母の肺がん闘病記②☆ | 人生まだまだこれから!自然の神秘を求めて

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こんにちは。ぴぴです。

 

肺がんと告知されるまで→ 

 

肺がんで脳とりんぱ節に転移もしていて、

ステージⅣと告知を受けました。


治療方針は、脳には放射線治療を、

肺には分子標的薬のタグリッソを投与

することになりました。

これは7割の効果があるということでした。

 

《脳の放射線治療》

CT撮ってお面を作成し、ピンポイントで

放射線を20分ほど照射します。

これは通いで3日間。(5/8~10)

母は1人で病院に通い、帰りはデパートに

買い物に行くほどの余裕がありました。

 

《肺の分子標的薬の投与》

薬で体調が悪くなったりしないかを確認

するために入院(5/11~17)。

入院中に胸水が溜まっていたので初めて

400CC抜きました。

 

入院中に、主治医の先生から詳しい病状の

説明を受け、母は進行性のがんで、余命は

1年半位であろうと言われました。

 

《副作用が出てしまった》

退院してからも自宅で分子標的薬を飲み

5/24に診察に行ったところ、副作用の

間質性肺炎になっていることが判明。

 

これは5%の可能性で肺炎になるようで

そのたった5%の人になってしまった!!

これは非常に残念!!

分子標的薬の投与を中止したのでした。

 

この当たりから母の病状が雪崩のごとく

悪くなっていきました。

 

《息苦しくなって緊急外来へ、そして入院》

*6月7日

息苦しくなって緊急外来へ。

胸水が溜まっていたので500ml抜く。

そのまま入院。

 

*6月9日

昼ごろ、右手がしびれて動かなくなり、

軽い脳こうそくをおこす。

そして循環不全となり血圧が急低下し

集中治療室へ。

心臓と肺に溜まった水を500CC抜く。

この日から右手の指に麻痺が残りました。

 

翌日には食事ができ、その翌日には

起き上がることができました。

 

母は入院中リハビリを一生懸命やりました。

力が入るようになり、字が書けるようにまで回復。

 

母は酸素吸入を常にするようになりました。

 

*7月3日

胸水1L抜く。

 

*7月6日

胸水700ml抜く

 

《退院に向けて》

主治医と相談し、緩和ケア病院に行く前に

退院してなるべく自宅で最後の日々を

過ごせるようにお願い。

 

退院支援看護師と退院に向けて面談(6/28)

緩和ケア病院の目処を早めにつけておいた

方がいいということで母に内緒で2つの病院を見学。

 

ケアマネさんや介護ベッド、酸素吸入器の手配、

訪問医師の紹介等、至れり尽くせりの準備をして

いただきました。

 

母には血栓が見つかり、血をサラサラにする注射を

毎日打たなければならないので私は注射の訓練を

受けました。

 

そして7月11日に1ヶ月ぶりに退院することになりました。

 

続く

 

朝焼け