「与一」といえば、やはり那須与一。
屋島の合戦にて、みごと扇の的を射った弓の名人。
だが与一さんって、那須与一ばかりではなかった。
この他には、浅利与一、そして佐奈田(真田)与一というその名を源平の時代に轟かせた三人の「与一」という武者がいた。
まずは那須与一宗隆(資高)、そのふる里、栃木県大田原市へ。
与一さんは、まさに街の英雄だった。与一祭りからはじまって、与一像が3つも。
これは道の駅与一の郷の、もっともかっこいい弓を射る像。
道の駅には与一伝承館にて人形劇も。
有料なれど、なかなか楽しい劇だった。
こ、これは、顔がないと恐いわ。
「美原野球場」にはこんな壁画が。
地元の太田原中学校生徒の作品とか。
これはいけてるなぁ~。
与一さんの墓所は那須一族の墓所として、郊外の玄性寺に。
ここには与一弓道場も。
そして与一像が。
街中の中心地、信金本店前にも与一像が。
またイケメンで。
さらにまた、JR野崎駅前にも、祈る与一さんの像が。
太田原の街では楽しく与一さん巡りが出来申した。チャリがよかったかな。
さて、
遠く、讃岐の屋島古戦場、屋島寺に冒頭の絵が飾られていた。
やはりこの姿が那須与一か。
古戦場を巡ると、まずは与一橋。
凝った波の橋げた。
与一が神仏に念じて海中のここまで馬を進めたという駒立岩。
潮が満ちると海中に沈むという。
今は海岸までは遠い。
おお、遠くに女官が扇をかざして立っているではないか、見えますか。
と、遠い!
その距離約20メートル!
舟が揺れて…、よくあたったなぁ。
源氏の兵はもちろん、さすが平氏の兵士たちも、船べりをバンバン叩いて与一さんを祝福したとか。
狂喜したのは、義経。
与一さんは沢山の褒美をもらったのだが…。
与一さんの墓所は、京都東山区の即成院にもある。
長くなってしまったので、次回へ。
まだまだあと二人の与一さんの話もぜひ!