日本経済新聞 2020/4/5付
半世紀ほど前「大阪戦争」「東京戦争」を呼号し、世界革命を目指して、交番や警察署に火炎びんを投げつける若者たちがいた。通称「赤軍派」という。「日本のレーニン」なんて異名をとるトップに率いられたが、山梨県の山中で武装訓練を企てて一網打尽にされる。
▼追い詰められた残余の面々9人は革命の根拠地を求め、民間の航空機を乗っ取り、北朝鮮入りを図った。世に言う「よど号ハイジャック事件」である。50年前の3月31日に起き、4月3日には韓国で、日本の政治家を身代わりに乗客全員を解放、9人は平壌で投降している。5日には機体と政治家が無事日本へ舞い戻った。
▼9人は北朝鮮で暮らすうち、自らの理論の誤りを認めて、同国流の思想に感化されたと伝わる。うち5人は病気などで死亡した。メンバーの一部や妻らは日本人拉致に関わった疑いでも国際手配されている。現在はその絡みで日本へ引き渡されることは「冤罪(えんざい)」と拒みつつも、よど号事件は反省するというスタンスらしい。
▼残る4人も古希を過ぎた。「革命」は自民党政権で多用される世である。 われわれは『明日のジョー』――。若き赤軍派たちはハイジャックの声明文で人気漫画を引き、こう述べた。作品のヒーローは世界戦で健闘むなしく敗れ、灰のように真っ白に燃え尽きている。人生の暮れ方、どんな思いが胸を去来しているだろう。
小父さんは今でこそこのブログで反政府みたいなことをよく書いているが、この当時は全く右翼的だったな~。何なに赤軍派の英雄は明日のジョー?漫画読んで革命ごっこをやっていたのかい?(笑)。でも、純粋さも持ち合わせていたのは事実だと思う。いや、ハイジャックに日本人拉致や仲間の粛清なんて犯罪以外何物でもないが、ん?彼らも北朝鮮は地上の楽園、社会主義の理想郷と思っていたのかな?「若気の至り」なんて生易しい行動ではなかった!小父さんと同世代なんだな。
「日本のトロツキー」ならまだわかりますが…。
私の友人の一人も赤ヘルをかぶっていました。
「民主主義は幻想だ」と よく言っていました。
世界を変えるのは武力だ とも…。
なのに…「学生大会でバリストを決議する」と。
200名ほどしか入れない小さな学生会館に
「委任状が数千通」と大会成立を告げ決議採択。
「形式民主主義」の教科書のような進行でした。
大学解体を唱えつつ学生証は大事にし、
卒業式は欠席でしたが、某官庁に就職しました。
『純粋さ』を持ちあわせていたとは思えません。
その後 つきあいもなく 消息も存じませんが…。
すみません。
己を顧みず厭なことを書いてしまいました。
お赦しください。
分からないのでググってみたらwikiに塩見孝也という名が出て来てそれは詳しく載っていましたね。
画像検索でもたくさんあります!
>私の友人の一人も赤ヘルをかぶっていました。
そうですか!
幼馴染の隣人が東大医学部で学んでいる全共闘を泊めて、私に声かけてきましたね。
後日「どうしてどんどん質問攻めにしなかったのか?」なんて私に言ってました。
その医者の卵は「思想が合わなかったので、東大封鎖には加担しなかった」とか(笑)
そうそう、学問の世界に残った別の全共闘?は佐世保闘争には出向いたみたいなことを私の50年前の日記に書いてました。彼とはとても親しくしていたんですが・・・。
>「委任状が数千通」と大会成立を告げ決議採択。
それってゲームに思えますね!
ゲバ棒に火炎瓶に機動隊への石投げ、今で言ったらバンジージャンプかサッカーのサポーターで飛び歌いに該当するのかな?(笑)
>『純粋さ』を持ちあわせていたとは思えません。
はっはっは、目先が利くんでしょうね!
純粋だった学生は、まともな仕事にはありついてないような気がします。
>すみません。己を顧みず厭なことを書いてしまいました。
いやー、こんなことがブログで語れるのは楽しいです。
当時のテレビは学生運動一色でしたからね。
新型コロナの話題も、懐かしい厭な思い出として語る時代が来たらいいですね!
評論家の寺島実郎氏に言わせると、「世界を二分化するかように言われて来た米中双方が社会システムに重大な欠陥があるということを見せつけたんだと」、これは興味深く感じました。