●この出で立ちならば、いざ関ヶ原へ出陣 | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

久々の関ヶ原~!

三成さんの本陣、笹尾山を仰ぐ。

右手に決戦地の旗。

ところで、なんといっても本日は我、三成公家紋入りポロシャツの出で立ちにて候。

よって、これは関ヶ原へ出陣せねば、行かねば!

 

あのにっくき毛利が陣した南宮山がよく見える、松尾山も。

家康の桃配山はあのあたりか。

 

へんぽんとひるがえる三成本陣の幟旗。

この古戦場の光景がずっと続くといいなぁ。

 

大谷吉継さんの墓参へも。

いつもきれいに整備されているなぁ。これが今回。

これは2年前。

この時も、鮮やかな花が供えられていた。

 

初めて来た頃は、クモの巣をかき分けかき分け、やっとここまで登って来た。

 

今はこの近くから、あの小早川秀秋の松尾山が見えるようになった。

嬉しいのか、どうか…。

そういえば、秀秋さんの墓参に、岡山にも行ったなぁ。

昔は考えもしなかったが。

 

長浜市へ足をのばす。

三成さんの小学校時代の母校となる、北郷里小学校へ。

これこそ久しぶり。

 

「おぉ、あった、あった三成さんの座像がまだあった!」

昇降口にデンと坐っていた。

しばし若い教頭先生と、むか~し話を雑談。

「かつては像に声をかけると、返事したんですよねぇ」

 

三成屋敷址。

巨大な出生地の石碑、品のいい顔立ちの座像。

北郷里小学校のと同じ型の像というが、小学校のは室内にあったせいか、随分大きく感じた。

 

「治部殿も 今日瞑すらむ 蝉しぐれ」 か…。

 

石田神社と、石田一族墓所。

ここも、いつもよく整備されている。

それが嬉しいというか、また哀しい。

佐吉どんの産湯の井戸。

三成さんのふる里はいつ来ても、何度来ても懐かしく、哀しく、いとおしい。

 

三成公辞世か…。

いつだったか秋の日、ここから、佐吉どん三献茶の観音寺まで、とぼとぼ歩いたなぁ。

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