●物語を描く銅像群 その1 まずは佐々木盛綱、そして… | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

備中・藤戸の古戦場で、佐々木盛綱の海を渡る騎馬像に遭遇。

この地で源平合戦があったなんて知らなかった! 

佐々木盛綱を知らなかった! 情けなや。

そしてこんなかっこいい騎馬像があることも知らなかった!

盛綱が漁師から浅瀬を聞き出し、海を渡り、その漁師を殺め、その漁師を悼み祀るという哀話として謡曲になっているなんてこともまったく知らず。

 

おお、海を渡るがごとく、橋を渡っているではないか、かっこいい!

そんな物語を表す銅像、「ぜひお薦め!」の像をいくつか紹介。

ぜひご覧いただきたく。

 

藤戸の合戦、10か月前の有名な一の谷の戦い

花も実もある武者、畠山重忠は、愛馬・三日月がかわいそうと、一の谷・鵯越の急崖を馬を担いでくだりおりたという像。

埼玉県深谷市の畠山重忠公園にてそのまんまの像を、「おぉ!」と見上げ、まさに仰天。

 

一の谷の戦いの、これまた名高いこんな場面が古戦場近くの須磨寺に。

↓これが敦盛。

かたや左、紅顔・平敦盛、こなた右、日の本一の剛のもののふ・熊谷直実

「そこな公達(敦盛)、もどせや!われと組まん!」

「おおぉ!」

 

直実が扇をかざし、敦盛を呼び止める表情は、埼玉県熊谷駅前のがいい。

両者闘い、ついに敦盛の首討った直実は、自らの息子と同じ若武者・敦盛を討ったことを悔い、剃髪。

そして、アツモリ草、クマガイ草の話へと後世へ伝わる。

 

話はグーンと飛んで江戸時代、山形県米沢市普門庵の古刹門前に立つ二人。

 

「先生、ようこそ、ようこそお待ちしておりました!」

「おお、殿、お懐かしゅう」

恩師たる細井平洲を、米沢藩主・上杉鷹山は、待ちきれず米沢郊外のこの地まで来て出迎えた。

その時の、「敬師の像」。

鷹山の思いがよく表されているような。

今にも動き出しそう、二人の会話が聞こえてきそう。

同じ像が、細井平洲の出身地、愛知県東海市にも立てられているという。

 

次たるは、ど迫力の動画のような銅像ナンバーワンでしょうか。

わが信州・川中島古戦場の「信玄・謙信相戦う」の像。

 

なんといっても、謙信の形相がど迫力! これは恐えぇ~。

恐れおののく信玄の表情もリアル!

 

この銅像はまさに必見なり。

 

さて本日真打、この武者は? 

そう、弓を携え、なにやら祈ってるもののふの、「祈り」の像

東北線栃木県野崎駅前

これぞ、日本一の弓の名人・那須与一

屋島の合戦で、みごと扇の的を射る前に、的への命中を一心に念じ、祈っていた姿像。

そして、満月の如く弓引く像は道の駅に。

いい顔してる。

栃木県大田原市は、那須与一のふる里。

銅像や絵がいくつも。

やっぱこの絵が一番かな。

与一さんは、町おこしの中心人物でした。

 

にほんブログ村 日本史 ブログランキングへ