●源平時代 三人の与一像を称えん! | きょうのもののふフォト列伝 ー古戦場 城 もののふ 旅ー

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熱く 燃えて 散って 逝った 我ら祖先のもののふ達 その懸命な生きざま姿を追う旅を続けています。

「与一」といえば、やはり那須与一。

屋島の合戦にて、みごと扇の的を射った弓の名人

だが与一さんって、那須与一ばかりではなかった。

 

この他には、浅利与一、そして佐奈田(真田)与一というその名を源平の時代に轟かせた三人の「与一」という武者がいた。

 

まずは那須与一宗隆(資高)、そのふる里、栃木県大田原市へ。

与一さんは、まさに街の英雄だった。与一祭りからはじまって、与一像が3つも。

これは道の駅与一の郷の、もっともかっこいい弓を射る像。

道の駅には与一伝承館にて人形劇も。

有料なれど、なかなか楽しい劇だった。

 

こ、これは、顔がないと恐いわ。

「美原野球場」にはこんな壁画が。

地元の太田原中学校生徒の作品とか。

これはいけてるなぁ~。

与一さんの墓所は那須一族の墓所として、郊外の玄性寺に。

ここには与一弓道場も。

そして与一像が。

街中の中心地、信金本店前にも与一像が。

またイケメンで。

さらにまた、JR野崎駅前にも、祈る与一さんの像が。

 

太田原の街では楽しく与一さん巡りが出来申した。チャリがよかったかな。

さて、

遠く、讃岐の屋島古戦場、屋島寺に冒頭の絵が飾られていた。

やはりこの姿が那須与一か。

古戦場を巡ると、まずは与一橋。

凝った波の橋げた。

 

与一が神仏に念じて海中のここまで馬を進めたという駒立岩

潮が満ちると海中に沈むという。

今は海岸までは遠い。

おお、遠くに女官が扇をかざして立っているではないか、見えますか。

と、遠い!

その距離約20メートル!

舟が揺れて…、よくあたったなぁ。

源氏の兵はもちろん、さすが平氏の兵士たちも、船べりをバンバン叩いて与一さんを祝福したとか。

 

狂喜したのは、義経。

与一さんは沢山の褒美をもらったのだが…。

 

与一さんの墓所は、京都東山区の即成院にもある。

長くなってしまったので、次回へ。

 

まだまだあと二人の与一さんの話もぜひ!

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