか知らないことで、間違いなく弟だと知った竇皇后は少君を抱いて泣きました。

広国はめでたく手厚い待遇を受けるようになりました。竇皇后の兄の方の長君についてはとくに記述がないのですが、これも手厚い待遇を得たはずです。文帝がなくなり、景帝が即位すると、竇皇后は皇太后になり、広国は章武侯になりました。この時兄の長君は亡くなっていましたが、子供が南皮侯になっています。

 




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