ぶーぶーとダディ
2012年6月、夫が悪性胸膜中皮腫ステージIVと診断されました。アスベストが原因の癌です。診断当時、息子ぶーぶーは1歳6ヶ月。そして、2014年8月15日、闘病開始から2年後のある朝突然に夫は旅立ちました。12月で4歳になるぶーぶーとふたり、ダディが眠るメルボルンの地で一日一日を生きていきます。





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前回のブログ投稿から随分経ってしまいました。

 

あれから色々ありました。

 

転職、小学校卒業、コロナ、タスマニア旅行、ぶーぶーの入院、ハイスクール入学に加えて、最近は他の仕事も初めて、ずーっとバタバタです。

 

昨年12月、前の職場を円満退職して、翌週から新しい職場でのトレーニングが始まりました。その2週間後にぶーぶーと二人揃ってコロナ感染。コロナから復帰してすぐにぶーぶーは小学校を卒業し、長いお休みに突入。私はクリスマスとその翌日の2日しかお休みがなかったので、ぶーぶーはお友達家族に誘われて年末を郊外の海沿いの街で過ごしました。コロナのせいで仕事のトレーニングが1週間延長になりましたが、1月の3週目に入ってやっと一息つけた隙を狙ってタスマニアに行こうと決めました。小学生最後のお休みだし。

 

ぶーぶーの年越し


新年の花火


いっぱい歩いたタスマニア


野生のウォンバットもいっぱいいました



シーフード三昧


隠れて私を驚かそうとして転んだあと。足が痛くてちょっと憂鬱な人




2回目だったタスマニア旅行、大自然とシーフードを満喫して帰宅した翌日にはぶーぶーがダウンしました。


41℃まで上がった熱が一向に下がり切らないので、近所のお医者さんにも、大きな病院の救急にも連れて行ったりしたのですが、その度に様子を見て下さいと帰されました。その後の7日間、薬が切れる7時間毎のタイミングで40度越えの発熱が続き、そして胸の奥で太鼓を叩くように響き渡る、それ絶対普通じゃないという咳はどんどん悪化して、こりゃ絶対肺炎だな・・・という状況に陥りました。結局近所のお医者さんに強引に頼み込んで紹介状を書いてもらい、別の大きな病院の救急に駆け込み、やっと入院となりました。入院前に診てもらったどのお医者さんも、ぶーぶーの胸に聴診器を当てて、大丈夫ですと言い切っていたのがどうしても納得いかないのですが、3ℓの胸水が溜まっていたダディの時でさえもそうだったから、結局は自分で判断して行動することが一番大事なのだと再認識しました。入院したら専門医の先生たちが入れ替わり立ち替わりやってきて、いろんな方法でぶーぶーの胸の状態を確認して、事細かに教えてくれました。血液検査でも炎症を示す数値が異様に高くて、わずかですが胸水も溜まっていて、入院してからも熱が上がったり下がったりをを繰り返し、げっそり痩せてしまいました TーT 


救急病棟で出されたバニラカスタードを一口食べた瞬間(プッチンプリンみたいな味)、笑顔になりました。


入院中は延々ずーっと寝ていました



治るとわかっていること、効果のある治療を受けられる安心感、少しずつ確実に元気になっていくぶーぶー。どれをとっても心配するところがなかった。ダディの時は、病院に行くたびに帰って来れるのかさえもわからず、治療もできず、毎回、これが最後かも、覚悟してくださいと言われる現実に悲痛な思いでした。病院に行くのが怖くてたまらなかった。

 

ぶーぶーの入院を知って、いろんな人が、大変だねと、何かできることない?と声をかけてくれました。でも、大変だとは少しも思わなかったのが正直なところです。もちろん、入院が決まるまでは心配でした。仕事に行く間一人になるけれど、熱が高くなりすぎると薬を自分で飲むこともできないし、食事も摂りたがらないし、脱水にだけはならないようにと注意はしていましたが、治療なしで良くなるような状態ではなかったのは事実。でも、ダディの時とは全然違うから。何をどうすればいいのか、自分の中でちゃんと描けていたからそこまで不安はありませんでした。

 

ぶーぶーは5日で退院となりましたが、その後も熱が下がりきらず咳も酷かったので自宅療養を続け、1週間遅れでハイスクールに初登校しました。最初はフラフラで、少し歩いたら動悸と息切れがでて、薬を吸入しつつの復帰でしたが、若いし回復も早い。食欲も戻ったし、これからちょっとずつ体重も増えていくでしょう。

 

私はといえば、新しい仕事にも慣れて、他の単発の仕事も良い刺激になっているし、人生色々あるけど、何か勃発したときは、ダディのことを思い出して乗り越えています。あの時以上に苦しいこと、辛いこと、怖いことなんてないが合言葉です。そう言えるのもダディのおかげ。今年で10年になります。恐ろしいほど時の流れが早く感じます。それでも、きっと今でも助けてくれているはず。