往年のプロ野球選手の訃報が連続する世間である。そして親戚・知人のお葬式に参列する機会が頻繁にある。そういう年回りなのだろう。
僧侶が読経し位牌がある仏式が大勢を占める。宗派は口伝による江戸時代の遺産である檀家制度の伝承でその作法は知らず、お経は馬の耳に念仏だろう。
日頃から特定の宗教にこだわらない人が九割以上ながら、約半数が仏式で占めることが判明、ならば多くの経費を占める僧侶の布施、戒名・法名、位牌等を削減し経済性を追求する葬式が流行の兆しである。そんな報道を目にする。
無宗教の時代の到来と言うが、経済一辺倒も立派な宗教でその名は資本主義、宗教は麻薬とする共産主義も同様であるが、唯物的である点が問題で心が荒む。
死して人間は如何なる、何処に安住する、自分も避けられない他人の死に遭遇し、自分は如何に生きるべきなのか、宗教心なのだろう。
その導師が僧侶と思うなら、僧侶の存在は不可欠で布施は授業料なのだろう。