泣きスイッチ | ぶーぶーとダディ


ブログ更新が出来ていなかった間に、日本から兄一家がやって来ました。兄とは、会うのも、まともに話すのさえも8年ぶり。私も兄も就職と同時に家を出ているし、同じ屋根の下で過ごすなんて、子供の頃以来の感覚。最初は相当ギクシャクで変な感じでした。でも、ぶーぶーと従兄弟にあたる私の甥っ子(7歳)は、日本で一度会ったことがあったきりでしたが、会った瞬間から意気投合の様子でした。


あらかじめ、ぶーぶーの学校の校長先生にお願いしておいたので、甥っ子はぶーぶーの学校で1日体験入学をすることが出来ました。英語はほとんど出来ない状態で来たので、ぶーぶーがピッタリ横にくっついて、一日中通訳としてサポート。子供達はみんなで一緒になって仲良く遊んでいたそうです。子供の間は、言葉が出来なくても友達になれたり、一緒に遊べたりするものなんですね。オーストラリアの小学校は、体育座りじゃなくてあぐらをかくこととか、授業中でも、飲みたい時に勝手に水筒を取りに行って水を飲んでもいいとか、ランチを芝生の上に座って一緒に食べて嬉しかったとか、日本の学校との違いを結構楽しんでいました。

近所の公園にカンガルーも見に行きました。少し早かったけれど、10匹ぐらいはぴょんぴょん飛び回っているのがみれました。オーストラリアならではの体験です。蒸気機関車にも乗りに行きました。トランポリンでも飛んできました。兄夫妻曰く、日本では、「思いっきり遊ぶ」というのがなかなか出来ないからと喜んでくれました。












最終日が近づいたある日、「ダディが亡くなってからろくに連絡もしないで、ずっと時間があいてしまったけど、二人が嫌じゃなかったら、ぜひダディのお墓まいりをさせてほしい」と兄が言ってくれました。そんな風に申し出てくれたことが嬉しかったです。ずっと音信不通だったけど、真剣に思ってくれていたんだなと。


お墓に着いたら、極度の潔癖症で、昔ながらの亭主関白ぷりをみせる、ちょっとえらそうな兄が、服が汚れるのも気にせずに、何度も何度も水を運んできて、ピカピカになるまでお墓を磨き上げてくれました。お花も一生懸命選んで買ってくれました。一人一人順番にと言って、ずいぶん長い間手を合わせてダディになにやら語りかけてくれている様子でした。そんな兄を見て、私は密かに鼻の奥がつーんとなりっぱなしでした。全く感情を出さない兄一家の前で泣くなんて恥ずかし過ぎて、必死で涙をこらえました。ぶーぶーも、すごく嬉しそうだったけど、途中からは、「パパに会いたくなっちゃった」と泣きそうになったので、兄が狼狽えていました(笑)。そして、帰りの車の中で、兄がボソッと、「お参りをさせてくれてありがとう」と言ってくれました。不器用で、いつも言葉足らずの兄から出たこの言葉が心にじーんと響きました。ダディのお墓参りなんて一度もしたことがないダディの家族、それはそれで、人それぞれだからと受け入れてはいます。でも、やっぱり兄のしてくれた事が心の底から嬉しかった。ぶーぶーもほっこり喜んでいるのが顔に出ていました。お墓参りは、ダディのためでもあり、私たち二人のためでもあるんだなと改めて思いました。


今は、人前では泣かないし、一人の時も、たまにしか泣かなくなったけれど、今回みたいにダディを想ってくれる人がいたら、そこが私の泣きスイッチみたいです。ダディの涙、想い、苦しみや強さ、優しさ、一生懸命に生き抜いた頑張りが忘れ去られていくのが、すごく辛いけれど、それは仕方がない。でも、私は、忘れたくないし、忘れられない。いつも胸の中にあって、毎日ダディの事を思わない日はありません。だから、こんな風に誰かが言葉や態度で示してくれると、わかってもらえる嬉しさと、自分の思いを肯定できる安心感で、なんだか泣きスイッチが入るのだと思います。

ダディは、私達にとって、何年経っても大切で、かけがえのない存在です。ぶーぶーのお誕生日の翌日は、9歳になった報告にお墓参りに行ってきます。